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呪いの令嬢は処刑台で予言する

第9話 第9話「二つの予言」

第9話

第9話「二つの予言」

# 第9話「二つの予言」

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王宮の大広間が、静まり返っていた。

石造りの広間に、春の陽が高窓から降り注いでいる。光の柱が宙に浮かぶ埃を照らし、金色の粒子が静かに舞っている。列柱の間に宮廷の貴族たちが居並び、正面の玉座にはまだ空席——国王は奥の間で控えている。王宮付き星詠みの公式予言は、国王の治世に関わる儀式のひとつだった。

広間には香が焚かれている。白檀の甘い煙が天井に向かって立ち上り、薄い靄のように漂っていた。厳粛な場にふさわしい香りだが、わたくしの鼻には別の匂いが混じっていた。銀盤の匂い。星を読むときの、冷たい金属の匂い。懐に忍ばせた銀盤が体温で温まっているはずなのに、金属の冷たさだけがなぜか消えない。

広間の中央に、セレスティアが立っていた。

黒い正装の裾が床に広がり、金色の瞳が半ば閉じられている。両手に掲げた銀盤——あれは宮廷から支給された公式の盤だ。わたくしのものとは形が違う。セレスティアの盤は大きく、装飾が施されていた。縁に彫られた星座の模様が蝋燭の光を拾い、細かな金色の点滅を繰り返している。わたくしの銀盤は祖母から受け継いだ、飾り気のない古いもの。

わたくしは列柱の影に立っていた。リオンが隣にいる。彼の気配が、冷えた石柱の陰で唯一の温もりだった。彼の呼吸が規則正しく聞こえる。緊張しているのか、いつもより少しだけ速い。ディランは広間の前方、王族席に座っている。灰色の瞳が、セレスティアをじっと見つめていた。顎が引かれ、背筋が伸びている。政治家の目だ。

「——星の川に、光が集う」

セレスティアの声が広間に響いた。澄んだ声だった。高い天井に反響して、二重三重に重なる。祖母の弟子だけあって、詠唱の作法は完璧だった。言葉の一つひとつが、広間の空気を振動させる。蝋燭の炎が、声に合わせて一斉に揺れた。

「近き日に、王家に慶事あり。星は穏やかに巡り、国に安寧をもたらす」

広間にさざめきが起こった。「慶事」の内容は具体的に語られなかったが、王家に吉報があるという予言は、宮廷の空気を和らげるのに十分だった。貴族たちが顔を見合わせ、安堵の微笑を浮かべる。扇が揺れ、衣擦れの音が広間を満たした。どこかで香水の匂いが強くなった。安堵すると体温が上がるのだろう。人の群れから立ち上る温もりが、白檀の煙と混じり合った。

けれど、わたくしの手の中の銀盤が、別のものを映していた。

わたくしの銀盤は、懐に忍ばせていた。公式の場に持ち込むべきではないが、セレスティアの予言を確かめたかった。銀盤が胸の前で冷たく脈打っている。セレスティアが詠唱を始めた瞬間から、わたくしの銀盤の表面にも映像が浮かんでいた。銀面が衣服の下で微かに発光し、胸に当たる冷たさが一段と増した。

映っていたのは、慶事ではなかった。

大広間と同じ場所。けれど、季節が変わっている。冬の光が高窓から差し込み、列柱の影が長い。玉座の前に人が倒れている。血が石畳に広がっている。暗い赤が、白い石を浸していく。誰の血か、顔は見えなかった。けれど、広間に響く声が聞こえた——悲鳴と、剣の交わる音。金属が金属を打つ、乾いた連打。鉄錆の匂いが、銀盤を通してさえ伝わってくるかのようだった。

わたくしの手が震えた。銀盤を懐に押し込んだ。冷たい金属が肌に触れて、体が一瞬強張った。心臓の鼓動が銀盤の脈動と重なって、どちらがどちらか分からなくなった。

(——嘘だ。セレスティアの予言と、わたくしの銀盤が映す未来が、矛盾している)

二つの予言が食い違う。そんなことがあり得るのか。星詠みの銀盤は、同じ星の川を読むはずだ。同じ未来が映るはずだ。一つの川から水を汲んで、片方だけ色が違うということがあり得るのか。

