第7話
第7話「第一皇子の宣告」
# 第7話「第一皇子の宣告」
---
枢密院の召喚状が届いたのは、朝食の席だった。
リーナが青い顔で封蝋を持ってきた。蝋の紋章は、アルシエル王家の双翼。開けた中身は短かった。「双翼の契約に関する検証審議のため、エリオット皇子妃セリア・ヴェントの出頭を求む」。日付は今日。今から一刻後。
紙面のインクは乾いたばかりだった。まだ微かに鉄の匂いがする。つまり、今朝書かれたものだ。猶予を与えるつもりがない。
エリオット様が隣で紙面を覗き込み、唇を引き結んだ。お茶の杯を置く手が、かちりと音を立てた。
「兄上だ」
それだけで、全てが通じた。
◇
枢密院の間は、宮殿の中央塔の最上階にあった。
長い螺旋階段を上る間、翼が緊張で身体に張り付いていた。エリオット様の翼も、いつもより硬く畳まれている。わたしたちの足音だけが、石の壁に反響していた。
円形の部屋。壁面に沿って半円の階段席が並び、十二人の枢密院議員が着席している。全員が大きな翼を背に広げた壮年以上の貴族。白い衣に金糸の縁取り。翼の色は人によって異なるが、どれも大きく、立派だった。この国の最高意思決定機関。
部屋の空気は重かった。古い石壁から染み出す冷気と、蝋燭の熱が混じって、肌がじっとりと汗ばむ。天井のどこかで水が滴る音が、規則正しく響いていた。
わたしとエリオット様は、円の中央に立たされた。裁かれる者のように。周囲を見上げれば、十二対の翼が壁のように並んでいる。
レイヴン殿下は、階段席の最上段にいた。黒銀色の翼を大きく広げ、灰色の瞳が円の中央を見下ろしている。その姿は、猛禽が高所から獲物を見定めるのに似ていた。
「本日の議題は一つ」
レイヴン殿下の声は、円形の間に静かに反響した。低く、硬く、感情の色がない。演説ではなく報告のような口調。それが却って、有無を言わせない重さを帯びていた。壁の石に声が吸い込まれ、反射し、どこからでも同じ音量で聞こえる。
「エリオット皇子妃に発動したとされる双翼の契約の正当性について、検証を求めるものである」
「兄上」
エリオット様が一歩前に出た。銀色の翼が鋭く広がる。羽根の先端が微かに逆立っている。怒りを押さえている。
「契約は正当に発動しました。セリアの翼は、私の翼と同じ色を持っています。これは過去の記録と完全に一致する」
「一致しない」
レイヴン殿下は即座に返した。間を置かない、用意された反論。
「過去六例の契約発動では、翼は発動直後から安定していた。だが、ヴェントの娘の翼は消失と再出現を繰り返している。これは前例のない不安定さだ」
議員たちが顔を見合わせた。囁きが漏れる。衣擦れの音と、翼が動く風切り音が混じっている。レイヴン殿下の論点は、感情ではなく事実に基づいていた。だからこそ反論しづらい。
「加えて」
レイヴン殿下が続けた。声の調子は変わらない。抑揚がないことが、かえって一語一語の重みを増している。
「百年前の契約——唯一の失敗例——も、最初は正常に見えた。結果がどうなったかは、枢密院の記録にある通りだ。百年間未発動だった契約が、今、突然発動した。その真偽を確認しないのは、怠慢ではないか」
エリオット様の翼の付け根から、怒りの熱がわたしに伝わってきた。灼けるように熱い感情。けれど、エリオット様の声は抑制されていた。
「では、兄上は何を提案されるのですか」
「検証の儀だ」
その言葉が出た瞬間、議員たちのざわめきが大きくなった。誰かが息を呑む音がした。
「双翼の契約の正当性を試す、古い儀式がある。契約者が、雲海の底まで降下飛行を行い、無事に帰還する。正当な契約であれば、雲海の底の風が翼を認め、帰還を助ける。偽りの契約であれば——」
レイヴン殿下は、言葉を切った。静寂が、息を詰めるように広がった。
「——翼は消え、帰還は叶わない」
静寂が落ちた。蝋燭の炎が揺れる音すら聞こえた。
雲海の底。アルシエルの人々でさえ、めったに降りない深さ。光が届かず、空気が薄く、風が読めない。翼の安定した者でさえ危険な場所を、翼が不安定なわたしに飛べと言っている。
わたしの翼が縮んだ。恐怖を拾っている。けれど、足は震えなかった。崖の娘の足は、震えない。
エリオット様が激しく口を開いた。
「認められない。セリアの翼はまだ——」
「受けます」
