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処刑料理人の万能調理復讐譚

第1話 第1話

第1話

第1話

──首が、落ちた。

その感覚を、俺ははっきり覚えている。 衆人環視の広場。毒殺の濡れ衣。信じていた貴族の冷笑。前世で最後に舌に触れたのは、喉を通らなかった冷えた賄い飯の味だった。宮廷料理人リオン、享年二十八。それが、俺だったはずの男の最期だ。

それなのに。 目を開けると、見慣れぬ森の底にいた。 頭上を覆うのは黒々とした針葉樹。湿った土の匂い、遠くで鳥が鳴いている。苔むした倒木の上に、斜めに差し込む陽光が細い線を引いていた。頰に触れる空気は冷たく、まだ朝が明けきっていないのだと知れる。手を見下ろす。痩せ細った、日に焼けた少年の手だ。指の節には古い切り傷。爪の間には泥。爪床には薄く土が食い込み、掌の皮は厚く硬い。何年も、ろくな食事にありつけないまま生きてきた手だ、と直感した。 「……なるほど。これは、転生というやつか」 声も違う。まだ声変わりも済んでいない、乾いた少年の声。自分の喉から出た音のくせに、他人の声を録ったものを聞いているような居心地の悪さがあった。 理解が追いつくより先に、視界の中央に淡い光が走った。半透明の文字が、宙に浮かんで並ぶ。

──スキル【万能調理】を取得しています。

光は数秒で消えた。俺は立ち上がろうとして、膝から崩れた。空腹だ。尋常じゃない。腹の底がひしゃげている。背骨の裏側まで飢えが貼りついていて、唾を呑むだけで胃がきりきりと鳴いた。 周囲を見渡す。食えそうなものはない。木の実はほとんどが青く、硬い。火打ち石もなければ、鍋もない。前世なら貴族の厨房で銀の匙を振るっていた男が、いまは一本のマッチすら持たない。握りしめた掌に爪が食い込む。悔しさとも情けなさともつかない熱が、目の奥を押した。 それでも、胸の奥で熾火のように燻っているものがあった。復讐。あの貴族の、あの笑い方。忘れるはずがない。舌の付け根に、まだあの冷えた飯の味が貼りついている気さえする。噛みしめた奥歯が、鈍い音を立てた。 「……生きろ。まず、生きろ」 自分に言い聞かせて、俺は森の奥へ足を踏み出した。一歩ごとに、湿った落ち葉が頼りなく沈んだ。

半日ほど歩いた頃、藪の中に妙な草を見つけた。 紫がかった葉、白い斑点。前世の知識が即座に警告を出す。猛毒草ベルネラ。煮ても焼いても食えない、触れれば痺れる類の代物だ。その脇には、何かの獣の死骸。すでに腐りかけ、羽虫がたかっている。甘ったるい腐敗臭が、鼻の奥を刺した。思わず袖で口元を覆いかけて、手を止める。 ──ここで終わるなら、同じだ。 俺は腐肉を枝で引き寄せ、毒草を数枚むしり取った。指先に残る青臭い汁を、葉の裏で丁寧に拭う。近くの岩陰に風を避けた窪地を見つけ、乾いた枝を集める。火起こしは少年の身体には骨が折れたが、幸い、記憶の中の手順は身体が覚えていた。枯葉を芯にし、木の粉を散らし、掌で弓を押しては引く。汗が額から眉をつたい、睫毛の先で震えた。手のひらの皮が擦れ、熱を持ち、やがてひりつく痛みに変わっていく。それでも止めなかった。止めれば、死ぬ。それだけのことだ。何度目かで、細い煙が糸のように立ち上る。鼻先で微かに焦げた木の香りがして、俺は息を止めた。枯葉に口を寄せ、細く、長く、祈るように息を吹き込む。赤い点がじわりと広がり、やがて小さな炎が一枚の葉を舐めた。 火が点いた瞬間、視界の端にまた光が走る。

