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処刑料理人の万能調理復讐譚

第2話 第2話

第2話

第2話

三日、と行商人は言った。 実際には四日かかった。少年の脚は短く、体力は底が知れていた。森を抜けるまでに丸一日を費やし、木々の隙間から差し込む光が赤く傾く頃には、膝が笑い、太腿の筋が引きつっていた。前世の身体なら半日で抜けられる道だった。だが今の俺は、十にも満たない子供だ。乾いた街道に出てからは、砂混じりの風が容赦なく肌を削った。唇は初日で割れ、舌で舐めるたびに鉄の味がした。靴底は二日目で穴が空き、足裏に小石が食い込むたびに歯を食いしばった。何度も立ち止まりかけた。だが立ち止まれば、次に歩き出す気力が残っている保証はなかった。だから歯を噛み、一歩を繰り返した。一歩。もう一歩。それだけを考えた。

だが、飢えだけは遠のいていた。

道中、食えるものは何度も試した。街道脇の枯れかけた雑草、水辺で拾った小さな巻貝、崖下に転がっていた鳥の古い卵。どれも普通なら口にする気にもならない代物だ。だが【万能調理】を通せば、すべてが変わる。枯れ草は煎れば香ばしい茶になり、巻貝は灰と蒸すことで磯の旨味だけが残った。卵は割った瞬間、鼻を突く臭いがしたが、スキルが示した手順——殻ごと砂に埋め、上から熾火を被せて蒸し焼きにする——に従うと、臭みは消え、濃厚な黄身だけが残った。舌に乗せたとき、思わず目を見開いた。腐りかけていたはずの卵が、前世の宮廷で出していた温泉卵より遥かに深い味わいを持っていた。前世の俺が十年修行しても思いつかない調理法が、スキルを起動するたび頭に流れ込んでくる。

三日目の夜、焚き火の前で、ふと例の光文字が視界に浮かんだ。

──古代調理法『灰昇華』:素材の不純物を灰の触媒作用で昇華させ、本質のみを抽出する技法。

「……灰昇華」 呟いて、手元の焚き火の灰を見た。橙色の残り火に照らされた灰は、細かく、絹のように滑らかだった。指先で摘まむと、体温に温められた灰がさらさらと零れ落ちる。試してみるか。道端で拾った硬い木の実がある。殻は石のように厚く、中身は渋くて食えたものじゃない。前世でも、辺境の飢民すら見向きもしない類のものだ。 灰をひとつまみ、割った殻の内側に振る。レシピが示す温度は低い。炎ではなく、熾火の遠赤外だけで炙れ、と。時間は長い——四半刻。 待った。虫の声と、薪の爆ぜる小さな音だけが、夜の静寂を埋めていた。 じわりと、木の実の表面から透明な雫が浮いた。渋味の成分が灰に吸われ、残ったのは琥珀色の、蜜のような液体だった。焚き火の光を受けて、それは宝石のように輝いた。舌先に乗せる。 「——っ」 栗を超えた、栗だった。濃厚な甘味の奥に、花のような香りがほのかに開く。前世の宮廷で出していた栗のポタージュが、屑に思えるほどの純度。目を閉じると、舌の上で味が風景になる。金色の野原を渡る風。頬を撫でる秋の陽。収穫を終えた畑の土の匂い。こんな感覚は、初めてだ。料理人として三十年以上を生きた前世でさえ、味覚がここまで鮮烈に像を結んだことはない。 スキルの奥底にある古代の知識。これは、いったい誰のものだ。千年前の料理人か。それとも、もっと古い何かか。 答えは返らない。ただ、井戸の底の気配だけが、微かに揺れた気がした。問いかけるように意識を向けても、暗い水面は沈黙したまま、こちらを映すだけだった。

四日目の昼過ぎ。丘を越えると、灰色の城壁が見えた。 辺境都市ヴェルト。王都から馬で二十日、帝国との国境に最も近い交易都市。城壁は古く、ところどころ苔と蔦に覆われている。石積みの隙間からは名も知らぬ雑草が顔を出し、年月の重みを無言で語っていた。だが門前には荷車の列ができていて、人の流れは思いのほか太い。香辛料の匂い、家畜の鳴き声、怒鳴り合う商人たちの声。雑多な活気が、門の隙間から漏れ出している。四日間、人の声をほとんど聞いていなかった耳には、その喧騒がひどく眩しかった。 門番は少年の姿をじろりと見たが、通行料の銅貨一枚で素通りさせた。子供一人、気にも留めないらしい。ありがたい。今は目立ちたくない。

