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鑑定士追放、迷宮解読者への覚醒

第2話 第2話

第2話

第2話

灰燼の回廊の入口は、巨大な顎のようだった。

左右の岩壁が斜めに迫り出し、中央の通路を圧し潰すような形状をしている。岩肌は赤黒く焼け焦げ、表面に無数の亀裂が走っていた。名前の通り——かつて何かが、ここで燃え尽きた痕跡だ。焦げた石と乾いた埃の臭いが、入口から這い出すように漂ってくる。

「全員、装備の最終確認」

ガルドが大剣を鞘から抜き、刃を一瞥して頷いた。ヴェルドが大盾の固定具を締め直し、セレナが杖の魔力充填を確かめる。斥候のマルクが短剣を二本、腰の鞘に差し直した。カイは革手袋の指先を引き締めながら、入口の岩壁に視線を走らせた。

鑑定スキルが自動的に起動する。岩の組成。熱変性の履歴。魔力残留の濃度。数値が次々と意識の前面に並ぶ。そしてその奥に——やはり視える。古代文字の断片。昨日までの淡い明滅ではない。文字の輪郭がはっきりと浮かんでいる。水面越しのぼやけた像が、一段階、焦点を合わせたように鮮明になっていた。

読める。いや——読めそうだ。あと少しで。

「カイ、何をぼさっとしてる。行くぞ」

ガルドの声で意識が引き戻された。カイは口を閉じ、パーティの最後尾について迷宮に踏み込んだ。

灰燼の回廊の第一区画は、過去の攻略記録と概ね一致していた。幅三メートルほどの直線通路が続き、等間隔で小部屋が接続している。壁面の焦げ跡は深層に向かうほど濃くなり、空気が乾いて喉の奥がひりつく。魔物の出現頻度はAランク相応。火属性の甲殻獣が通路を塞ぐように現れたが、ガルドの一太刀とセレナの氷結魔法で片がついた。

カイは通路ごとに壁面を鑑定し、罠の有無を確認していく。落とし穴が二箇所。魔法式の起爆陣が一箇所。すべて事前に潰した。「黒鉄の牙」はいつも通り罠被害ゼロで進む。いつも通り、それは記録に残らない。

第二区画に入った頃、カイの鑑定に変化が生じた。

壁面の焼け跡の下に、碑文が隠れている。焦げた表層の奥、元の石壁に刻まれた文字列だ。鑑定スキルが表層を透過し、下層の情報を拾い上げる。古代文字。今度は断片ではなく、連続した文章として視えた。

一文字ずつ、意味が脳裏に流れ込んでくる。

『此ノ壁ノ裏、道アリ。正路ハ隠サレタリ』

カイの足が止まった。心臓が一拍、強く打つ。読めた。初めて、完全に意味が取れた。隠し通路の存在を示す案内碑文だ。そしてもう一節——

『表ノ道ニハ灰ノ顎。踏ム者ヲ焼キ尽クス』

致命罠の警告だった。今パーティが進もうとしている正面通路に、大規模な火炎罠が仕掛けられている。

「ガルド、止まってくれ」

カイは声を上げた。普段より強い語調だった。ガルドが片眉を上げて振り返る。

「この先の通路に大型の火炎罠がある。壁面の碑文に記述がある。正面を避けて、この壁の裏にある隠し通路を通るべきだ」

沈黙が落ちた。ヴェルドとセレナが顔を見合わせ、マルクが一歩後ろに下がった。ガルドは数秒カイを見つめ、それから鼻で笑った。

「碑文だと? お前にはただの焦げ跡が文字に見えるのか」

「鑑定スキルで確認した。焼損層の下に古代文字が刻まれている。内容は——」

「カイ」ガルドが遮った。声の温度が二度下がった。「お前の仕事は罠を処理することだ。進路を決めるのは俺だ。鑑定士風情が指図するな」

「指図じゃない。警告だ。過去に撤退した三パーティの記録を見ろ。『構造が不安定』『方角を見失う』——あれは碑文を読めなかったからだ。この迷宮は碑文を読めないと正規ルートが分からない設計に——」

「黙れ」

ガルドの声が通路に叩きつけられた。反響が消えるまで、誰も動かなかった。

「お前はいつもそうだ。見えない何かが視えると言い、誰も確認できないことを根拠に口を出す。だがな、カイ——Aランク迷宮を三十以上踏破してきた俺の判断と、お前の"碑文が読めます"、どちらを信じると思う?」

カイはガルドの目を見た。そこに迷いはなかった。五年間、一度も変わらなかった確信——自分の剣腕が全てを解決するという揺るぎない自負。それは強さであり、同時に致命的な盲目でもあった。

