Novelis
← 目次

灰色記録者と六つの怨念

第2話 第2話

第2話

第2話

翌日の放課後、僕は駅前のファミリーレストランにいた。

一人で外食する習慣はない。けれど真帆からのメッセージには「今日の17時、駅前のジョイフル。四人で顔合わせ」とだけ書かれていて、断る理由を探す前に既読がついてしまった。虚実境界で二年近くやり取りしてきた相手だが、会うのは初めてだった。画面越しの関係が現実に滲み出してくることへの居心地の悪さが、胃の底に溜まっている。

窓際のボックス席に座り、水のグラスに指紋をつけながら待った。店内は部活帰りの高校生で騒がしい。僕と同じ制服を着た集団が二つ向こうのテーブルで笑い声を上げている。同じ学校。同じ時間を過ごしているはずなのに、僕とあの輪の間には決して交わらない透明な壁がある。

「灰色記録者?」

顔を上げた。ショートカットの女子が、僕の向かいに立っていた。黒いリュックに缶バッジがいくつか留めてある。

「……夜行灯?」

「真帆でいいよ。宮野真帆」

彼女はそう言って、確認も取らずに向かいの席に座った。僕の名前を聞く前にスマートフォンを取り出し、誰かにメッセージを送っている。画面の動きに迷いがない。オフラインでも、この人は画面越しと同じ速度で動くのだと思った。

五分後に二人が来た。

啓吾——「鉄塔」のハンドルネームで、心霊スポットの構造分析を専門にしているユーザー。短く刈った髪に、度の強そうな眼鏡。僕より背が高く、座っても目線が合わない。隣の涼太——「霧中遊泳」——は啓吾より小柄で、席に着くなりメニュー表を開いた。この場の緊張を感じていないのか、あるいは感じないふりが上手いのか。

「じゃあ全員揃ったし、始めよう」

口火を切ったのは啓吾だった。ドリンクバーのコーヒーを一口も飲まないうちに、テーブルの上にスマートフォンを置き、画面には聖慈園の航空写真が表示されていた。

「俺が調べた限り、フェンスの弱い箇所は北東側の一ヶ所。斜面に面してるから管理が甘い。二重フェンスの外側は下部が浮いてて、内側は支柱が一本腐食して傾いてる。大人一人通れる隙間がある」

僕は啓吾の顔を見た。虚実境界では構造分析の投稿が多かったが、ここまで具体的な侵入経路を事前に把握している人間を、僕は検証者とは呼ばない。これは下見を済ませた人間の口ぶりだった。

「いつ確認したの、それ」

真帆が聞いた。僕が聞こうとしていたことと同じだった。

「先週。たまたま近くを通ったから」

たまたま。フェンスの腐食状況を、たまたま確認する人間がいるだろうか。けれど啓吾は何事もなかったように航空写真を拡大し、建物の配置を説明し始めた。

「本館が南北に伸びてて、東棟が途中から直角に出てる。L字型。white_7が書いてたB1Fへの階段は、この東棟の端だ」

「待って」と僕は言った。全員の視線が集まる感覚に、一瞬だけ怯んだ。教室では一度も経験したことのない重さ。だが、ここでは黙っている方が不自然だった。

「聖慈園について、僕が掲示板の過去ログから拾えた情報をまとめてある。先に共有していい?」

真帆が頷いた。僕はスマートフォンのメモアプリを開いた。昨夜、眠れないまま整理した内容。

聖慈園は正式名称を「医療法人慈光会・聖慈園病院」。一九八〇年開院、病床数百二十。内科・外科・小児科を擁する中規模の総合病院だった。地域の中核医療を担い、開院から十五年間は特に問題なく運営されていた記録がある。

異変が起きたのは二〇〇六年。突然の閉鎖。公式には「経営上の理由」とだけ発表された。だが掲示板の過去ログを三年分遡ると、閉鎖前後に不自然な点がいくつか浮かぶ。閉鎖の二ヶ月前から外来の新規受付が停止されていたこと。閉鎖直後に理事長が県外に転居し、以降消息不明であること。そして、閉鎖の理由を取材しようとした地元紙の記者が「取材拒否」ではなく「該当する情報が存在しない」という回答を市から受けたという投稿。

