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社畜スキルで異世界成り上がり

第12話 第12話

第12話

第12話

ハインツは、想像していたのと違った。

マルタの知人と聞いて、同年代の老人を想像していた。だが相談室に現れたのは四十代半ばの男だった。短く刈り込んだ灰色がかった髪。体格は中肉中背。目立つ風貌ではない。だが目だけが違った。鷹のように鋭い。人を値踏みする目ではなく、人を見抜く目。マルタと同じ種類の視線だった。

「佐伯蓮、か。マルタの手紙で聞いている」

ハインツが対面の椅子に座った。テーブルの上にマルタの手紙を広げている。封が切られていた。先月届いた別便の方だろう。

「あなたがハインツさん」

「ギルドの管理部門で働いている。受付嬢の上司みたいなものだ。裏方だよ」

裏方。バックオフィス。管理部門。俺には馴染みのある言葉だ。前の世界では俺も裏方だった。営業が取ってきた案件を、システムとして実装する。華やかさはないが、止まると全体が止まる仕事。

「マルタからの手紙には何と」

「『若い男が行く。段取りが異常にうまい。右手に紋章がある。面倒を見てやれ』。大体そんな内容だ」

ハインツが手紙を折りたたんだ。視線が俺の右手に落ちる。テーブルの上に置いた掌。紋章の線は肉眼ではほとんど見えないが、ハインツの目は正確にそれを捉えていた。

「下水道の依頼、八件を五日で完了。報告書の精度がEランク以上。スキルを使って最小限の消耗で魔獣を処理している。受付から報告を受けた」

「監視されていたんですか」

「観察だよ。マルタが送り出した人間なら、放っておいても大丈夫だとは思っていた。だが確認は必要だ」

合理的な判断だ。信頼と検証は両立する。マルタを信用しているが、実物を確かめるまでは距離を置く。俺が上司なら同じことをする。

「昇格審査だが、書類は通した。Eランクへの昇格は来週付だ」

「早い、ですね」

「お前の実績が早いんだ。ギルドは成果主義だ。数字が出れば上がる。逆に、数字が出なければいつまでもFのままだ」

成果主義。前の世界と同じ。数字で人の価値が決まる。居心地が良くて、同時に薄ら寒い。

ハインツが椅子の背にもたれた。腕を組む。表情が変わった。事務的な話が終わり、本題に入る空気。

「レン。マルタの手紙に書いてあったことで、一つ確認したい」

「はい」

「紋章の名前を、お前は知っているか」

「——万象剥離」

ハインツの目が細くなった。予想通りの回答だったのか、予想外だったのか。どちらとも読めない表情。

「どこでその名前を知った」

「覚醒したときに、頭の中に浮かんだ。誰かに教わったわけじゃない」

「そうか」

ハインツが立ち上がった。窓際に移動し、外を見ながら話した。窓から差し込む朝の光が、ハインツの横顔を照らしている。

「力の使い方を間違えるな。この街には目が多い」

マルタと同じことを言う。「使い方を間違えるな」。だがマルタの忠告が親心だったのに対し、ハインツの言葉にはもっと具体的な警戒が含まれていた。

「目、とは」

「ギルドは中立機関だが、国家の影響を完全には排除できない。特にこの王都は、複数の国の情報機関が暗躍している。特異なスキルの保有者は——目をつけられる」

特異なスキル。俺のことだ。

「具体的にどこかの国が」

「まだ確証はない。だが、北の大国——エルドヴァイン帝国は、特異スキル保有者の確保を国策として進めている。宮廷魔術師団という組織があり、強力なスキル持ちを半ば強制的に登用する」

北の大国。エルドヴァイン帝国。宮廷魔術師団。新しい単語が一気に増えた。頭の中で自動的にカテゴリ分けが始まる。外部脅威。国家レベル。対個人。

「俺のスキルが知られたら——」

「知られたら、ではない。もう知られている可能性がある。お前が登録時に『万象剥離』と申告した。ギルドの登録情報は原則非公開だが、完全な機密ではない。内部に情報を売る人間がいてもおかしくない」

