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社畜スキルで異世界成り上がり

第11話 第11話

第11話

第11話

Fランクの初依頼は、下水道のネズミ駆除だった。

カウンターで依頼書を受け取ったとき、受付嬢が申し訳なさそうな顔をした。「Fランクに出せる依頼は限られていまして」。わかっている。新人は雑用から。前の世界でも同じだ。入社初日にコピー取りを命じられて腐った同期がいたが、俺は何も思わなかった。仕事に貴賤はない。面倒な仕事ほど、手を抜かずにやる人間が評価される。

下水道の入口はギルドの裏手にあった。石造りのアーチをくぐると、湿った暗闇が広がる。足元に水が流れている。膝下までの深さ。冷たい。靴が水を吸って重くなる。

匂いが、すごい。

人の生活排水と、何かの腐敗臭と、石の匂いが混じった独特の悪臭。鼻が曲がるとはこのことだ。マルタの山羊小屋が楽園に思える。

依頼書によると、下水道の第三区画にネズミ型の魔獣が繁殖しているという。通常のネズミより大きく、牙に微弱な毒を持つ。致死量ではないが、噛まれると高熱が出る。

ランタンを掲げて奥に進む。石壁が水滴で光っている。天井から滴が垂れてきて、首筋を伝った。冷たさに肩が跳ねる。

第三区画に入った途端、音が変わった。チチチ、と高い鳴き声が複数方向から反響する。壁の穴や排水口の裏から、赤い目が光っている。

数を数えた。十二。いや、十五はいる。体長は猫ほど。だが牙が通常のネズミの三倍はある。黒い毛皮が濡れて光っている。目は赤い。森の魔獣と同じ赤だ。小型だが、確かに魔獣だ。

普通の冒険者なら、ここで剣を抜いて一匹ずつ斬るのだろう。酒場で隣のテーブルにいたEランクの男が、「下水ネズミなんて踏み潰せばいい」と笑っていた。だが俺は武器が得意じゃない。槍もまともに振れなかった男だ。力任せの解決は、俺の得意分野じゃない。

代わりに、段取りを組んだ。得意分野で戦う。不得意な領域で消耗するな。リソースを強みに集中させろ。それが社畜の生存戦略だ。前の世界で唯一学んだ、有効な教訓。

まず第三区画の構造を把握する。水の流れの方向。穴の位置。ネズミの移動パターン。五分ほど観察して、わかったことがある。ネズミたちは水流に逆らって移動しない。つまり、下流側に追い込めば逃げ場がなくなる。

排水口を塞いだ。持ってきた布と石で仮設の堰を作る。ネズミの退路を三箇所封鎖。残った一つの穴——最も狭い通路——に追い込む。

次に、薬を使った。マルタにもらった獣避けの香油を布に染み込ませ、上流側から順に穴に詰めていく。匂いに追われたネズミが下流に集中し始める。

最後に、掌のスキルを使った。

意識を集中する。掌の紋章に熱が戻る。だが今回は、あの夜のように溢れさせない。「表面だけ」。狭い通路の入口で、ネズミの群れが固まった瞬間を狙い——

「剥離」

ネズミの毛皮が剥がれた。毛と皮の間の結合だけを狙って、表面一層を剥離する。ネズミたちが一斉に悲鳴を上げ、丸裸になった小さな体が水の中で暴れた。毒牙は残っているが、体温調節ができなくなった裸のネズミは、冷たい下水の中で急速に弱っていく。

十五匹すべてが動きを止めるまで、二十分。

ランタンの光の中で、毛皮を失ったネズミの体を確認した。赤い筋肉が露出している。小さな体が水面に浮かんで、流されていく。残酷な光景だが、これが仕事だ。感傷に浸る余裕はない。依頼は「駆除」であり、「共存」ではない。

一匹だけ、まだ微かに動いていた。尾が水面を叩いている。赤い目の光が薄れていく。止めを刺すべきか。迷いは一瞬だった。石を拾って、素早く。苦しませない方が良い。

手が汚れた。血と下水で。指の間がぬるりと滑る感触。洗いたいが、ここは下水道だ。水で洗えば余計に汚れる。乾いた布で拭った。

——この「汚れ仕事を淡々とこなす」感覚も、覚えがある。トラブル案件のリカバリー。誰もやりたがらない深夜対応。押しつけられて、文句も言わず、処理する。そういう仕事を「泥かぶり」と呼んでいた。誰が。前の世界の誰かが。

下水道を出ると、秋の冷たい空気が肌に当たった。地下の湿った空気から解放されて、肺が膨らむ。空が青い。下水の中に二時間もいると、空の色がやけに鮮やかに見える。

掌の反動は軽かった。全力で放ったあの夜とは違い、今回は「範囲」と「深度」を制限した。魔獣の甲殻を三層丸ごと剥がすのと、ネズミの毛皮一層を剥がすのでは、消耗が桁違いだ。