「経営破綻なら裁判記録が残る。合併や統廃合なら後継の医療機関がある。どっちもない。文字通り、ある日突然消えた病院なんだ」

涼太がメニュー表を閉じて、僕の話に耳を傾けていた。啓吾は腕を組んだまま、表情を変えない。真帆だけがスマートフォンでメモを取っている。

「面白いじゃん」と啓吾が言った。

面白い。その一言に、僕は引っかかった。虚実境界のメンバーにとって心霊スポットの調査が「面白い」のは当然だ。だが啓吾の声には好奇心とは違う熱があった。目的地が決まっている人間の、確認作業のような淡々とした熱。

「white_7の投稿内容と照合すると、少なくとも建物の構造に関する記述は高い精度で事実と一致してる。創作の可能性は低い」

僕がそう締めくくると、啓吾がすぐに話を引き取った。

「なら決まりだ。今週の土曜、夜十一時に現地集合。装備は各自で——懐中電灯、予備バッテリー、録音・録画機材。俺がルートを組む。異論は?」

早い。僕が情報を整理し、リスクを検討し、調査計画を立てる前に、啓吾は既にスケジュールを決めていた。まるで最初から結論が用意されていたように。

「……ない」

真帆が答え、涼太も曖昧に頷いた。僕は何か言うべきだと思ったが、言葉が見つからないまま沈黙が同意に変わった。

---

解散は七時前だった。店を出ると四月の夜気が首筋に触れた。啓吾と真帆は駅の方へ、涼太は反対方向の住宅街へ歩いていく。僕も駅に向かおうとしたとき、涼太が足を止めてこちらを振り返った。

「神崎くん、さ」

涼太は少し迷うような顔をして、リュックから茶色い封筒を取り出した。

「今日ここに来る前に、図書館寄ったんだ。聖慈園のこと、新聞のバックナンバーで調べようと思って」

「何か見つけた?」

涼太は封筒から一枚の紙を引き抜いた。コピー用紙。地方紙の紙面を複写したもの。日付は二〇〇六年九月——聖慈園が閉鎖される二ヶ月前だった。

紙面の右下に小さな記事がある。見出しだけが目に飛び込んできた。

「聖慈園 看護師 行方不明」

読もうとして紙面に目を近づけた瞬間、涼太がコピーを封筒に戻した。

「ごめん、これ、ちゃんと読んだ方がいいと思うんだけど——ここじゃなくて」

涼太の目が、僕の背後を見ていた。僕は振り返った。駅前のロータリー。バスを待つ人々。タクシーの列。何もおかしくない風景のはずだった。

「啓吾さんには、まだ見せたくない」

涼太は声を落としてそう言い、封筒をリュックに戻した。

「土曜の前に、二人で会える? 読めばわかると思う。あの人が何であんなに聖慈園に行きたがってるのか」

返事を待たずに、涼太は背を向けて歩き出した。薄暗い住宅街の角を曲がり、街灯の光に一瞬だけ横顔が照らされる。その表情は、僕が知っている「霧中遊泳」の軽い文体からは想像できないほど強張っていた。

僕は駅への道を歩きながら、見出しの六文字を頭の中で反芻していた。

看護師、行方不明。

閉鎖の二ヶ月前。啓吾の不自然な熱量。涼太が啓吾に見せたくないと言ったコピー。それらが一本の線で繋がる予感があった。まだ形にはならない。けれど、この調査が単なる心霊スポット探索では済まないことだけは、もう確信に変わりつつあった。

帰宅して自室の椅子に座り、モニターの電源を入れる。虚実境界を開いた。昨夜保存したwhite_7の投稿テキストをもう一度読み返す。

「霊安室の冷蔵庫は全て開放されていた。だが一つだけ、取っ手に新しい傷がある」

新しい傷。二十年放置された廃病院で、新しい傷。誰かが最近あの場所に入った。white_7か。それとも——。

スマートフォンが鳴った。涼太からのメッセージ。

『木曜の放課後、中央図書館の三階。一人で来て』

その下に、もう一通。写真が一枚だけ添付されていた。画質の粗いコピーの拡大。記事本文は読み取れない。だが見出しの隣に掲載された小さな顔写真——行方不明になった看護師の写真だけは、かろうじて見えた。

若い女性。白衣。穏やかな目。

そしてその胸元に、名札が写っていた。文字は潰れて読めない。けれど名札の横に、見覚えのあるものがあった。

小さな、白い花のブローチ。

僕の母が、仏壇の引き出しにしまっている、あのブローチと同じ形の。

この話はいかがでしたか?

↓ スクロールで次の話へ