Novelis
← 目次

影の郵便局と秘密の手紙

第20話 第20話「従姉妹の涙」

第20話

第20話「従姉妹の涙」

# 第20話「従姉妹の涙」

---

 手紙を投函する算段をつけた日の夜だった。  マリーヌに渡す約束は翌朝。影の郵便局ではなく、王都中央の広場に面した仕立て屋の裏口で落ち合うことにした。マリーヌの父が騎士団の文官業務を扱っているから、正式な文書袋に紛れ込ませることができる。不自然ではない経路。安全な経路。  ユリアン様への手紙は封筒に入れたまま、ドレスの内ポケットに移していた。鍵と手帳と手紙。三つの重さが左胸の上で重なっている。明日の朝、この手紙だけがここを離れる。  夕食を終えて屋根裏に戻った。叔母の無視は続いている。三日目になると、不在の空気にも慣れてくる。慣れることが少し怖かった。人は何にでも慣れてしまう。痛みにも、孤独にも、無視にも。慣れた瞬間に、それが当たり前になる。  蝋燭に火をつけた。小窓から夜風が入り、炎が揺れた。初夏の夜風は湿気を含んでいて、肌に薄い膜を張るようにまとわりつく。タイムの葉が風に揺れて、清涼な香りがかすかに漂った。この香りだけが、屋根裏を屋根裏以上の場所にしてくれる。  寝間着に着替えようとしたとき、扉を叩く音がした。  小さな、遠慮がちな音。拳ではなく、指先で叩いている。叔母なら叩かずに命令する。リゼットなら「ねえねえ」と声をかける。この叩き方は—— 「……エメラ」  セレナの声だった。  扉を開けた。廊下は暗い。蝋燭の灯りが扉の隙間から漏れて、セレナの顔を下から照らした。  泣いていた。  セレナが泣いているところを、初めて見た。十九年間一緒に暮らしてきたわけではない。二年間。それでも二年の間に、セレナが涙を見せたことは一度もなかった。冷淡な目。ぶっきらぼうな口調。「別に」「知らないわ」。感情の表面を鉄板で覆ったような従姉妹。その鉄板が、今、剥がれ落ちていた。  目元が赤い。鼻の頭も赤い。唇を噛んで涙をこらえようとしているが、次々に溢れている。寝間着の袖で頬を拭っているが、追いつかない。髪がほどけて肩にかかり、日中のきちんとした姿とは別人のようだった。 「セレナ。入って」  セレナは一瞬ためらい、それから屋根裏の敷居をまたいだ。この部屋にセレナが入るのは、おそらく初めてだ。狭い部屋の中を見回した。低い天井。古い椅子と机。窓辺のタイムの鉢。枕の上の送れない手紙の束。セレナの目がそれらを一つずつ捉えて、最後にタイムの鉢で止まった。 「……花が咲きそうね」 「うん。もうすぐ」  セレナは机の前の椅子に座った。私はベッドの端に腰を下ろした。蝋燭の炎が二人の間で揺れている。セレナの影が壁に大きく映って、天井の梁にぶつかって折れ曲がっていた。  しばらく、沈黙が続いた。セレナは寝間着の膝の上で指を組み、組み替え、また組んでいた。言葉を探しているのがわかった。いつもなら「別に」で済ませてしまう人が、今夜は別の言葉を選ぼうとしている。 「エメラ」 「うん」 「知っていたの。全部」  全部、という言葉の範囲がわからなかった。噂のこと。遺産のこと。叔母の計算のこと。どこまでを指しているのか。 「マリーヌが教えてくれた。噂の出所が叔母様だということ」 「……そう」  セレナが深く息を吐いた。胸の底から絞り出すような呼吸。目を閉じて、また開いた。睫毛に涙の粒が残っている。 「私は知っていた。最初から」  声が震えていた。セレナのぶっきらぼうな声が、初めて壊れた音を立てた。 「母がベルモン子爵夫人の茶会であなたの噂を流したとき、私はその場にいた。十七歳だった。母の隣に座って、母があなたのことを——あなたのことを『あの子は両親を亡くしてから性格が歪んで、使用人にも当たり散らす手のつけられない子』と話しているのを聞いた」  セレナの指が、寝間着の布を握りしめていた。布に皺が寄って、指の関節が白くなっている。 「嘘だとわかっていた。あなたが使用人に当たり散らすような人間じゃないことくらい、一緒に暮らしていればわかる。あなたは台所で一番丁寧に皿を洗う人だった。叔母に叱られても言い返さない人だった。それなのに母は——」  言葉が途切れた。涙が一筋、頬を伝った。蝋燭の灯りがその一筋を光らせた。 「止めなかった。私は止めなかった。母の隣で、茶を飲んで、黙っていた。帰りの馬車でも何も言わなかった。その後も——一年半。あなたが社交界で『悪役令嬢』と呼ばれるのを見ていて、何もしなかった」 「セレナ——」 「聞いて。全部言わせて。一度しか言えないから」  セレナの目が私を捉えた。