Novelis
← 目次

呪いの令嬢は処刑台で予言する

第13話 第13話「舞踏会の夜」

第13話

第13話「舞踏会の夜」

# 第13話「舞踏会の夜」

---

春の舞踏会は、初夏にずれ込んでいた。

王宮の大広間が蝋燭の海に沈み、楽団の弦の音が高い天井に反響している。何百本もの蝋燭が鉄の燭台に立てられ、その炎が一斉に揺れるたびに、広間全体が呼吸するように明滅した。蝋の溶ける甘い匂いと、貴族たちの香水が混じり合い、空気が重い。人の体温と蝋燭の熱が広間の温度を押し上げ、高窓の硝子に結露が浮いていた。

わたくしは銀灰色のドレスに身を包み、広間の隅に立っていた。ドレスの袖は長めに仕立ててある。右腕の星紋は長手袋で隠した。絹の手袋の下で星紋がかすかに脈打っていて、それが衣擦れの音に紛れるのが救いだった。手袋の内側に汗が滲み、絹が肌に張りつく。左手に扇を持ち、壁の花を装っている——本音を言えば、出席したくなかった。けれど星詠みとして求められた以上、欠席は掟改正案の審議に悪影響を及ぼす。

正面の王族席にディランが座っていた。金髪を整え、正装に身を包んだ姿は端正だった。白い軍服の肩章が蝋燭の光を弾いている。けれど、その隣にいるのは——セレスティアだった。黒いドレス、黒い手袋、金色の瞳。王宮付き星詠みとして、王族席に招かれている。

宮廷中がざわめいた。扇の陰から囁きが飛び交う。王宮付き星詠みが王子の隣に座るのは異例だ。けれどセレスティアは、あたかも当然の場所にいるかのように微笑んでいた。黒いドレスが蝋燭の光に照らされて、漆のような艶を帯びている。彼女の周りだけ空気が違う。蝋燭の熱で蒸し暑い広間の中で、彼女の傍だけがひんやりと冷えているように見えた。

「お嬢さま、お嬢さま。あの席はもともとお嬢さまのものではありませんか」

ルルが隣で小声で憤慨している。ルルには今夜、侍女として同行してもらっていた。いつものお団子髪をきちんと結い直し、そばかすの頬が紅を差したように赤い。唇を尖らせて、まるで自分が侮辱されたかのように怒っている。

「構いませんわ、ルル。わたくしの席は、もうあそこではないの」

口ではそう言ったが、胸の奥がざわついた。嫉妬ではない。焦りだ。セレスティアとディランが並ぶ姿が、わたくしの知らない場所で何かが進んでいることを示していた。あの二人の間に、わたくしの見えない糸が張られている。それが善意の糸なのか、蜘蛛の糸なのか。

リオンは壁際に立っていた。護衛として正装の軍服を着ている。赤毛を撫でつけ、剣帯を腰に提げた姿は、宮廷の貴族たちとは違う空気を纏っていた。飾り気がないのに目を引く。肩の線がまっすぐで、余計な装飾がない分、体の輪郭がはっきりと見える。何人かの令嬢がリオンをちらちらと見ているのに、彼は気づいていない。碧眼はまっすぐ前を——わたくしの方を見ている。

(あの人の目には、わたくししか映っていないのだろうか。それとも、護衛の任務として見ているだけなのだろうか)

その問いに答えを出すのが怖くて、わたくしは視線を逸らした。

舞踏会が進み、ワルツの時間になった。貴族たちがペアを組んで踊り始める。ドレスの裾が広間の床を掃き、靴が石畳を軽く叩く。楽団の旋律が三拍子のリズムを刻み、広間に渦を描くように響いていた。ディランはセレスティアに手を差し伸べ、二人が広間の中央に出た。黒いドレスと白い正装が、蝋燭の光の中で旋回する。完璧な所作だった。セレスティアの足運びは滑らかで、ディランのリードに寸分の狂いもなく応じている。

わたくしは扇を握りしめた。骨が指に食い込む。扇の象牙の骨が手のひらに跡をつけていた。

(あの二人が並ぶ姿は、美しい。認めたくないけれど)

「少し、庭に出ますわ」

広間を抜け、回廊を通って中庭に出た。広間の喧騒が遠ざかり、夜の静けさが耳を包んだ。蝋燭と香水と人いきれの混じった空気から解放されて、肺が深く膨らんだ。月明かりが白い藤棚を照らしていた。藤の花房が銀色に光り、甘い匂いが夜気に溶けている。花房の先端から露が一滴落ちて、石畳に小さな音を立てた。蟋蟀の声が、藤棚の下から聞こえてくる。初夏の夜の音だ。

夜気が肌を撫でた。広間の熱気で火照った体が、少しずつ冷えていく。右腕の星紋が、涼しい空気に触れて鈍く痛んだ。

「アイリーンさま」

リオンが追いかけてきた。軍服の襟元を緩め、少し息を切らしている。走ってきたのだ。額に薄く汗が光っていた。護衛として当然のことかもしれないが、その息の切れ方が、わたくしの胸に小さな温もりを落とした。

「出てきてしまいましたわ。護衛としては困りますでしょう」

「困りません。人混みより、ここの方が守りやすい」

リオンが月明かりの下に立った。赤毛が銀色に染まって、別人のように見えた。軍服の肩が月光を受けて白く光り、碧眼が夜空の色に沈んでいる。月の光が彼の頬の線をなぞり、顎の輪郭を際立たせていた。