受付嬢のペンが止まった瞬間を思い出した。あの反応は、単に珍しいスキル名を聞いたからではなかったのかもしれない。その名前の「重さ」を知っていたからだ。

「ハインツさんは、万象剥離について何か知っていますか」

ハインツが窓から離れ、俺に向き直った。鷹の目が真っ直ぐこちらを見ている。

「知っている。だが今は話さない」

「なぜ」

「お前がまだEランクだからだ。情報には適切なタイミングがある。今は力の基礎的な制御を固める段階だ。それができてから——話す」

出し惜しみ。だが理由は理解できる。情報を与えすぎると、人は先回りして判断を誤る。基礎がないまま応用に手を出すのは、設計書を読まずにコードを書くのと同じだ。

「わかりました」

「素直だな」

「素直なんじゃなくて、効率を重視しているだけです。情報が不十分な状態で反論するのは工数の無駄遣いだ。材料が揃えば、必要なら反論します」

ハインツが微かに笑った。口元だけの、控えめな笑み。だがその笑みの奥に、ほんの一瞬だけ、別の感情が見えた。懐かしさに似た何か。誰かを思い出しているような。

「マルタが気に入るわけだ。理屈が通る人間を、あの婆さんは好む」

婆さん。ハインツとマルタの距離感が伝わる呼び方だった。敬意はあるが、遠慮はない。単なる知人以上の関係がある。マルタの息子とハインツの間に何かがあったのかもしれない。だが今は聞かない。聞くべきタイミングは、もっと先だ。情報収集にも優先順位がある。

「一つだけ忠告する」

ハインツが扉に手をかけた。

「スキルの使用は最小限に留めろ。特に人前では。Eランクの依頼なら、スキルなしでもこなせるものが多い。段取りと判断力で処理しろ。お前はそれが得意だろう」

得意だ。社畜スキルだけで回せるなら、万象剥離は隠しておける。切り札は見せない方がいい。

ハインツが出ていった。扉が閉まった後も、彼の忠告が耳に残っていた。

力の使い方を間違えるな。人前では使うな。目が多い。

辺境の村では、力を使って魔獣を追い払えば英雄だった。だが王都では、力を見せること自体がリスクになる。組織が大きくなるほど、突出した個人は管理対象になる。

前の世界でもそうだった。優秀すぎる社員は出る杭として打たれるか、便利に使い潰されるかの二択。

——繰り返すのか。ここでも。

掌を見た。紋章が静かに眠っている。

いや。まだ決まっていない。前の世界と同じ轍を踏むかどうかは、俺の選択次第だ。

社畜は選択を放棄した。だがここでは——選べる。

問題は、何を選ぶのかがまだ見えていないことだ。

相談室を出て、掲示板の前に立った。Eランクの丸印がついた依頼を探す。護衛、素材採取、中型魔獣の偵察。どれも社畜スキルで回せそうだ。

一枚を取った。郊外の鉱山での素材採取依頼。報酬は下水道依頼の三倍。

掲示板を見つめた。やはり配置が非効率だ。期限順に並べれば、冒険者の選択時間が半分になる。

——業務改善の提案書を出すのは、もう少し後でいいか。

社畜の血が騒ぐのを抑えて、ギルドを出た。

大通りに出ると、秋の風が頬を打った。街路の木が黄色く色づいている。葉が一枚、ひらりと落ちて石畳に当たった。乾いた音。この街にも季節がある。辺境の村から歩いてきた道中で、木々の色は日に日に変わっていた。秋が深まっている。

風に混じって、焼き栗のような甘い匂いが漂ってきた。屋台で何かを炒っている音。鉄板の上でパチパチと弾ける実。木の実を煎って売っている老人が、客と笑いながら話している。

こういう「日常の音」が、ここにはある。辺境の村では風と山羊と虫の声だけだった。王都の音の密度は段違いだ。馬車の車輪が石畳を叩く硬い響き。呼び込みの声。子供の笑い声。全部が重なって、一つの「街の音」になっている。

——オフィスのフロアの音と似ている。キーボードを叩く音。電話の呼び出し音。コピー機の唸り。全部混ざると「職場の音」になる。意味はないが、それがないと不安になる。環境音。人が集まる場所には必ず生まれる、生活のBGM。

鉱山の素材採取依頼は、明日から三日間の行程だ。今日中に装備を確認して、明朝出発。宿の部屋に戻り、背嚢の中身を広げた。マルタにもらった薬はまだ三本残っている。干し肉は最後の一本。路銀は登録費用を引いてもまだ余裕がある。

必要なものリストを頭の中に作った。水筒の追加。保存食の補充。採取用の袋。簡易照明。ロープ。

これが仕事の準備だ。前の世界では、プロジェクト開始前にリソース表を作った。ここでは背嚢の中身がリソース表だ。やることは同じ。環境が変わっただけ。

ベッドの上に道具を並べ終えた頃、日が傾いていた。窓から差し込む夕日が道具の上に橙色の光を落としている。

明日から、Eランクとしての最初の仕事が始まる。社畜スキルで回す。万象剥離は隠す。地味に、確実に、成果を積む。それが今の最適解だ。

だが掌の紋章は、俺の判断とは関係なく、微かに熱を持ち続けていた。隠しても消えない。存在し続ける。

この熱と、どう折り合いをつけるか。それが、次の課題だ。

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