涙で赤くなった目の奥に、決意があった。この人もまた、手紙を書くように、一度しか言えない言葉を組み立てている。 「遺産のことも知っていた。父が叔父の計算書を作り直しているのを見た。修繕されていない邸宅の修繕費が計上されているのを見た。母に聞いたら『大人の事情だ』と言われた。大人の事情。その一言で、全部蓋をされた」  セレナの声が平坦になった。感情を抑えているのではない。感情が限界を超えて、逆に凪いでいる。嵐の後の海のような声。 「あなたに冷たくしたのは——半分は母の真似。半分は、あなたを見ていられなかったから。あなたが台所で黙って働いているのを見るたびに、自分が母の共犯者だと思い知らされた。だから目をそらした。『知らないわ』『別に』。全部、逃げるための言葉だった」  セレナが膝に顔を伏せた。肩が震えている。声を殺して泣いていた。嗚咽を漏らすまいとするように、両手で口を覆っている。  私は立ち上がって、セレナの隣に行った。  何を言えばいいのかわからなかった。怒るべきだろうか。責めるべきだろうか。一年半も黙っていた人を。私が社交界で棘に刺されるのを見ていた人を。  でも、今、この人は泣いている。壊れたように泣いている。鉄板を剥がして、その下の柔らかい部分を見せている。それは——手紙を書くのと同じだ。隠していた本当の自分を、紙の上に置くのと。セレナは今、声で手紙を書いている。  セレナの肩に手を置いた。寝間着越しに、肩の骨が小さく感じられた。日中の姿は背筋が伸びて大きく見えるのに、泣いている姿は小さかった。 「セレナ。あなたも、苦しかったんだね」  セレナが顔を上げた。涙で睫毛がくっついて、瞳が裸のように見えた。 「苦しかった、で許されると思わない」 「許す許さないの話じゃない。聞いている。ちゃんと聞いている」  セレナが私の目を見た。長い、静かな時間。蝋燭の炎が一度大きく揺れて、また安定した。 「エメラ。逃げて」 「え?」 「この屋敷から逃げて。母はもうあなたを許さない。あなたが声を上げたから。母は自分に反抗した人間を絶対に許さない。これからもっとひどくなる。遺産のことも、ユリアンのことも、全部使ってあなたを追い詰める」 「逃げない」  私の声は、自分でも驚くほど静かだった。 「まだやることがある。母が遺した文書のこと。ユリアン様に伝えなければならないこと。逃げたら、全部途中で終わる」  セレナが目を見開いた。 「文書?」 「いつか話す。今は、あなたに知ってほしいことが一つだけある」  セレナの手を取った。冷たい手だった。指先が氷のように冷えている。夏の夜なのに。緊張と涙で、血が手の先まで届いていないのだろう。 「恨んでない。あなたのことを恨んでない。最初から——茶会の帰りに、あなたが『出てこなければよかったのに』と言ったとき、冷たいと思った。でも同時に、何か違うものも感じていた。今、わかった。あれは警告だった」  セレナの唇が震えた。新しい涙が、頬を伝った。 「私は卑怯だった」 「卑怯かどうかは、これから決まる」  その言葉は手紙の言葉だった。紙の上の私が言いそうなこと。でも今、声の私がそれを言えた。二つの私が、少しずつ近づいている。  セレナは長い間泣いていた。泣き疲れて、膝に顔を伏せたまま動かなくなったとき、私は毛布をセレナの肩にかけた。セレナは何も言わず、毛布の端を握りしめた。  やがてセレナは立ち上がり、目元を袖で拭い、扉に向かった。振り返らなかった。 「……おやすみ」  それだけ言って、廊下に消えた。足音が階段を下りていく。セレナの足音は軽い。泣いた後なのに、軽い。何かを降ろしたのだろう。背負っていたものの、ほんの一部でも。  扉を閉めた。屋根裏が静かに戻った。蝋燭の芯が赤く光っている。あと少しで燃え尽きる。  ドレスの内ポケットに手を入れた。手紙はまだここにある。明日の朝、マリーヌに渡す。セレナが「逃げて」と言った。けれど逃げない。逃げるのではなく、立ち向かう。手紙を送ることが、私の立ち向かい方だ。  蝋燭が最後の光を放ち、消えた。暗闇の中で、窓辺のタイムの蕾が夜風に揺れていた。明日の朝、この手紙は私の手を離れる。ユリアン様の手に届く。そして——返事が来る。いつになるかわからない。でも、来る。あの人は手紙を止めないと言った。  目を閉じる前に、もう一つだけ考えた。セレナの涙は、温かかった。あれは一年半分の涙だ。凍っていたものが溶けた涙。叔母の家で、凍っていたのは私だけではなかったのだ。

この話はいかがでしたか?

次の話を読む →

第21話「第21話「返事のない朝」」

↓ スクロールで次の話へ