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薬師の密室 〜辺境の毒殺〜

第2話 第2話

第2話

第2話

リーネと名乗った少女を薬舗の中へ通した。土間の椅子を勧めると、浅く腰掛け、膝の上で両手を固く握る。指の関節が白くなるほどの力の入れようだった。

「お父上のご不幸、心よりお悔やみ申し上げる」

リーネは小さく頷いた。だが目は伏せなかった。涙を堪えるために瞬きを止めている——そんな堪え方だった。

「先生。……父は、心臓が弱かったのでしょうか」

その問いで、私は身構えた。遺族が遺体を受け取る前に、まず薬師を訪ねてくる理由は限られている。納得のいかない死に方だったと感じているからだ。

「診察したわけではないが、遺体の様子から推測するなら——」

私は言葉を切った。爪の変色を口に出すべきか、迷いがあった。確証のない疑念を遺族に告げれば、彼女をさらに苦しめる。ヴォルフが病死と処理する以上、それで終わらせるのが筋だ。

だが、リーネが顔を上げた。

「父は薬売りでした。自分の身体には誰よりも気を遣う人でした。毎朝脈を取り、塩を控え、酒は宴席でしか口にしません。三年前に王都の医師にかかった折も、心臓に異常はないと言われています」

声が震えていた。悲しみではなく、怒りに近い震えだった。

「それなのに駐在の方は、心臓発作で書き残そうとしています」

唇が薄く結ばれ、その端が小刻みに震える。怒りを形にしてはなるまいと、彼女自身がその震えを噛み殺している——そう見えた。膝の上の両手は握りしめたまま、爪先が自分の手の甲に食い込んでいる。痛みで泣き声を封じようとしているのかもしれなかった。

——やはりか。

胸の奥で、朝から鳴り続けていた警鐘が一段と大きくなった。遺族の証言というものは、しばしば検屍官の所見より正確だ。日々父親の健康を身近に見てきた娘が「弱くなかった」と断言するなら、それは医学的所見に匹敵する重みを持つ。

「リーネ殿。一つ聞きたい。お父上は、最近どこか不調を訴えておられなかったか」

「いいえ、一度も」

「食欲は」

「この村に着いた晩、宿の宴会で山羊の肉を三切れ食べたと、翌朝の書簡に書いてありました。健啖の部類です」

書簡。書き残す習慣があったのか。私は視線をリーネの膝元の革鞄に向けた。彼女が抱え込むそれは、明らかに大事な何かが入っている。だが今はまだ、そこに触れるべきではない気がした。

「もう一度、ヴォルフのところへ行こう」

私は立ち上がった。調合台の下から革袋を取り出し、細長い硝子管と銀の針を中に入れる。宮廷から持ち出した道具のうち、検屍に使える最低限の品だ。二年間、埃を被らせてきたが、手入れは怠っていない。道具の方が、持ち主より先に用意を済ませていた。

宿屋〈鹿の角亭〉に戻ると、ヴォルフは酒場の卓で報告書を書き終えようとしていた。私の姿を見て眉を寄せる。リーネを見て、さらに眉間の皺が深くなった。

「娘さんか。すまないが、遺体はもう布をかけた。面会は明日の朝でいい。今は——」

「ヴォルフ。報告書を出す前に、もう一度だけ話を聞いてくれ」

「エルト先生、朝の話ならもう——」

「爪の変色が示す毒草の名前を言う」

酒場のざわめきが、一瞬だけ削れたように感じた。

ヴォルフは羽ペンを置いた。私を見る目に、困惑と苛立ちが混じっている。

「どこで話す」

「二階でいい」

遺体のある部屋に戻り、私は白布をめくった。リーネが短く息を呑む。だが踵は引かなかった。父親の顔を真正面から見据え、両手で口元を押さえて立ち尽くす。涙は流さなかった。

「見てくれ、右手の爪だ」

朝と同じ位置に、同じ灰青色の変色が残っていた。死後硬直が進み、皮膚は一段と蒼白になっている。変色の輪郭は、朝よりくっきりと縁取られていた。

「この色は灰月草の代謝物が爪母基に沈着したときに限って現れる。灰月草は、王都の毒物名鑑に第三類劇毒として記された薬草だ。葉を乾燥させ、酢で晒して精製すると、致死量は成人で〇・三グラム。服用後、油脂に溶かせば三時間で、酒精に溶かせば八時間で、水に溶かせば六時間で発現する」

数字を並べた。曖昧な所見ではなく、具体的な毒理として提示したつもりだった。ヴォルフの顔色が少し変わる。

「発現は心停止に酷似する。苦悶は軽く、顔色は蒼白。遺体に争った跡が残らない。だから心臓発作と誤認される。王都の検屍録では、灰月草中毒を病死として処理した例が過去にも複数ある」

