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密室の薬師、推理で濡れ衣を晴らす

第3話 第3話

第3話

第3話

警備隊本部の裏口から外に出ると、空はすでに藍色に沈みかけていた。

ノエルは私を本部の敷地内にある小さな詰所に案内した。書類棚と長机、痩せた椅子が二脚。使われていない物置を簡易の執務室に改装したらしい。煤けた窓から、夕陽の最後の赤が斜めに差し込んでいる。ノエルは扉の内側で閂を下ろし、棚の奥から革袋を取り出した。私の帳面だった。

「取り戻してきた。尋問官は渋ったが、押収品目録に載せる前に抜いた」

私は袋を受け取り、中身を確かめた。調合記録の写し、薬草の分類表、書き込みだらけの余白。一枚も欠けていない。指先で紙の端を撫でると、一年半ぶりに自分の手に戻ったような感覚があった。

「感謝します」

「礼はいい。本題に入ろう」

ノエルは長机の上に、先ほど見せた報告書の写しと、もう一枚別の書類を並べた。後者は手書きの走り書きで、覚え書きのような体裁だった。

「これは検査官フィッシャーが個人的に取った、検体の追加分析だ。公式報告には載っていない。俺が頼んで、内々に回してもらった」

私は椅子に腰を下ろし、覚え書きに目を落とした。

そこには、公式報告に記載された主成分の欄の下に、微量成分の分離結果が列記されていた。アコニチン系アルカロイドの純度——九八・三%。精製残滓がほぼ検出されない。

私は息を呑んだ。紙の端を持つ指に力が入り、爪の先が皺を作った。胸の奥で、鼓動がひとつ遅れて打った。フィッシャーという検査官の筆致は几帳面で、小数点以下の桁まで定規を当てたように揃っている。仕事への執心が、文字の隙間から滲み出ていた。

「これは——」

声が喉で詰まった。唾を飲み下し、もう一度数字を読み返す。

「純度九八・三%。この数字の意味が、わかりますか」

ノエルが私の顔を覗き込んだ。私の反応が、彼の予想のどこかを超えたらしい。

「いや、俺にはわからない。教えてくれ」

「アコニチンはトリカブトの根から抽出します。一般的な抽出法——煎じて濃縮する、あるいは乾燥粉末にして溶媒を通す——これらの手順で得られる純度は、せいぜい六〇から七〇%です。八〇%を超えれば、それだけで薬師団の精鋭級の技術が要る」

「九八%というのは」

「宮廷薬師団でも、専用設備を使って熟練の薬師が数日かけて手がけないと届かない数字です。しかも、精製残滓がほぼ検出されない——不純物を除去する工程まで完璧に制御されている。闇市で流通する毒物の純度は通常三〇%以下。これは市井の毒殺者が用意できる代物ではありません」

言い切ってから、私は自分の声の乾きに気づいた。独房では、薬学の言葉を口にするのは半年ぶりだった。舌が、ほんの少しだけ、その感覚を思い出しかけていた。

ノエルの目が細くなった。彼は報告書の方を指先で叩いた。

「犯人は、薬学の専門家だ」

「専門家という言葉では足りません。宮廷薬師団の設備と知識を持ち、かつ人目を避けて長期間の精製作業を行える環境を持つ者。その条件を満たす人間は、この王都に数えるほどしかいない」

私は覚え書きに視線を戻した。微量成分の欄に、もう一つ見覚えのある記載があった。甘草由来のグリチルリチン、そして——「微量の銀色結晶片、由来不明」。

「この銀色結晶片——」

「フィッシャーもそこに印を付けていた。市販の薬草には含まれない成分だ、と」

「心当たりがあります」

帳面を開く指が、自然と特定の箇所を探していた。一年前、ヴェルナーの書庫で目にした希少植物の記載。南部の山岳地帯にのみ自生する、銀色の葉脈を持つ蔓性植物。図版の横には小さな注意書きがあった——葉脈の結晶は光に当てると薄く虹を帯びる、と。覚え書きに記された『銀色結晶片』の描写と、記憶の中の注意書きが静かに重なっていく。その名を口にする前に、ノエルが先を急いだ。

「それは、毒殺に使える植物か」

「慢性投与に向く毒です。少量ずつ長期間摂取させることで、標的の体内に蓄積し、あるとき致死量に達する。即効性の毒とは違う、静かな毒」

「密室で死んだ理由が、見えてきたな」

ノエルの声が低くなった。私は頷いた。

「犯行は一瞬ではなく、数日、あるいは数週間かけて行われた可能性があります。侍従長は知らぬうちに毒を摂取し続け、最後に鍵のかかった部屋で息絶えた。密室は殺害現場ではない。死亡現場にすぎません」

