Novelis
← 目次

灰燼の軍旗

第2話 第2話

第2話

第2話

伝令兵は半刻ほどで意識を取り戻した。

ヨルグが運んだ水と乾いたパンを貪るように口にしながら、若い兵は途切れ途切れに状況を語った。レクトは食堂の椅子に座ることもせず、石壁に背を預けて腕を組み、一言も挟まずに聞いた。

帝国軍の侵攻は電撃的だった。三個軍団——およそ二万五千。夜明けと同時にウルム要塞の外壁を砲撃で崩し、守備隊が態勢を整える間もなく突入した。要塞司令官グスタフ准将は城壁の上で戦死。副官が指揮を引き継いだが、すでに内郭まで敵兵が溢れていた。陥落まで半日と保たなかったという。

「第四師団は要塞の後方に布陣していたはずだ。なぜ支えられなかった」

レクトの問いに、伝令兵は顔を歪めた。

「師団長閣下が……初動で判断を誤りました。要塞が持つと踏んで、兵を展開せずに待機を命じたのです。崩壊の報が届いた時にはもう、帝国軍の騎兵が側面に回っていて——」

包囲ではない。浸透だ。レクトの脳裏に、書庫で読んだ帝国軍の教範が蘇った。帝国式の電撃戦は、正面を砕くと同時に快速部隊を敵後方へ送り込み、指揮系統を断つ。要塞攻略は陽動ですらなく、単なる第一撃に過ぎない。本命は、混乱した後方を食い破ることだ。

「街道沿いの村はどうなっている」

「東から三つ目のハーゲンまでは確認しました。住民は逃げ出しています。ですがその先は——わかりません。自分は途中で馬を替えて、ここまで」

伝令兵の声が萎んだ。レクトは東の窓に目を遣った。朝日はすでに稜線を離れ、淡い光が食堂の石畳を斜めに切っている。平穏な秋の朝だった。だがこの光と同じ陽射しの下で、今この瞬間にも街道を鉄靴の音が埋めている。

「ヨルグ」

「はい」

「近隣の領主へ早馬を出せ。ベルクハイム伯、ドルン男爵、リーフェンの代官。帝国軍の侵攻と第四師団壊走の報を伝える。それと——」

レクトは一度言葉を切り、伝令兵の疲弊した顔を見た。

「領内の村長を全員、昼までに館へ呼べ。避難の準備に入る」

ヨルグの目が一瞬見開かれた。避難。その一語が持つ重さを、この老従者は正確に理解している。領民を土地から引き剥がすということは、秋の収穫を捨てるということだ。来年の種子もない。飢えるとわかっていて、それでも動かなければならない。

「……承知いたしました」

ヨルグは深く頭を下げ、驚くほどの速さで食堂を出た。六十を超えた老体とは思えぬ足取りだった。この老人もまた、かつて戦を知る者だ。主家の戦支度がどういうものか、骨身に沁みているのだろう。

それから半日の間に、状況は雪崩を打って悪化した。

東方の街道筋から逃れてきた行商人や農民が、断片的な情報を運んでくる。帝国軍は三つに分かれて西進している。中央の主力が街道を押さえ、北翼が丘陵地帯を迂回し、南翼が河沿いに展開している。古典的な鉗子戦法だが、兵力が圧倒的であるがゆえに、どの翼も単独で一領を滅ぼせるだけの力がある。

昼前には、隣接するドルン男爵領からの急使が届いた。

「ドルン男爵の守備隊、壊滅」

使者は馬上から叫ぶようにそれだけ伝えて、西へ駆け去った。振り向きもしなかった。その背中が街道の砂塵に消えるのを、城門に集まった領民たちが黙って見送った。レクトは城壁の上からその光景を眺めていた。ドルン領はカルデアの東隣だ。緩衝地帯が一つ消えた。

午後には、さらに二つの報せが重なった。ベルクハイム伯は城門を閉ざして籠城の構えに入ったという。リーフェンの代官は職を捨てて逃亡した。周囲の秩序が音を立てて崩れていく。

館の広間に集まった村長たちの顔は一様に強張っていた。七人。カルデア領の全集落の長がそろっている。日に焼けた顔、太い指、泥のついた靴。この土地に根を張り、痩せた畑を耕してきた者たちだ。

「帝国軍の先鋒がドルン領を越えれば、次はこの土地に来る」

レクトは地図を広間の卓に広げた。父の書庫にあった軍用地図だ。街道、渡河点、等高線。その上に、帝国軍の推定進路を炭筆で引いた黒い線が三本走っている。三本の線はいずれも、最終的にカルデア領を貫いていた。

