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追放テイマーと霜銀の伝説種

第2話 第2話

第2話

第2話

朝靄がまだ残る街道を、カイは一人歩いていた。

安宿の硬い寝台で迎えた最初の朝は、思ったよりも静かだった。ギルドハウスの朝は誰かの鍛錬の音か、食堂の喧騒で始まるのが常だった。ここには何もない。薄い壁の向こうから漏れる酔客のいびきと、窓の隙間を抜ける風の音だけだ。

ギルド協会の本庁舎は、街の中心に据えられた石造りの大建築だった。正面入口の上に掲げられた五等級の紋章——S、A、B、C、E——が朝日を受けて順に輝いている。カイは横手の通用口から中に入った。フリーの探索者が使うのはこちらだ。正面口はギルド所属者専用で、今のカイには縁がない。

通用口を抜けた先のギルドボードには、すでに数人の探索者が群がっていた。依頼書が所狭しと貼られた掲示板の前で、彼らは品定めをするように紙面を眺めている。カイも近づき、自分のランクで受けられる依頼を探した。

Eランク対応。低層ダンジョン素材採取。報酬——三千ギル。

一日潜って、宿代と食費でほぼ消える額だ。だが選り好みできる立場ではない。カイは依頼書を一枚剥がし取り、受付窓口へ向かった。肩の上でヌルが小さく身じろぎする。朝の魔石をまだ食べさせていないことを思い出し、ポーチの中を探った。屑石の残りは三つ。今日の採取で補充しなければ、明後日にはヌルの食事が尽きる。

低層ダンジョン「苔石の穴蔵」は、街の東門から徒歩で半刻ほどの丘陵地帯にあった。

入口は岩肌に開いた裂け目で、苔が縁を厚く覆っている。湿った風が内部から吹き上げてきた。土と水と、長い時間をかけて堆積した有機物の匂い。危険度は最低格だが、それでもダンジョンはダンジョンだ。内部には微弱な魔素が満ち、それを糧にスライムや苔鼠といった低級魔物が棲息している。

カイは松明を灯さなかった。代わりにヌルを右手に乗せ、前方に差し出す。

「頼む」

ヌルの体内に燐光が灯った。青白い光が洞窟の壁を照らし出す。松明よりも弱いが、範囲は広い。何より松明と違って煤が出ず、空気を汚さない。低層とはいえ、換気の悪い深部では馬鹿にできない利点だった。

第一層は天井の低い横穴が連なる構造で、岩壁には燐光苔がまばらに貼りついていた。足元は湿っているが、水没するほどではない。カイは壁面を確認しながら慎重に進んだ。苔石の穴蔵は構造が単純で、Eランク探索者の訓練場として使われることも多い。罠はほぼなく、魔物も弱い。

最初のスライムは、第一層の行き止まりにいた。カイの腰ほどの大きさの緑色のスライム。体内に未消化の鉱石片がいくつか透けて見える。カイが近づくと、のろのろと体を膨らませて威嚇した。

「ヌル、偵察」

ヌルがカイの手から跳び、床を滑るように進んだ。緑スライムの手前で止まり、体を薄く伸ばして地面に張りつく。浸透——ヌル固有の能力だ。液状の体を地面の隙間に染み込ませ、地中を移動できる。戦闘力はないが、この能力だけは他のスライムにもない。

ヌルが地中から緑スライムの背後に回り込み、浮上する。青白い発光が緑スライムの注意を引いた。その隙にカイが側面から回り込み、腰の短剣で核を一突きした。粘液が飛散し、スライムが崩れる。残ったのは小さな魔石の欠片と、体内に蓄えていた鉱石片。

「悪くない」

カイは魔石をポーチに収めた。鉱石片は素材としては最低品質だが、それでも数を集めれば日銭にはなる。テイマーらしからぬ戦い方だった。本来テイマーは従魔に戦わせ、自身は指揮に徹する。だがヌルに戦闘力はなく、カイ自身が前に出るしかない。テイマーと前衛の中間のような、どの教本にも載っていない立ち回り。

三時間かけて第二層まで巡回し、スライムを七体処理した。魔石の欠片が七つと、鉱石片が十二。ヌルの食事を差し引けば、宿代に少し足りない程度の稼ぎだ。体は泥だらけで、短剣の刃には粘液がこびりついている。効率が悪い。ギルドにいた頃は、パーティで中層を回せば一日で十倍は稼げた。

