第20話
第20話「死の予言」
# 第20話「死の予言」
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北部の戦況を見るために、銀盤に力を注いだ。
限界を超えた星読み。右目はもう使えない。灰色の幕が完全に右目を覆い、光すら感じなくなった。左目だけで銀面を覗く。映像が薄い。水に溶かしたインクのように、輪郭がぼやけている。手がかりの断片しか見えない。リオンを探す。リオンの碧眼を。赤毛を。左手の火傷を。
銀盤を覗き込む体勢がつらかった。右半身の星紋が重い。まるで右半身に石の鎧を着せられたようだった。椅子の背もたれに体を預け、左手で机の端を掴んで姿勢を保った。以前は何時間でも銀盤を覗いていられた。今は、五分が限界だ。机に左肘をつき、体を支えながら銀面を見つめた。
見つけた。
リオンは生きていた。砦の内部。包帯を巻いた腕で剣を提げ、部下に指示を出している。煙と埃にまみれた顔。頬に擦り傷がある。軍服の肩が破れている。けれど瞳は死んでいなかった。碧色の中に、いつもの静かな覚悟が灯っている。
安堵で息が漏れた。生きている。大丈夫。息を吐いたとき、自分が長い間息を止めていたことに気づいた。肺が空気を求めて大きく膨らんだ。指先が震えている。安堵の震えだ。リオンの碧眼を見るだけで、体中の力が抜けそうだった。
けれど、安堵した瞬間、銀盤の映像が切り替わった。リオンの姿が消え、代わりに——別の未来が映った。
大広間。冬ではない。もっと近い。秋の光。高窓から差し込む光の角度が低い。秋の午後の光だ。
わたくしが——倒れている。
大広間の石畳の上で、銀灰色の髪が広がっている。右手の星紋が全身を覆い、銀色の紋様が顔にまで達している。目を閉じたわたくし。動かないわたくし。唇が青白い。頬の血の気が失われている。
自分の死体を見ている。銀盤の中の自分と、銀盤を覗いている自分。二人のわたくしが、鏡面を隔てて向き合っている。
セレスティアが、その傍に立っている。
「まだ——間に合ったのに」
セレスティアの声が、銀盤の中から聞こえた。低く、震えた声。嗚咽を堪えている声。泣いている声。金色の瞳が濡れていた。黒い手袋が外れかけていた。彼女の素手が見えた——銀色の星紋が、びっしりと刻まれた手が。
映像がさらに進んだ。大広間の外に人だかり。宮廷の貴族たちが、わたくしの体を見下ろしている。口元を扇で隠しているが、その目に浮かんでいるのは悲しみではなく——安堵に似た何かだった。「呪いの令嬢」がようやくいなくなった、という安堵。ルルが、わたくしの手を握って泣いている。小さな手が、冷たいわたくしの手を握りしめている。ルルの涙がわたくしの手の甲に落ちていた。
リオンの姿は——ない。まだ北部にいるのか。間に合わなかったのか。
わたくしは死んでいる。
銀盤を手放した。銀面が机の上に落ち、鈍い音を立てた。銀盤が机の端で回転し、やがて止まった。
「……わたくしの死を、見た」
声が出なかった。唇が動いただけだった。喉が凍りついたように硬い。空気が肺に入ってこない。
星詠みが自分の死を予言すること。それは、始祖の手記にも書かれていた。
『自らの死を見た星詠みは、もはや観測者ではない。物語の外側から運命を見下ろすことは二度とできない。星の川の中に、完全に身を投じたということだ』
一話目の夢で、わたくしは「観測者から登場人物になった」と感じた。あのとき、変化はもう始まっていたのだ。枕を涙で濡らしたあの夜。リオンの腕に抱きしめられる夢を見たあの夜から。
そしていま、完全に——わたくしは物語の中にいる。自分の運命の、当事者として。外から眺めることはもうできない。
椅子から立ち上がろうとして、膝が崩れた。床に片膝をつく。石畳の冷たさが膝を通じて体に伝わった。星紋が全身で脈打っている。右半身が重い。まるで銀色の鎧を着せられたようだった。左半身だけでは体を支えきれず、左手を床についた。
「お嬢さま!」
ルルが駆け込んできた。わたくしの体を支えようとして、右腕に触れ、飛び退いた。
「お嬢さま、右腕が——冷たい——」
ルルの顔が蒼白だった。わたくしの右腕に触れた手を、もう片方の手で押さえている。まるで凍傷に触れたかのように。
「大丈夫ですわ、ルル」
