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呪いの令嬢は処刑台で予言する

第12話 第12話「始祖の書」

第12話

第12話「始祖の書」

# 第12話「始祖の書」

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始祖エレーヌの手記は、古い言葉で綴られていた。

書斎の机に広げた羊皮紙は黄色く変色し、端が欠けている。触れるたびに、乾いた粉が指先に残った。数百年の歳月が、紙を脆くしている。動物の皮を鞣した匂いが微かに残り、その下にインクの鉄の匂いが混じっている。何世紀も前に誰かの手がこの紙面を滑り、この文字を刻んだ。その手の温もりはとうに消えているのに、言葉だけが息づいている。

リオンが窓を開け、朝の光を取り込んでくれた。風に乗って初夏の匂いが入ってくる。薔薇の季節が去り、白い藤の花が庭に垂れ始めていた。藤の甘い香りが、書斎の埃っぽい空気と混じり合う。窓の外で蜂が一匹、藤の花房の周りを旋回していた。その羽音が書斎にまで届いてくる。

「読めますか」

「半分は。古い宮廷語ですけれど、祖母の書庫にあった辞典を使えば」

わたくしは羊皮紙の一行目から丁寧に読み進めた。リオンが傍で墨を磨り、わたくしの訳した内容を別の紙に書き写してくれた。彼の字は武骨だが読みやすかった。一画一画が力強く、迷いがない。剣を振るう手と同じ手で書いているのだと思うと、妙な感慨があった。ペンを握る指に剣胼胝が浮いていて、その硬い指先から生まれる文字が、不思議と温かく見えた。

二人の肩が近かった。同じ羊皮紙を覗き込んでいるから、自然とそうなる。リオンの体温が右肩越しに伝わってきた。彼の呼吸が羊皮紙の表面をかすかに揺らし、古い紙が微かにはためいた。

始祖エレーヌは、アルス・ファルネ建国前に生きた女性だった。星詠みの力を持った最初の人間——と、これまで伝えられてきた。けれど、手記の冒頭で、エレーヌ自身がそれを否定している。

『わたくしは、星を読んだのではない。星の糸を、手繰ったのだ。未来は川のように流れている。川を見下ろすことは誰にでもできる。けれど、わたくしが行ったのは、川に手を入れて流れを変えることだった。見ることと、紡ぐことは違う。わたくしは「見る者」ではない。「紡ぐ者」である』

「紡ぐ者」。星詠みという呼び名は二代目以降がつけたものだった。始祖は自分を「星紡ぎ」と呼んでいる。呼び名が変わっただけではない。力の本質が、いつの間にか書き換えられている。見ることと紡ぐこと。受動と能動。その違いは、天と地ほどある。

わたくしの右手が、無意識に銀盤を撫でていた。机の隅に置いた銀盤の冷たさが指先に伝わる。この銀盤を、わたくしはずっと鏡として使ってきた。映るものを見るために。けれど始祖は「紡ぐ」と言った。鏡ではなく、糸車だと。

読み進めた。エレーヌの記述は、予言の力についてさらに踏み込んでいた。文体は簡潔で、けれど一つひとつの言葉が重い。実体験に裏打ちされた重さだ。飾りがない分、言葉の芯がむき出しになっている。

『銀盤を作ったのは、紡ぐ力を安定させるためだった。星の糸はあまりにも多く、素手で触れれば手が焼ける。銀盤は糸を選り分ける道具——いわば、糸車。鏡のように未来を映すものではなく、糸車のように未来を紡ぐもの。けれど、わたくしの後に続く者たちは、銀盤を鏡として使い始めた。映すだけならば安全だからだ。紡ぐことには危険が伴う。けれど、映すだけでは、流れを変えることはできない』

リオンが書き写す手を止めた。顔を上げて、わたくしと目が合う。碧眼に理解の光がある。朝の光が彼の瞳の中で金色の粒になって散っていた。

「つまり、銀盤で未来を見るだけならば代償はないが、未来を変えようとすると——」

「代償が生じる。けれどそれは、銀盤を鏡として使っているから。本来の糸車としての使い方なら、代償は——」

「ない?」

「ない、とは書いていないわ。ただ、『異なる形で分散される』と」

手記の中盤に、気になる一節があった。インクの色が少し変わっている。別の日に書き足したのだろうか。文字の角度もわずかに異なり、ペンの太さも違うように見えた。

『紡ぐには、二つの手が要る。糸を持つ手と、車を回す手。わたくしは一人で両方を行ったが、代償は軽かった。なぜなら、糸の向こう側に、わたくしの想いが届く者がいたからだ。紡ぐ力は、一人では完結しない。糸の両端を持つ者が必要だ。片方だけで紡げば、力が一方に集中し、体が壊れる。これが、後世の者たちが「代償」と呼ぶものの正体である』