わたしの声が、エリオット様の言葉を断った。
円形の間が、再び静まり返った。エリオット様が信じられないという目でわたしを見た。翼の付け根から、衝撃と恐怖が一気に流れ込んできた。
「セリア」
「殿下。ここで断れば、わたしの翼は永遠に疑われます。偽物の烙印を押されたまま、この国で生きていくことになります。それは——わたしが許さない」
わたしは枢密院の議員たちを見渡した。十二対の目がわたしを見ている。そのどれもが、値踏みするような目だった。
「検証の儀を受けます。わたしの翼が本物か偽物か、雲海の底が教えてくれるなら、望むところです」
声は震えなかった。不思議と、腹の底に力がある。崖の上で初めて一人で走ったときと同じ感覚。怖い。けれど、足は前に出る。
レイヴン殿下の灰色の瞳が、わずかに動いた。驚きだったのか、それとも予想通りだったのか。読めなかった。あの瞳は、何も映さないガラスのように平たかった。
「三日後」
レイヴン殿下が言った。
「検証の儀は三日後に行う。枢密院の総意として」
議員たちが頷いた。反対する者はいなかった。
◇
私室に戻ると、エリオット様が扉を閉めた途端、声を荒げた。
「なぜ受けたんだ」
穏やかなエリオット様が怒鳴るのを、初めて聞いた。翼が大きく広がり、部屋の壁際の棚を掠めた。棚の上の花瓶が揺れて、水が数滴こぼれた。
「君の翼はまだ不安定だ。雲海の底は、完全に安定した翼でも危険な場所なんだ。分かっているのか」
「分かっています」
「なら、なぜ——」
「分かっているから、受けたんです」
わたしは静かに言った。窓から差し込む夕陽が、わたしたちの影を床に落としていた。エリオット様の影には翼がある。わたしの影の翼は、揺らいでいた。夕陽の赤が部屋の壁を染め、エリオット様の怒りに満ちた表情を、さらに鋭く見せていた。
「殿下。わたしがここで引いたら、レイヴン殿下の思う壺です。契約の正当性が否定されれば、殿下の立場も危うくなる。殿下が兄上から自分の存在を守るために、わたしが矢面に立つのは当然のことです」
「当然じゃない。君を危険に晒すことは——」
「殿下」
わたしはエリオット様の前に立った。手を伸ばして、翼の付け根に触れた。怒りと恐怖と——その奥にある、わたしを失うことへの恐怖が、指先に伝わってきた。灼ける怒りの下に、凍るような恐怖がある。二つの温度が同時に流れ込んできて、わたしの胸の奥が締めつけられた。
「怖いのは、わたしも同じです。でも、怖いからやめるのは、わたしの生き方じゃない。崖の娘は、足がすくんだら、もう一歩前に出るんです」
エリオット様の怒りが、ゆっくりと溶けた。翼が畳まれ、肩の力が抜けた。目元が赤くなっている。泣きそうなのを堪えている顔だった。
「……君には、勝てない」
「勝ち負けの話はしていません」
「分かっている。だから余計に、勝てない」
エリオット様が額をわたしの肩に預けた。銀色の髪が揺れ、微かに、吐息が聞こえた。その髪から、空の国の石鹸の匂いがした。雲の水で作った、淡い匂い。
「三日間、みっちり訓練しよう。私が教えられることは全部教える」
「はい」
「そして——必ず、帰ってきてくれ」
わたしは頷いた。声に出すと泣きそうだったから、翼で答えた。翼が、エリオット様の翼に向かって、そっと伸びた。銀色の羽根同士が触れ合い、微かな音を立てた。
◇
その夜、バルコニーに一人で立った。
夜風が翼を冷たく撫でた。雲海が月光に照らされて、銀色のすり鉢のように広がっている。あの底の、光が届かない場所に、三日後、わたしは降りる。
月光の下で見る雲海は、昼間とはまるで違う。白ではなく、青みがかった銀色。表面がゆっくりと波打って、まるで呼吸しているように見える。その下に、底なしの暗闇がある。
翼が小さく震えた。恐怖を拾っている。羽根の先端が微かに透けて、月光を通している。
けれど、わたしの足は震えていなかった。故郷の崖で、初めて一人で走った日も、こうだった。怖かった。けれど足は動いた。背中に翼はなかったけれど、風はいつも、味方だった。
三日後。雲海の底で待っているものが何であれ、わたしは飛ぶ。
月が雲の切れ間に沈みかけて、バルコニーの影が濃くなった。風が一段と冷たくなった。わたしは翼を身体に巻きつけるように畳み、部屋に戻った。背中の温もりだけが、夜の冷気の中で、確かに残っていた。