ノエルは黙ったまま、長机に両手をついた。指の節が白くなるまで力が入っている。夕陽が窓枠を離れ、部屋が青い影に沈みかけていた。彼は顔を上げなかった。机の天板を通して、彼の息づかいの震えが伝わってきそうな気がした。窓の外では詰所の庇を小鳥が掠め、遠くで馬のいななきが夕闇にほどけていく。私は呼吸を浅くして、次の一言を待った。

「姉が、いた」

ぽつりと、彼は言った。語尾が掠れ、自分の声に驚いたように、彼は一度だけ唇を結び直した。空気が、一段沈む。

私は口を挟まなかった。

「三年前、同じような形で死んだ。鍵のかかった部屋で、遺体の傍に薬瓶があった。公式記録は『自殺』で処理された。毒の検出はされたが、成分構成については——『不明瞭』の一言で片付けられた」

言葉の端々に、何度も飲み込まれてきた怒りの粒が混じっていた。それは三年の歳月で角が丸くなるどころか、磨かれて鋭くなっているようだった。

ノエルの指がもう一枚、覚え書きの下から別の紙片を引き出した。古い色の紙。端が擦り切れ、黄ばんでいる。

「これが、そのときの検査記録の写しだ。当時フィッシャーはまだ新米で、写しを一部取って保管していた」

紙片を滑らせて寄越す。私は受け取り、文字を追った。アコニチン系アルカロイド。グリチルリチン。そして——銀色結晶片、由来不明。

三つが揃っていた。偶然で片付けるには、揃いすぎている。薬学に携わる者なら、誰でも指先が冷える並びだった。

私は顔を上げた。

「同じ犯人ですね」

「俺が、そう思いたいだけかもしれない。だが成分構成が一致しすぎている。三年前に姉を殺した毒と、今回侍従長に使われた毒は、ほぼ同じ手で精製されている」

「それで、あなたは——」

「姉の事件は再捜査されなかった。上に掛け合っても、自殺で処理済みの案件は蒸し返せない、の一点張りだった。俺は警備隊に入って、内部から突破口を探してきた。三年間、何も掴めなかった」

ノエルは姿勢を戻し、私の目を見た。

「今回の事件は、同じ犯人が再び動いた証拠だ。あんたが無実を証明できれば、真犯人の特定につながる。真犯人が特定されれば、三年前の姉の件も、再捜査の足掛かりになる」

彼の目の奥に、押し殺された熾火があった。三年という時間、彼は一人でこの火を守り続けてきたのだろう。公式記録が閉じた扉を、別の角度からこじ開ける機会を、ずっと待っていた。

「だから、私を信じるのですね」

「信じる理由が、俺にはある」

私は帳面を閉じた。音もなく閉じたのに、妙に重い音が部屋に残った気がした。一年半、独房の冷たい石に押しつけられていた感覚が、指先からようやく剥がれ落ちる。帳面の表紙の、擦れた角の感触だけが、私を今に繋ぎ止めていた。

「条件があります」

ノエルの眉が上がる。

「条件は聞いたはずだが」

「追加の条件です。私が無実を証明するためだけではなく、あなたの姉上の件も含めて、真犯人を追う。三日では足りない可能性が出てきたら、あなたの判断で捜査を継続する——それを認めてください」

しばらく、ノエルは答えなかった。彼は窓の外に視線を移し、詰所の壁の煤を見ていた。煤の向こう側に、三年前の自分を見ているような目だった。そして、ゆっくりと頷いた。

「約束しよう」

「では、今夜」

私は立ち上がった。

「侍従長の部屋を検証させてください。遺体はまだ王宮の霊安室にあるはずです。遺品と現場——両方を、この目で確かめる必要があります」

「今夜は月が細い。裏手の回廊なら衛兵の巡回が間延びする時間帯がある」

ノエルも立ち上がった。腰の短剣の位置を手で確かめる仕草に、迷いはなかった。

「亥の刻に、王宮北門の外で落ち合おう。地味な外套を羽織ってくれ。薬師らしくない格好の方がいい」

彼はそれだけ言うと、壁際の棚から擦り切れた鼠色の外套を取り出し、私の方へ押しやった。布地は安物の毛織だったが、裏地に縫い直しの跡が幾筋も走っていた。——姉のものかもしれない、と思ったが、訊かなかった。

ノエルが扉の閂に手をかける。金具の擦れる小さな音が、妙にはっきりと耳に残った。窓の外で、夜の鐘が一つ鳴り始めた。最初の一打が、胸の底に静かに落ちた。

三年の沈黙と、三日の猶予が、今夜、同じ扉の前で交わる。

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