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密室の薬師、推理で濡れ衣を晴らす

第2話 第2話

第2話

第2話

夜明けの鐘が三つ鳴った。

普段なら二度寝の誘惑に負ける時刻だが、この日は違った。私はすでに台所で湯を沸かしていた。湯気越しに窓を見る。路地はまだ青い闇に沈み、石畳が昨夜の雨でぬめって光っていた。

帳面を卓に広げ、宮廷時代の調合記録を一枚ずつ確認していく。ヘルマン侍従長に納品した薬は、過去二年で十七件。すべて治療用。致死量に達する処方は一つも含まれていない。この記録さえ読まれれば、私の無実は——。

扉が叩かれた。

叩くというよりは、殴打だった。鉄鋲を打ち込まれるような音が三連打。私の心臓が一拍遅れて追随する。帳面を閉じる間もなかった。

「王都警備隊である。リーゼ・ヴァルツェル、扉を開けよ」

低く、乾いた声。交渉の余地を含まない声だ。私は湯を火から下ろし、前掛けで指先を拭った。震えていない。自分でも意外なほど、指は静かに動いた。

鍵を外し、扉を引く。

立っていたのは五人だった。鎖帷子の上に緋色の外套を羽織った警備隊員が四人、その後ろに書類鞄を抱えた文官が一人。先頭の男が一歩踏み込み、私の胸元に丸められた羊皮紙を突きつけた。

「毒殺容疑による逮捕状だ。抵抗するな」

羊皮紙を受け取る。王都警備隊長の封蠟。日付は今朝。容疑事実——宮廷侍従長ヘルマン・オルデンブルクに対する毒殺。証拠として、現場に残された薬瓶の刻印、および同薬瓶内部から検出された毒物の残留。

「薬瓶の中身を調べたのですね」

私はつとめて平坦な声で言った。警備隊員の片眉が上がる。

「自白するつもりか」

「いえ。毒物の報告書を見せてください」

「被疑者に開示する義務はない」

「開示されなければ、私は反論の機会を失います。弁明の権利は認められているはずです」

男は舌打ちした。後ろの文官が鞄から書類を取り出し、渋々といった仕草で私の前に広げる。一枚目に毒物検出報告書。鑑定を行ったのは王立検死院の薬毒検査官。署名はオーデル・フィッシャー——宮廷時代に一度だけ会った、几帳面な男の名だった。

報告書に目を走らせる。検出成分の項目が五つ。主成分は「トリカブト属由来のアコニチン系」。結合した副成分として、砒の痕跡、甘草由来のグリチルリチン、そして——。

私は二度読み返した。

妙だ。

アコニチンを主毒とする場合、甘草由来の成分を併用することはまずない。グリチルリチンはアコニチンの毒性を中和する方向に作用する。毒を盛るなら、むしろ併用を避ける組み合わせだ。それなのに、報告書は両者が同一瓶内から検出されたと記している。しかも配合比率は——グリチルリチンの方が三倍近く多い。

これは毒薬ではない。毒薬のふりをした何かだ。

「この報告書には矛盾があります」

私は警備隊員に報告書を差し戻した。先頭の男の眉間が深くなる。

「何を言っている」

「成分配合が根本的に違います。アコニチンに対してグリチルリチンを三倍量で併用すれば、毒性は大幅に低下する。私が調合した痕跡だとしても、これは人を殺せる薬ではありません」

「薬瓶の中身が毒だと、検査官が言っているんだ」

「検出されたことと、致死性があることは別の話です。瓶の中身を侍従長が摂取したとしても、致死量には達しない。侍従長を殺した毒は、別にあります」

警備隊員たちが顔を見合わせた。文官が書類を覗き込み、首を傾げている。誰も薬学の知識を持ち合わせていない。配合比率の数字が意味するところを、この場で理解できる者はいなかった。

「屁理屈だ」

先頭の男が吐き捨てた。

「お前は毒を持ち込んだ。現に瓶に毒物が残っていた。それで十分だ」

「十分ではありません。この成分構成からは、別の仮説が立ちます。この薬瓶は——」

「黙れ」

男の手が私の肩に伸びた。鉄籠手の冷たさが肩骨に食い込む。痛みよりも、議論を遮断される不快感が先に来た。理屈が届かない相手に、理屈で抗う無力さ。既視感がある。一年前、ヴェルナーの前で同じ無力を味わった。

「連行しろ」

後ろの隊員二人が私の腕を取った。抵抗しても意味がない。抵抗すれば罪状が一つ増えるだけだ。私は帳面を目で追った。卓の上に開きっぱなしになっている調合記録。あれを押収されれば、反論の足場すら消える。