だが不思議と、手応えはあった。ヌルの偵察で魔物の位置を事前に把握し、地形を利用して一対一の状況を作る。力押しではなく、情報と位置取りで勝つ。パーティの中では「テイマー枠の無駄遣い」と言われた動きが、ソロでは生存戦術として機能している。まだ低層の雑魚相手でしか通用しない。それでも、何かの輪郭が見え始めている気がした。

ギルド協会の報酬窓口は、夕方が最も混み合う。

カイが採取した素材を窓口に並べたとき、隣の窓口に見覚えのある背中が立っていた。回復術師のレン。蒼穹の剣の紋章が入った外套を羽織っている。

レンもカイに気づいた。一瞬、目が合う。レンの表情が強張り、すぐに視線を逸らした。窓口の係員に素材を押しつけるように渡し、足早にその場を離れようとする。

「レン」

呼び止めたのは、意図してのことではなかった。口をついて出た。レンが足を止め、振り返る。その顔に浮かんでいたのは——罪悪感だった。第五層でカイの索敵に助けられたことを覚えている目だ。それでも署名した。それを互いに知っている。

「……元気そうで、よかった」

レンはそれだけ言って、背を向けた。外套の裾が揺れ、蒼穹の剣の紋章がカイの視界を横切る。追いかける理由はなかった。恨み言を並べたところで失われたものは戻らないし、レンを責める気も起きなかった。ただ胸の奥で、何かが軋んだ。

窓口の係員が無表情に査定額を告げた。二千八百ギル。宿代に足りない。カイは黙って硬貨を受け取り、通用口へ向かった。

その途中で、ギルドボードの前を通りかかった。朝とは貼り替えられた依頼書の中に、一枚だけ赤縁の紙が混じっている。赤縁は高難度を示す色だ。カイは足を止めた。

『特別依頼:灰樹の迷宮 第五層踏破調査』

依頼等級:B。推奨パーティ:Bランク四名以上。報酬——五十万ギル。

桁が違った。低層で百日稼いでも届かない額だ。だが赤縁の依頼がこの時期に出ているということは、直近の挑戦者が失敗したか、あるいは帰還しなかったことを意味する。依頼書の下部に小さく注記があった。

『過去六ヶ月で三パーティ未帰還。フリー探索者の単独受注は原則不可——ただしBランク以上の推薦状を持つ者を除く』

カイの等級はE。推薦状もない。受けられるはずがなかった。それでも目が離せなかったのは、報酬額のせいだけではない。灰樹の迷宮。名前だけは知っている。街から北西に二日の行程にある中規模ダンジョンで、内部に灰色の樹木が異常繁殖していることからその名がついた。第五層以降の地図は存在しない。

肩の上のヌルが、依頼書に向かって体を伸ばした。まるで紙面に触れたがっているように、小さな体が前のめりになる。

「お前、何か感じるのか」

ヌルの体内で、燐光が普段とは違うリズムで明滅した。速い。まるで何かに反応しているかのように、青白い光が脈打っている。スライムの感覚器官は人間とは根本的に異なる。魔素の流れを直接感知し、その濃度や質の変化を読み取る。ヌルが反応しているのは、依頼書そのものではない。依頼書に残留した——灰樹の迷宮の魔素の痕跡だ。

カイは依頼書の前で、しばらく動けなかった。五十万ギル。それだけあればヌルの魔石を半年分確保できる。装備も新調できる。何より——ソロのEランクテイマーが中規模ダンジョンを踏破すれば、ギルドなしでも探索者として生きていける道筋が見えてくる。

無謀だと分かっている。Bランクパーティが三つ消えたダンジョンに、Eランクが一匹のスライムを連れて挑む。正気の沙汰ではない。

それでもカイは、依頼書の位置を目に焼きつけてからギルドボードを離れた。まだ剥がし取れない。だが、明日もここに貼られているだろう。赤縁の依頼は、受け手がつかない限り掲示され続ける。

安宿への帰り道、カイは肩のヌルに話しかけた。

「まずは力をつける。低層で稼ぎながら、お前の力の使い方をもっと詰める」

ヌルが小さく震え、カイの首筋にぴたりと寄り添った。冷たい体温が、今はどこか心地よかった。

夜の街道に、二つ分の影が伸びている。片方はひどく小さい。それでも確かに、二つだった。

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