広間から、ワルツの旋律がかすかに漏れ聞こえていた。三拍子の穏やかな曲。壁を通して届く音は輪郭を失い、ただ旋律の波だけが夜の空気を揺らしている。風が藤の花房を揺らし、紫の花弁が音もなく舞い落ちた。

「踊りますか」

リオンが言った。わたくしは一瞬、耳を疑った。

「——あなた、踊れますの?」

「騎士団で教わりました。社交ダンスの基礎だけですが」

「護衛が主人と踊るのは、規則に反しませんの」

「たぶん反します」

真顔だった。けれど碧眼の奥に、ほんのかすかな悪戯のような光があった。口元がほんの少しだけ上がっている。この人の冗談はいつも分かりにくい。けれど、分かったとき——胸が温かくなる。

リオンが手を差し出した。左手。火傷の跡が月光に浮かんでいた。白い傷跡が、月の光と同じ色をしている。瘢痕の肌が光を反射して、銀色にも見えた。

わたくしは、その手を取った。長手袋越しに、彼の手の温もりが伝わってきた。手のひらの剣胼胝が、絹の布越しに感じられる。硬いけれど温かい。星紋の痛みが、触れた瞬間にわずかに和らいだ。冷たい痛みの中に、温もりの水滴が一つ落ちたような感覚だった。

リオンの踊りは確かに基礎だけだった。ステップはぎこちなく、ターンのタイミングは半拍遅れた。わたくしの足を一度踏みかけて、慌てて体を引いた。そのとき彼の耳が赤くなったのを、月明かりの中でも見逃さなかった。けれど、手はしっかりとわたくしを支え、体の軸がぶれなかった。騎士の体幹だ。剣を振る体は、ダンスにも応用が利くらしい。

「下手ですね」

「自覚しています」

声に気まずさはなかった。事実を述べているだけの声。

「けれど——」

月明かりの下で、わたくしは彼の碧眼を見上げた。藤の花が風に揺れ、花びらが二人の間に舞った。薄紫の花弁がわたくしの髪に一枚触れて、滑り落ちた。藤の甘い匂いが濃くなった。月と花と、この人の温もりだけで満たされた空間。

「悪くありませんわ」

リオンが、不器用に笑った。その笑顔を、この距離で見たのは初めてだった。口角の上がり方が左右で少し違う。右の方がわずかに高い。歯が少しだけ覗いている。目尻に細い皺が寄り、碧眼が細くなった。こんな細かいことを覚えてしまう自分に、少し呆れた。けれど、呆れるよりも先に、胸が熱くなった。

ワルツが終わった。広間からの旋律が途切れ、代わりに拍手の音が微かに聞こえた。二人はまだ向き合っていた。リオンの手がわたくしの腰から離れない。わたくしもそれを払いのけなかった。藤の花の匂いが、二人の間に漂っている。手袋越しの彼の体温が、じわじわとわたくしの手のひらに染み込んでいく。

「リオン」

「はい」

「わたくし——」

言葉が途切れた。回廊の奥から、声が聞こえたからだ。

セレスティアの声だった。

「——あの騎士を遠ざけなさい」

低い、けれど鮮明な声。回廊の柱の向こう側。セレスティアが誰かと話している。声が石の壁に反響して、一語一語がはっきりと聞こえた。夜の庭に響く声は、昼間よりも遠くまで届く。

「ファルネーゼの星詠みの傍にあの騎士がいる限り、彼女は折れない。騎士を遠ざければ、彼女は一人になる。一人になれば——あの娘は、母と同じ道を選ぶわ」

相手は——ディランだった。ディランの声が、低く答えた。

「セレスティア。それは——」

「殿下。わたくしはあなたのためにも言っているのよ」

わたくしは、リオンの手を強く握った。指先が冷たくなっていた。長手袋の下で、星紋が鋭く脈打った。セレスティアの言葉が、胸に突き刺さる。「母と同じ道を選ぶ」。母のように、一人で壊れていくということだ。セレスティアはそれを知っている。母の最期を看取った人だから。

リオンも聞いていた。碧眼が暗くなった。月光の中で、瞳の色が藍色に沈んでいる。けれど、動揺はしなかった。顎が引かれ、唇が一文字に結ばれている。怒りではない。それよりも静かなもの。決意だ。ただ、わたくしの手を握り返した。力強く。火傷の跡が、長手袋を通してわたくしの星紋に重なっている。重なった場所から、じわりと温もりが染み出した。

「聞きましたか」

「聞きましたわ」

「逃げません。どこにも」

リオンの声が、月明かりの中で静かに響いた。三拍子のワルツの余韻が消えた庭に、彼の声だけが残った。短い言葉。けれど、その三語に、この人の全部が詰まっている気がした。

わたくしは、彼の手を離さなかった。藤の花が散る庭の中で、二人は長い間、そこに立っていた。花弁が石畳に積もっていく。薄紫の絨毯のように。その上に、二人の影が重なって伸びていた。月が雲に隠れかけて、影が薄くなり、また雲が去って、影が戻った。影が消えても、手の温もりは消えなかった。

この話はいかがでしたか?

次の話を読む →

第14話「第14話「火傷の記憶」」

↓ スクロールで次の話へ