「帳面を——」

「証拠として押収する」

文官が無感情に言い、帳面を鞄にしまった。

外に引き出される。路地には夜明けの光が差し込みかけていた。店の前に小さな人だかりができている。早朝にもかかわらず、野次馬が集まっていた。誰かの口笛。誰かの罵声。私は視線を落とし、警備隊の馬車に乗せられた。

馬車の中は狭く、窓に鉄格子が嵌まっていた。隊員一人が向かいに座り、腰の剣に手を置いて私を監視している。車輪が石畳を踏む音が規則正しく刻まれ、王都の目抜き通りを抜け、警備隊本部へと向かっていく。

本部に着いてからの半日、私は取調室の椅子に縛り付けられた。尋問官が三度入れ替わり、同じ問いを角度を変えて浴びせてくる。どこで毒を入手したか。どうやって侍従長の部屋に侵入したか。共犯者は誰か。私が答えを返すたび、記録係の羽根筆が音を立て、そしてまた同じ問いが繰り返される。

陽が傾きかけた頃、尋問室の扉が開いた。

入ってきたのは、それまでとは違う男だった。

年の頃は二十代半ば。警備隊の制服ではなく、濃紺の略式外套。腰には短剣のみ。髪は灰褐色で、無造作に後ろへ流している。何より目を引いたのは、その目つきだった。疲れと鋭さが同居している。夜を徹した人間の目だ。

「席を外してくれ」

男が尋問官たちに低く言うと、彼らは不満げに立ち上がり、記録と共に退室した。扉が閉まる。男は私の正面に座り、机の上に薄い冊子を置いた。

「王都警備隊、特別捜査官ノエル・カレンバッハ」

男は名乗り、私の顔を見た。

「一つ、聞かせてほしい。今朝の報告書、あんたは『成分配合が根本的に違う』と言ったそうだな。具体的には、何が違う」

私は男の目を見返した。罠を仕掛ける目ではない。何かを確かめる目だった。

「アコニチンとグリチルリチンの併用は、毒殺を目的とする調合では行われません。グリチルリチンはアコニチンの毒性を中和する方向に働きます。あの瓶の内容物は、致死量を摂取しても人を殺せない」

「つまり、侍従長を殺した毒は、あの瓶には入っていなかった」

「瓶は偽装です。真の毒は別に存在し、別経路で侍従長に投与された。密室で死亡したのは、たまたまその場所で致死量に達したからにすぎません」

男——ノエルは、机の下で指を組んだ。数秒、沈黙が続いた。彼は何かを計算している。私の言葉の真偽ではなく、私の言葉を採用した場合に自分が払う代償を、計算しているように見えた。

「三日だ」

ノエルが言った。

「あんたの主張が正しければ、真犯人は別にいる。だが警備隊の公式捜査は、あんたを犯人と決めてかかっている。正規の手順では、あんたの無実は証明されない」

「あなたは——信じるのですか」

「信じるかどうかじゃない。報告書の矛盾は本物だ。俺は検査官のフィッシャーに照会した。フィッシャーも成分構成を不審に思っている。だが、上は聞く耳を持たない」

ノエルは冊子を開き、私の前にそっと押しやった。毒物検出報告書の写しだった。

「非公式に、協力してほしい。三日以内に真犯人を示せれば、逮捕状は取り消せる可能性がある。それ以上は、俺にも保証できない」

「なぜ、そこまで」

「理由は、追々話す」

ノエルの視線が一瞬、机の木目に落ちた。そこに個人的な何かが沈んでいるのを、私は感じ取った。だが彼はそれを口にしなかった。

「協力します」

私は短く答えた。迷う余地はない。正規の手順で無実を証明する手段を持たない以上、この申し出に乗るほかない。

「ただし条件があります。私の調合記録——帳面を返してください。それと、現場の検証。遺体の状態と、侍従長の部屋そのものを、この目で確かめたい」

ノエルの口の端が、わずかに動いた。笑ったのだと気付くのに、数秒かかった。

「要求が多いな。まあいい、帳面は取り戻す。現場は——」

彼は窓の外の夕陽を一瞥した。

「今夜、王宮に忍び込む。表から入る権限は、俺にもない」

鎖錠の音がして、私の腕の拘束が解かれた。自由になった手首に、縄の痕が赤く残っている。その赤を見ながら、私は思った。三日という時間の短さを。そして、夜の王宮で私が探し出さねばならないものの多さを。

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