「——待てよ、先生」

ヴォルフが手を挙げた。

「あんたの言う毒草は、この辺境に生えているのか」

「生えない。栽培には酸性の山地土と、年間千二百ミリ以上の雨量が要る。ハーゼル村の土と気候では育たない」

「だったら毒はどこから持ち込まれた」

「それを調べるのが、あんたの仕事だろう」

ヴォルフの頬が引き攣った。

しばらくの沈黙のあと、ヴォルフは帽子を脱ぎ、汗ばんだ額を手の甲で拭った。

「エルト先生。あんたの見立てが正しいと仮定しよう。毒殺だ。だが俺が報告書を毒殺に書き換えるには、それを裏付ける物証がいる。爪の色は、あんた以外の誰が見ても判別できない」

「だから検屍用の試薬で反応を出す。銀と灰月草の代謝物は、薄い硝酸溶液の中で淡黄色に濁る」

「試薬はあるのか」

「宮廷から持ち出した品が、薬舗に残っている」

「では王都に届く公的鑑定書は」

「ない。私はもう鑑定資格を持たない」

ヴォルフが首を横に振った。

「それだ、先生。俺だって馬鹿じゃない。あんたの腕はこの二年見てきた。だが上に上げる紙には、資格持ちの医師の署名が要る。辺境まで検屍官を呼ぶには、王都への早馬が往復で七日、費用は村の年税の三分の一だ。村長がその金を出すと思うか。それとも、先生が個人で払うのか」

私は答えられなかった。

払えない額ではない。だが——それを払った瞬間、私はこの村の「隠居した薬師」ではなくなる。「宮廷の人脈を使って事件に介入する元宮廷薬師」になる。ハーゼル村に根を下ろした二年が、それで根こそぎ崩れる。

「心臓発作で処理する。これは決定だ」

ヴォルフは羽ペンを取り、報告書の余白に署名を加えた。駐在の印が、静かに紙へ落ちる。その音が、妙に遠く聞こえた。

インクが紙に吸い込まれていくまでの数瞬、部屋の誰も身じろぎしなかった。階下の酒場からは昼前の笑い声が届き、窓の外では鶏が一声、高く鳴いた。その日常の音が、寝台に横たわる男の沈黙をかえって際立たせる。ヴォルフは報告書を丁寧に折り畳み、内懐の革袋にしまった。紙の擦れる音が、止まった遺体の呼吸の代わりのように、一度だけ短く響いた。

リーネがこちらを見ていた。責める目ではなかった。ただ、縋るような、それでいて何かを堪えた目だった。私はその視線から逃れるように、寝台の白布を元通りにかけた。布の端が遺体の右手に触れる。灰青色の爪が、白布の下に隠れた。

宿屋を出ると、正午近い陽射しが通りを照らしていた。朝より光が強く、眩しさに目を細める。リーネは私の半歩後ろを、黙って歩いていた。足音だけが乾いた土を踏んでいる。私は何も言えなかった。言葉を掛ければ、自分の中途半端な関与を肯定することになる。

薬舗の前まで戻り、私は振り返った。

「——すまない。これ以上、私にできることはない」

リーネは少しの間、俯いていた。そして鞄の紐を握り直し、顔を上げた。

「先生。一つだけ、お尋ねしてよろしいですか」

「何か」

「『霜抜けの十三薬』という調合を、ご存知でしょうか」

指先が、微かに冷えた。

それは私が宮廷にいた最後の年、北方の毒殺未遂事件に対応するために設計した解毒剤の通称だ。正式な名称ではない。研究室の内輪でのみ使っていた呼び名で、外部に出した記憶はない。王都の毒物目録にも、どの薬学書にも載っていない。

あの年、徹夜続きの研究室で十三種の生薬を秤にかけた夜々、蝋燭の芯が爆ぜる音、酢に晒した根の匂い、指先を染めた樹液の渋み——忘れたはずの記憶が、名前一つで雪崩のように戻ってくる。冷えは指先から手首へ、肘へと這い上がり、胸の奥で一度だけ鋭く脈打った。

「——誰から、その名を」

「父の書き残したものの中に、その名前がありました。『もしもの折は、ハーゼル村のエルト殿に預ければよい』と、書き添えて」

風が止まった。

私の知らぬところで、死んだ男は私の名を、そしてあの調合の名を、書き残していた。

リーネが鞄を胸に抱き直した。その中に、父の書き残した何かがある。いま開くべきではない、という娘の判断が、その抱え方に滲んでいた。

「明日、もう一度伺ってよろしいでしょうか」

私は頷いた。頷くしかなかった。

薬舗の扉が閉まる音を背に受けながら、私は土間の冷たさを靴底に感じていた。——もう、逃げられない。そう悟った。

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