大丈夫ではなかった。右腕の温度が落ちている。星紋が体温を奪っている。右手の指先の感覚が薄くなっていた。指を動かそうとすると、遅れて動く。命令と反応の間に隙間がある。
ルルが毛布を持ってきた。わたくしの右腕を包み、泣きながら温めようとしている。毛布の織り目が肌に触れる感触がかろうじて分かった。その温もりが、かすかに星紋の冷えを緩和した。リオンの手の温もりの十分の一にも満たないが——ルルの手の温もりには、ルルにしか出せない種類の温かさがあった。
「ルル。泣かないで。わたくしは——まだ、死なない」
「でも——」
「わたくしの死を変えられるのは、わたくしだけ。——でも、今のわたくしには、祈ることしかできない」
嘘だ。祈りだけではない。銀盤の使い方を変えること。鏡から扉へ。糸の片方を持つ者と共に、紡ぐこと。方法は分かっている。始祖の手記にも、母の日記にも、答えは書かれていた。
けれど、リオンがいない。
北部にいる。戦場にいる。ここにはいない。糸の片方を持つ者が、手の届かない場所にいる。
わたくしは窓辺に行き、北の空を見上げた。星が——見えない。右目は完全に暗くなった。左目で見る夜空は、片側だけが星に覆われ、片側は虚空だった。半分の夜空。半分の世界。半分のわたくし。
白薔薇の花瓶が窓辺にあった。リオンが残した薔薇。ルルが毎日水を替えている。花は新しいものに替わっていたが、花瓶は同じだ。リオンの薔薇を挿し続けている花瓶。花の匂いがかすかに漂ってきた。夜の空気に溶ける薔薇の甘い匂い。
(リオン。戻ってきて。——わたくしは、一人では紡げない。一人では、この死を変えられない)
けれど、手紙は出さなかった。出せなかった。リオンを戦場から呼び戻すことは、彼を死の予言に巻き込むことだ。わたくしが死ぬ未来に、彼を引きずり込むことだ。
(それだけは——できない)
銀盤の上で、自分の死の映像が、何度もリフレインした。瞼を閉じても、見える。星詠みの目は、瞼を閉じても未来を映す。暗闇の中で、銀灰色の髪が広がる自分の姿が、何度も浮かんでは消える。
長い夜が始まった。わたくしが初めて見た、自分自身の終わりの夜だった。ルルが隣で毛布を握りしめて座っていた。彼女もまた、眠れない夜を過ごしている。
「お嬢さま。お水を持ってきました」
ルルがコップを差し出した。わたくしは左手で受け取り、一口飲んだ。水は冷たく、喉を通るとき、体の芯がわずかに目覚めた。
「ルル。一つ聞いてもいいかしら」
「なんでもどうぞ」
「あなたは——わたくしの傍にいて、怖くはありませんの。星紋が広がっていくわたくしの傍に」
ルルが首を振った。強く、何度も。
「怖くないです。——嘘です。少し怖いです。でも、怖いからって離れたら、あたしは何のためにお嬢さまの侍女になったか分かりません」
ルルが毛布をぎゅっと握りしめた。白い指の関節が浮き出ている。
「あたしにはリオンさまみたいに剣は振れません。殿下みたいに政治もできません。銀盤も覗けません。でも、お水を替えることはできます。紅茶を淹れることも。花瓶のお花を替えることも。——お嬢さまの傍にいることだけは、あたしにもできます」
ルルの声が震えていた。けれど、目は真っ直ぐだった。泣きそうなのに、泣かない。堪えている。この子はいつも、肝心なときに堪える。
わたくしは左手を伸ばし、ルルの手に重ねた。
「十分ですわ。それで十分」
ルルの手が温かかった。リオンの手の温もりとは違う。もっと柔らかく、もっと繊細な温もり。けれど、確かに——わたくしを現実に繋ぎ止めてくれる温もりだった。
夜が更けた。星紋が脈打ち続けている。右半身の冷たさが深まっていく。けれど左手には、ルルの手の温もりがあった。
やがてルルが椅子の上でうたた寝を始めた。小さな寝息が聞こえる。わたくしの手を握ったまま眠っている。握り方が強い。眠っていても、離さないつもりなのだ。
わたくしは天井を見つめた。左目で見る天井は暗く、影が揺れている。蝋燭の最後の炎が消えかけていた。
死の予言。秋の大広間で倒れるわたくし。その未来を変えるには、銀盤を糸車に変えなければならない。リオンの手が必要だ。リオンが戻らなければ——。
(戻ってくる。あの人は、約束した)
約束は予言ではない。予言は星の川が定めるもの。約束は人が選ぶもの。リオンは選んだ。戻ると。
その選択を、わたくしは信じる。信じることしかできないけれど、信じることは——祈ることよりも、強い。