「収穫は」

最年長の村長、白髪のコンラートが低い声で問うた。

「捨てる」

広間に沈黙が落ちた。秋の麦畑が、今まさに穂を垂れ始めている。あと十日もすれば刈り入れだった。一年の汗が、あの畑に埋まっている。

「若様」コンラートが口を開いた。「帝国軍がここを通るとは限らぬのでは。街道を真っ直ぐ行けば、ここは外れまする」

「主街道からは外れる。だが南翼は河沿いに展開している。河はカルデアの南端を通る。略奪のために分遣隊を出すのは常套だ」

戦史書の知識が、こんな形で役に立つ日が来るとは思わなかった。レクトは苦い味を噛み締めた。

「女子供と老人を先に西へ出す。山道を使えばグリュンの谷まで二日だ。食糧は運べるだけ運ぶ。家畜は連れていく。残りは——」

「残りは焼くのですかな」

コンラートの声には怒りも悲しみもなかった。ただ確認していた。レクトは一瞬言葉に詰まり、それから静かに頷いた。

「帝国軍に渡すものは何もない。それが民を守ることになる」

焦土。口にすれば二文字だが、その意味するところは人の暮らしの全てを灰にすることだ。レクトは自分の指先が微かに震えているのを感じた。だがここで揺らげば、村長たちは判断できない。

「避難は明日の夜明けから始める。今日中に各集落へ戻り、準備を整えてくれ」

村長たちは重い足取りで広間を出ていった。コンラートだけが最後まで残り、戸口で振り返った。

「若様の父君も、同じことを申されたでしょうな」

それだけ言って、老村長は去った。

日が傾き始めた頃、レクトは城壁の上に立って東の街道を見ていた。秋の風が乾いた草原を渡り、枯れた穂先を揺らしている。穏やかな光景の中に、異質なものが混じった。

街道の彼方に、砂埃が見えた。

商隊ではない。あの埃の立ち方は、大勢の人間が秩序なく歩いている時のものだ。レクトは目を細めた。やがて埃の中から、人の列がゆっくりと形を取り始めた。

先頭にいたのは、片足を引きずった男だった。王国正規軍の外套を羽織っているが、もはや布切れと呼んだ方が正確だろう。その後ろに、肩を貸し合って歩く兵が数人。さらにその後ろには、即席の担架に乗せられた負傷者が続いている。担架の代わりに盾を使っている者もいた。槍の柄に外套を張って、その上に動けなくなった仲間を載せている。

武器を持っている者は、ほとんどいなかった。剣を捨て、槍を捨て、楯を捨て、鎧すら脱ぎ捨てて、ただ生き延びるためだけに歩いてきた者たちだった。列は長く、途切れ途切れで、砂埃の中を亡霊の行進のようにこちらへ向かっている。

ヨルグがいつの間にか隣に立っていた。

「敗残兵ですな」

「ああ」

「数は——」

レクトは列を目で追った。砂埃で正確には見えないが、二百から三百といったところか。指揮官らしき者の姿は見えない。軍旗もない。隊列も崩れきっている。これはもう軍ではなかった。戦に砕かれた人間の群れだ。

先頭の男が城門の前まで来て、力尽きたように膝をついた。そのまま地面に手をつき、顔を上げた。血と埃にまみれた顔に、まだ若い目があった。その目がレクトを見上げた。城壁の上から見下ろす、痩せた若い領主を。

「……頼む」

声は掠れていた。

「どこの領も、門を開けてくれなかった。俺たちは——もう歩けない」

後方から、子供の泣き声が聞こえた。兵の中に、戦場から一緒に逃げてきた民間人が混じっているのだ。担架の上で呻く負傷者の声と、疲弊しきった兵たちの荒い呼吸が、秋の夕暮れに重なっていく。

レクトは城壁の縁に手をかけたまま、動かなかった。

受け入れれば、乏しい食糧がさらに減る。避難の足も鈍る。何より、敗残兵を匿えば帝国軍の標的になる。だが目の前の光景が、判断を数字だけで済ませることを許さなかった。

あの中に、父の部隊の兵もこうして彷徨ったのだろうかという考えが、不意に胸を突いた。援軍を断たれ、壊滅した前線から逃れた兵たちは、どこかの城門の前でこうして膝をつき——そして、閉ざされた門を見たのではないか。

レクトは息を吸った。乾いた秋の空気が肺を満たす。

それから城壁を降り、門へ向かった。

この話はいかがでしたか?

↓ スクロールで次の話へ

第2話 - 灰燼の軍旗 | Novelis