「ヴェルド」

カイは盾役に視線を移した。ヴェルドは口を開きかけ——そして閉じた。目を逸らし、大盾の縁を指で叩く。セレナは杖を握る手に力を込めたまま、床の焦げ跡を見つめていた。マルクは最初から壁の方を向いている。

誰も、何も言わない。いつもと同じ沈黙だった。

「行くぞ。正面突破だ」

ガルドが大剣を構え直し、通路の奥へ踏み出した。ヴェルドが続き、セレナが続き、マルクが続いた。カイは最後尾に残された。壁面の碑文が、鑑定スキルの視界の中で静かに明滅している。

『表ノ道ニハ灰ノ顎。踏ム者ヲ焼キ尽クス』

カイは歯を食いしばり、パーティの後を追った。見捨てるという選択肢は、なかった。五年間の扱いがどうであれ、前を歩く四人を罠で死なせるわけにはいかない。

通路が広がり、天井が高くなった。広間状の空間。床面に大きな円形の紋様が刻まれている。カイの鑑定スキルが紋様を読み取った瞬間、全身の毛が逆立った。

起爆式の魔法陣。範囲は広間全域。属性は火。出力は——桁が違う。Aランク迷宮の標準的な罠の、少なくとも五倍。

「止まれッ!」

カイが叫んだ。同時に、ガルドの足が円形紋様の縁を踏んだ。

床が、赤く光った。

紋様の溝に沿って灼熱の光が走り、円の中心から外縁に向かって一瞬で広がっていく。空気が膨張し、轟音が鼓膜を叩いた。広間全体が赤く染まり、天井の亀裂から砂礫が降り注ぐ。

ヴェルドが咄嗟に大盾を構え、セレナが防御魔法を展開した。だが火炎の規模が想定を超えている。盾の縁から炎が回り込み、防御魔法の障壁に亀裂が入る。マルクが叫び声を上げ、腕で顔を覆った。

カイは走っていた。碑文が示した隠し通路の位置は把握している。広間の右壁、焦げ跡の濃い一角。そこに退路がある。だが今この瞬間、火炎がパーティを飲み込むまでの猶予は——

三秒もない。

床の紋様が最終段階に入った。中心部が白熱し、爆発的な膨張の直前。

カイは壁面に手を叩きつけた。鑑定スキルが碑文を読む。隠し通路の開放条件。特定の碑文に魔力を流し込む。残り二秒。指先に全ての魔力を集中させ、壁面の一文字に叩き込んだ。

壁が、裂けた。

石壁が左右にずれ、人ひとりが通れる隙間が開く。同時に、広間の中心で炎が噴き上がった。天井に届く火柱が広間を焼き、灼熱の波が四方に広がる。

「こっちだ!」

カイの声に反応したのはヴェルドだった。大盾を炎に向け、セレナとマルクを背中で押しながら隠し通路に飛び込んだ。セレナが転がるように通路に入り、マルクが続く。最後にガルドが——大剣で炎を薙ぎ払いながら、通路に身を投じた。

カイが壁面の碑文に再び触れると、隠し通路の入口が閉じた。轟音が石壁の向こうで反響し、足元が震える。広間の火炎が壁越しに伝わる熱が、肌をじりじりと焼いた。

狭い通路の中で、五人が肩で息をしていた。暗闇の中、セレナの杖先の淡い光だけが、それぞれの顔を照らしている。

マルクの左腕が焼けていた。革鎧の袖が炭化し、その下の肌が赤く腫れ上がっている。ヴェルドの大盾は表面が溶け、原形を留めていない。セレナの防御魔法がなければ、全員が丸焼きだった。

誰も口を開かない。

ガルドが壁に背を預け、天井を仰いだ。その横顔に浮かんでいるのは恐怖でも反省でもなく——苛立ちだった。自分の判断が招いた結果ではなく、予想外の事態が起きたことへの、純粋な苛立ち。

カイはそれを見て、静かに理解した。この男は、学ばない。

隠し通路の壁面に、新たな碑文が浮かんでいた。鑑定スキルが自動的に読み取る。

『正路ヲ見出セシ者ヨ。此ノ先ニ、真ナル回廊アリ』

碑文の文字が、今度ははっきりと視えた。水面の揺らぎが消え、文字が一字一句、くっきりと脳裏に刻まれている。灰燼の回廊は、碑文を読める者だけに道を開く。過去の三パーティが撤退した理由が、今ようやく分かった。

——この迷宮は、俺を待っていたのか。

その思考を振り払う前に、通路の奥から音が聞こえた。低く、重い、何かが動く音。石が石を擦る振動が足裏に伝わり、壁面の碑文が一斉に明滅した。

新たな碑文が、一行だけ浮かび上がる。

『試練ハ、未ダ始マッタバカリ』

通路の闇の奥で、二つの光点がカイを見つめていた。

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