なるほど。この力は、使い方を変えれば消耗をコントロールできる。範囲を絞り、深度を浅くすれば、反動は小さい。

——工数管理と同じだ。リソースの配分を間違えなければ、デスマーチにはならない。

ギルドに戻って報告書を書いた。場所、数、使った手段、所要時間、改善案。A4一枚にびっしりと。

受付嬢が報告書を受け取って、目を丸くした。

「こんなに詳しい報告書は初めてです。通常、Fランクの方は『やりました』の一言で……」

「報告は正確に。現場の情報は後から活きるので」

報連相。社畜の基本中の基本。入社一年目、上司に「やりました」だけで報告したら、「具体的に何をどうしたのか説明しろ。お前の報告からは何も判断できない」と叱られた。あの日から報告書のフォーマットが体に刻まれた。あのとき叩き込まれた習慣が、異世界のギルドで役に立っている。皮肉だ。

翌日、二件目の依頼。下水道の別区画。今度は二十匹。同じ手順で効率的に処理した。報告書を出す。三日目、三件目。四日目、四件目。

五日目に受付嬢が言った。

「レンさん、Fランクの下水道依頼、全件完了です。残っているFランク依頼は……清掃と配達のみですが」

「全件?」

「はい。今月出ていた下水道依頼、八件すべてです」

五日で八件。他のFランク冒険者は一件に二日かかっていたらしい。依頼完了数だけなら、月間トップ。しかも報告書が正確だから、ギルド側の事後処理も楽だ。

前の世界の感覚で言えば、「KPIが回っている」状態。数字で成果が見える。評価に直結する。この感覚は——危険なほど心地いい。

社畜時代もそうだった。残業が増えるほど、こなしたタスクの数が増える。数字が上がると、自分に価値があると錯覚する。その錯覚が、体を壊すまで俺を走らせた。

今は違う、と思いたい。だが掌の疼きと同じで、この「成果の快感」も制御しなければならないものかもしれない。

「依頼完了率と報告書の精度が規定を超えています。昇格審査の対象になりますが、希望されますか」

Fランク五日目で昇格審査。早いのか遅いのかわからない。だが——断る理由がない。

「お願いします」

受付嬢が書類を出しながら、ふと顔を上げた。

「レンさん。ハインツさんが、お話があるそうです。明日の朝、奥の相談室で」

ハインツ。マルタの知人。まだ会っていなかった。毎朝ギルドに来ているが、タイミングが合わなかった——いや、向こうが意図的に時間を置いていた可能性もある。俺の動きを観察してから接触するつもりだったのかもしれない。

宿の部屋に戻った。途中で串焼き屋に寄った。入隊初日から気になっていた屋台だ。硬貨を一枚渡すと、肉の串を二本もらえた。鶏ではない。何かの鳥の肉。噛むと、脂がじゅわりと口の中に広がった。塩と香辛料。簡素だが、旨い。村の干し肉とは次元が違う旨さだ。立ち食いしながら、通りを行く冒険者たちを眺めた。腰に剣を帯びた男。杖を持った女。金属の鎧を着た大男。色とりどりの人間が、それぞれの速度で歩いている。

夜。窓の外に王都の夜景が見える。松明とランタンの光が通りを照らし、酒場から笑い声が漏れてくる。辺境の村とは音の密度が違う。

ベッドに座って、掌を見た。紋章が薄く脈打っている。

五日間で学んだことがある。

この力は、制御できる。範囲と深度を調整すれば、暴走しない。ネズミの毛皮を剥がすだけなら、反動はほぼゼロだ。

だが逆に言えば、制限を外せば——あの夜のように、すべてを剥がす。

社畜時代、俺は常にリソースの100%を投入していた。余力を残さず、全力で、毎日。その結果、壊れた。

この力も同じだ。100%を使えば、壊れる。だから制御する。70%で安定運用。余力を残す。デスマーチにしない。

それは正しい判断のはずだ。

なのに、掌の奥で「何か」が疼いている。もっと使え、と。もっと深く、もっと広く、もっと——。

握りしめた。

まだ早い。100%は、まだ使うな。

窓の外で酔っ払いが歌っている。調子外れの歌が夜空に溶けていく。平和な音だ。

だが俺の掌は、静かに熱を帯び続けていた。

ベッドに横になる。天井の木目を見つめる。明日、ハインツに会う。マルタの知人。マルタの手紙を待っていた人。あの老婆が信頼する相手だ。

何を聞かれるのか。何を教えてくれるのか。あるいは——何を警告されるのか。

目を閉じた。眠りに落ちる前に、マルタの声が耳の奥で響いた。

「使い方を間違えるんじゃないよ」

間違えない。間違えたくない。だが、何が「正しい使い方」なのか、まだわからない。

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