──【万能調理】起動。最適解を提示します。

脳裏に、レシピが流れ込んできた。 ベルネラは七十二度で三分、茎の繊維を断ってから水にさらす。毒素は熱で分解され、旨味成分に転化する。腐肉は表層を削ぎ、塩代わりに樹皮の灰を振る。発酵は熟成へ書き換わる。火加減、順序、配合――すべてが一枚の設計図として、頭の中に鮮明に浮かぶ。温度の一度、時間の一秒に至るまで、迷う余地がない。前世で師に叩き込まれた勘と経験が、数式のような確かさで裏打ちされていく感覚だった。水面に指を浸せば、触れただけで温度が読める。葉の繊維の走る向きが、目を閉じても見える。まるで食材そのものが、耳元で最適な扱い方を囁いてくるようだった。 前世の俺が十年かけても辿り着かなかった解だった。 「……冗談だろ」 口の端が、勝手に吊り上がる。 平たい石を鍋代わりにし、窪みに水を溜める。枝先で葉を捌き、肉を削ぐ。指が自然と最適な角度を選び、刃の代わりの枝先が繊維を正確に断つ。湯気が立ち始めると、信じられない香りが森の空気を押し広げた。甘く、濃く、どこか懐かしい。宮廷の厨房ですら、嗅いだことのない匂いだ。鼻腔の奥が痺れ、唾液が喉の奥からせり上がってくる。腹が、獣のような声で鳴いた。指先が震える。煮汁が石の縁で小さく跳ね、ぱち、ぱち、と拍手のような音を立てた。 一口。 舌の上で、旨味が弾けた。深い滋味が喉を下り、胃の底で灯火のように広がる。指先まで熱が巡る。少年の瘦せた身体が、内側から息を吹き返していくのがわかった。凍えていた指の節が、一本ずつ解けていく。視界が明るくなる。耳の奥で、遠かった鳥の声が、急に近く鮮明になった。瞼の裏に、ちかちかと星が散る。知らず、頰を涙が伝っていた。痩せた身体が歓喜に震え、咽び泣くような息が漏れる。生きている。その実感が、舌先から全身へと染み渡っていく。 「毒が、旨味に。腐敗が、熟成に」 匙代わりの平たい枝を持つ手が、小さく震えた。恐怖ではない。歓喜でもない。 ──理解、だ。 このスキルは、ただの料理じゃない。世界の理そのものを書き換える刃だ。食えぬものを食えるものに。殺すものを生かすものに。ならば――殺されたはずの俺が、生きている意味も、ここにある。

ふいに、背後で枝を踏む音がした。 振り向くと、襤褸の男が倒れかけていた。荷を背負った行商人らしい。頰はこけ、唇は乾き、目だけが香りを追っている。ひび割れた唇の隙間から、荒い息が漏れていた。 「……すまん、その、匂いが……」 言い終える前に、男は膝から崩れた。背負っていた荷がごとりと傾き、中で金属らしき物が鈍く鳴った。 俺は少し考え、石の器に残りのスープをすべて注いでやった。自分の腹もまだ満ちてはいない。だが、ここで惜しめば、俺は前世で俺を見下ろしたあの貴族と変わらない――そう思った。男は震える手でそれを受け取り、一口すすった瞬間、ぼろぼろと涙をこぼした。何も言わず、ただ、泣きながら飲んだ。皺だらけの喉がごくりと動くたび、痩せた肩が小さく跳ねる。落ち窪んだ目の奥に、消えかけていた何かが、じわりと灯り直すのが見えた。 空になった器を土に置いて、男はかすれた声で呟く。 「……坊主。ここから東へ三日、辺境都市ヴェルトって街がある。行くあてがねぇなら、あそこを頼れ。俺の名を出しゃあ、屋台の一つくらい、融通が利く」 懐から革袋を取り出し、銀貨を数枚、俺の掌に握らせる。掌に落ちた銀は、思いのほか冷たく、そして重かった。 「こんな味を、こんな森で朽ちさせちゃならねぇ」 男が去ったあと、俺はしばらく火を見つめていた。薪が爆ぜ、小さな火の粉が闇に吸い込まれていく。 銀貨の重みと、スープの残り香。脳裏に刻まれたのは、あの貴族の顔。処刑台で俺を見下ろしていた、あの薄笑い。 ──刃で刺せば、一瞬で終わる。 だが、匙でなら、舌から、記憶から、生きたまま崩せる。あの男の舌に、俺の料理を覚えさせる。忘れられぬほどに。手放せぬほどに。そうして、最後に取り上げる。 俺は立ち上がった。少年の膝はまだ頼りないが、歩くには充分だ。

東の空がわずかに白み始めている。火を踏み消し、俺は森の出口へ向けて歩き出した。踏み消した炭から、細く、名残惜しげな煙が一筋立ち昇った。 ヴェルト。まずはその街の胃袋を掴む。場末の屋台でいい。偽名でいい。そこから積み上げていけばいい。一皿ずつ、一人ずつ。気づいたときには、もう誰も俺の料理から逃げられない――そこまで積み上げる。 ふと、光文字がもう一度だけ、淡く視界を過ぎった。

──古代調理法・一件、解放。

誰のものとも知れぬレシピ。前世の知識にも、この少年の記憶にもない、遥か昔の手順。 「……古代、だと?」 呟きは、朝霧の中に溶けた。 スキルの奥に、何かがいる。そんな気がした。視線の届かぬ深い井戸の底から、誰かが静かにこちらを見上げているような――そんな、妙な気配。だが今は、それを追う前にやることがある。 俺の匙は、まだ一滴の血も拭っていない。

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