わたくしの手が止まった。指先が震えている。興奮と、理解と、そして悔しさが混じっている。紙の上の文字がぼやけた。涙ではない。震えのせいだ。

一人で紡ぐから代償が生じる。二人で紡げば——力が分散され、体が壊れない。

母は一人で書き換えた。だから、死んだ。糸の片方を持つ者がいなかった。セレスティアは友人であり、星詠みだったが、「糸を持つ者」ではなかった。二人とも糸車を回す側だったから、片方が糸を持つことができなかった。

母の日記の最後の行が蘇った。「あなたなら——」。あなたなら見つけられる。母は、この答えに辿り着けなかった。けれど、わたくしの傍には——。

「アイリーンさま」

リオンの声が、思考を引き戻した。彼の声が近い。肩が触れそうな距離にいることに、今さら気づいた。

「……分かったわ。分かった気がする」

わたくしは立ち上がった。膝が震えていた。興奮のせいだ。椅子が後ろに倒れかけて、リオンが片手で支えた。椅子の脚が床を擦る音が書斎に響いた。

「始祖エレーヌの時代、星詠みの力は『見る力』ではなく『紡ぐ力』だった。銀盤は鏡ではなく糸車。そして、紡ぐには二人が必要。——二代目以降が銀盤を鏡に変えてしまったことで、力は安全だが無力なものになり、書き換えだけが本来の力の痕跡として残った。けれど、使い方を知らないまま書き換えれば、一人に代償が集中して——」

「壊れる」

リオンが、静かに言った。声の奥に痛みが滲んでいた。碧眼の色が深くなった。

「姉も、あなたのお母上も」

その言葉が、胸に沈んだ。石が水底に落ちるように、ゆっくりと。波紋が広がって、胸の内側を揺らした。リオンの姉も、わたくしの母も、一人で背負って壊れた。同じ構造の犠牲者。何百年もの間、繰り返されてきた悲劇の型。

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夜。リオンが去った書斎で、わたくしは古文書の最後の頁を読んだ。

蝋燭の光が頁の上で揺れている。蝋の溶ける匂いと、古い羊皮紙の匂いが混じり合い、書斎だけの夜の香りを作っていた。他の頁より保存状態が悪く、文字がかすれている。虫食いの穴がいくつか開いていて、判読できない箇所もある。虫食いの穴の縁が茶色く変色し、数百年前の小さな生き物の痕跡が残されている。それでも、末尾の一文は読めた。始祖が最後に書いた言葉だ。

『後に続く者へ。銀盤は鏡ではない。扉である。扉の向こう側に、あなたが紡ぎたい未来がある。けれど、扉を一人で開けてはならない。必ず、糸の片方を持つ者と共に。さもなくば、扉はあなたを飲み込む』

銀盤は鏡ではない。扉である。

わたくしは、机の上の銀盤を見つめた。磨き上げられた銀面に、わたくしの顔が映っている。鏡として。ずっと、鏡として使ってきた。未来を映し、読み取るだけの道具として。銀面のわたくしの顔は疲れていて、右頬に星紋の先端がうっすらと覗いていた。蝋燭の光が銀面で二重に反射し、わたくしの顔の輪郭がぶれて見えた。

けれど本来は——扉。開けば、未来に手を伸ばせる。流れを変えられる。代償なく。

ただし、一人では開けてはならない。

(糸の片方を持つ者)

脳裏に、リオンの顔が浮かんだ。赤毛と碧眼。左手の火傷の跡。リオンが星紋に触れたとき、痛みが和らいだこと。リオンの姉が銀盤を持っていたこと。リオンの左手の火傷の跡に、時折うっすらと銀色が走ること——それを、わたくしは気づかないふりをしていた。見ていた。けれど、意味を考えることを避けていた。考えれば、この人をさらに深く巻き込むことになるから。

すべてが繋がりつつある。けれど、まだ足りない。糸の片方を持つ者とは何なのか。始祖が言う「想いが届く者」とは。頭では理解できる。けれど、心がまだ追いついていない。

答えは近い。けれど、まだ手が届かない。指先が触れそうで触れない、もどかしい距離。

銀盤の上で、蝋燭の炎が揺れた。銀面が一瞬だけ、鏡ではない何かに見えた。——扉の、取っ手のように。

わたくしは指先を銀面に触れさせた。冷たい。いつもと同じ冷たさ。けれど、その冷たさの奥に、かすかな脈動を感じた。銀盤が、生きているかのように。鼓動のような振動が指先を通じて手首に伝わり、星紋と共鳴した。星紋の痛みが一瞬だけ形を変えた。痛みではなく、呼びかけのような。

蝋燭が一本、燃え尽きた。残りの一本の炎が大きく揺れて、影が書斎を駆け抜けた。窓の外で、夜の虫が鳴き始めていた。初夏の夜の合唱が、遠く低く聞こえてくる。

(始祖は「紡ぐ者」。銀盤は「扉」。——なら、わたくしたちは、ずっと使い方を間違えていたのかもしれない)

その夜、わたくしは久しぶりに、星紋の痛みを忘れて眠りについた。夢は見なかった。見なかったこと自体が、何かの兆しのような気がした。

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