街に入って最初に向かったのは、市場だった。 石畳の広場に所狭しと並ぶ露店。干し肉、焼きパン、煮込み鍋、串焼き——あらゆる食い物の匂いが渦を巻いている。油の弾ける音、肉汁が炭に落ちて立ち上る白い煙、鍋の蓋を開けるたびに噴き出す湯気。前世の宮廷料理人の目で、一つ一つを観察した。 ——まずい。 断言できる。どの店も、素材の扱いが荒い。火加減は大雑把、塩は振りすぎ、煮込みは煮詰めすぎ。串焼きの肉は表面だけ焦げて中は生焼け、煮込み鍋は底が焦げ付いた苦味が全体に回っている。辺境だから仕方ないのかもしれないが、王都の場末の屋台にも劣る。逆に言えば、ここなら勝てる。圧倒的に。 「よう坊主、腹減ってんのか? 銅貨二枚でパンが一個だ」 太った露店主が声をかけてくる。愛想はいいが、パンの断面は目が粗く、発酵が甘い。生地の中に大きな気泡が偏り、焼き色も斑だ。銅貨二枚の価値はない。首を振って通り過ぎた。 市場の端で足を止める。ここの食事情はわかった。次は、情報だ。 酒場を三軒回り、水を一杯ずつ頼んでは隅で耳を澄ませた。辺境の酒場は口が軽い。酒が入れば、なおさらだ。薄暗い店内に染みついた酒精と汗の匂いの中、木の椅子に座る少年の姿は、誰の目にも留まらなかった。

「——聞いたか、ベルシュタイン家の次男坊」 三軒目で、その名が耳に刺さった。 背筋が、氷の棒を押し込まれたように伸びる。手に持った水の杯が、かすかに揺れた。 「追放されたんだってよ。王都で何かやらかして、親父に勘当されたとか」 「ヴェルトに来てるらしいぜ。金はあるみたいだがな、態度がでかくて評判最悪だ」 「まあ貴族様だからな。辺境の民なんざ虫けら扱いだろうさ」 ベルシュタイン。 握りしめた拳の中で、爪が掌に食い込んだ。じわりと、薄い皮膚を破る鈍い痛みが走る。 その名は、忘れようがない。前世の俺に毒殺の濡れ衣を着せ、処刑台に送った男。ベルシュタイン家の当主ではない——次男のカルツだ。当主の息子というだけで宮廷に出入りし、俺の料理を誰よりも貪り食いながら、政争の駒が必要になった瞬間、躊躇なく俺を差し出した男。あの日の法廷で、証言台に立ったカルツの顔を覚えている。薄い唇の端がわずかに上がっていた。哀れみでも、罪悪感でもない。あれは、退屈な手続きを早く済ませたいという苛立ちだった。俺の命は、あの男にとってその程度のものだった。 あいつが、ここにいる。 偶然か。運命か。どちらでもいい。 酒場の隅で、俺は静かに水を飲み干した。冷たい水が喉を通る感覚だけが、今この場で唯一、確かなものだった。心臓が、うるさい。少年の身体は、感情の波に正直すぎる。深く息を吸い、吐く。三回繰り返して、ようやく指先の震えが止まった。

——落ち着け。 この身体では、剣も握れない。魔法も使えない。正面からぶつかれば、貴族の護衛に叩き潰されて終わりだ。 だが、俺には匙がある。 行商人の言葉を思い出す。名を出せば屋台の融通が利くと、あの男は言った。銀貨は四枚残っている。市場の食のレベルは低い。つまり、条件は揃っている。 酒場を出ると、夕暮れの街が赤く染まっていた。石畳の隙間から、長い影が伸びる。少年の影は小さく、頼りない。だが影の中の輪郭は、もう震えてはいなかった。 市場の外れに、潰れかけた屋台が一つ。板壁は傾き、看板は文字が読めないほど色褪せている。釘の頭は錆び、蝶番は片方が外れかけていた。だが屋根はあるし、竈の跡も残っている。覗き込むと、竈の内側には前の持ち主が最後に使った炭の欠片がまだ残っていた。煤で黒ずんだ壁に、かすかに油の匂いが染みついている。誰かがここで何かを焼き、何かを売り、そしていなくなった。その残り香だけが、まだ生きていた。 ここだ。 ここから始める。偽名でいい。少年の顔でいい。一杯のスープから、この街の舌を変える。そしていつか、あの男の前に皿を出す。忘れられないほどの一皿を。毒ではなく、刃でもなく、ただ圧倒的な旨さで、あの男の記憶を塗り替える。

日が沈みきる前に、俺は屋台の前に立ち、錆びた竈に手を置いた。冷たい鉄の感触が、掌に染みる。指先から、ざらついた錆の粒子が伝わってくる。だがその冷たさの奥に、かつて火が通った記憶が、かすかに残っている気がした。 ——復讐の厨房は、ここだ。 懐の銀貨が、静かに重さを主張していた。明日、この竈に火を入れる。辺境の屑材料で、王都の貴族を黙らせる一杯を作る。まずは、この街の胃袋からだ。 遠く、城壁の向こうで犬が一声吠えた。それきり、夜は静かだった。

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