セレスティアが嘘をついているのか。あるいは——わたくしの力が、星紋の侵食で歪んでいるのか。

どちらの可能性も、背筋が凍るほど怖かった。前者なら、この国の予言制度の根幹が揺らぐ。後者なら、わたくし自身が——もう正確な未来を見る力を失いかけているということだ。

「素晴らしい予言だ」

国王の声が広間に響いた。いつの間にか奥の間から出てきていた。白髪の壮年の男が、セレスティアに向かって頷いている。国王の声は穏やかだったが、そこに疑念の影はなかった。完全に信じている。

「ルミエール殿。引き続き、星の声に耳を傾けてくれ」

セレスティアが深く礼をした。黒い髪が前に流れ、金色の瞳が一瞬だけ伏せられる。その礼は優雅だった。けれど優雅さの中に、わたくしは別のものを見た。芝居に慣れた者の動き。何百回も繰り返した所作。その黒い手袋の指先が、一瞬だけ、わたくしの方を向いた。指先が微かに動いた。手招きか、警告か。

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離宮の書斎。夜の灯りの下で、わたくしはリオンに銀盤の映像を語った。

蝋燭が二本、机の上で揺れている。リオンの赤毛が炎の色に染まり、影が壁に大きく投射されていた。蝋が溶ける甘い匂いが部屋に漂っている。リオンの碧眼が蝋燭の光を受けて、瞳の中に小さな炎が二つ灯っているように見えた。

「王家に血が流れる未来。セレスティアの予言とは正反対ですわ」

リオンが、腕を組んで考え込んだ。眉間に浅い皺が寄っている。顎を引き、少し首を傾ける。この人が考え込むときの仕草を、いつの間にか覚えていた。

「二つの可能性がある、ということですか。セレスティアが嘘をついているか、あなたの力が——」

「歪んでいるか。ええ、そう」

「アイリーンさま。あなたの予言は、今まで外れたことがありますか」

「……一度もありませんわ。書き換えたのは一度だけ。あなたの件。外したことは、ない」

「なら、あなたの銀盤を信じます」

リオンは迷わなかった。わたくしの言葉をそのまま受け取る。この人の信頼は、いつも揺るがない。それが頼もしくもあり、少し怖くもあった。わたくしの銀盤が歪んでいたら、その信頼ごと間違いに引きずり込むことになる。その重さが、肩にのしかかった。

「けれど、セレスティアの予言も外れたことがない——少なくとも、宮廷の記録上はそうですわ。だからこそ国王に信頼されている」

「記録上は」

リオンが、静かに言った。蝋燭の炎が揺れて、彼の碧眼の中で光が動いた。

「記録に残らない予言は、ないのですか」

わたくしは、はっとした。公式の予言は記録される。けれど、非公式の場で行われた予言は——。宮廷の書記官が記録するのは、広間で行われた公式予言だけだ。廊下の密談で語られた予言、書斎で囁かれた助言。それらは記録されない。

「セレスティアが、公式の場でだけ都合の良い予言をしている可能性……」

「あるいは、公式の場で意図的に選んだ未来だけを語っている」

リオンの言葉が、暗い書斎の中で光った。星詠みは未来を「見る」。けれど、見えた複数の未来のうち、どれを語るかは星詠みの判断だ。セレスティアが血の未来を「見ていない」のではなく、「語らなかった」のだとしたら——。

わたくしの背中を、冷たいものが伝った。蝋燭の炎が揺れて、一瞬だけ書斎が暗くなり、すぐに明るさが戻った。もしそうなら、セレスティアは予言を武器にしている。見えた未来を選別し、自分に都合の良いものだけを宮廷に提示する。

「調べる必要がありますわ。セレスティアの過去の予言と、実際に起こったこと。照合すれば、意図的な省略があるかどうか分かる」

「手伝います」

リオンの碧眼が、蝋燭の光に照らされていた。揺るがない瞳だった。炎の色を映しているのに、瞳の奥の冷静さは変わらない。この人の目は、いつもそうだ。感情が深い場所にあって、表面に出てこない。けれど出たとき——それは、絶対に揺るがない。

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深夜。書斎で資料を漁った後、自室に戻った。

枕元に銀盤を置いて横になった。寝台のシーツが冷たい。右腕の星紋が鈍く脈打ち、体温を奪っている。シーツの冷たさと星紋の冷たさが右半身で合流して、まるで体の右側だけが氷水に浸かっているようだった。左半身は温かい。この温度差が、自分の体が二つに分かれていくような不安を呼ぶ。

眠る前に、もう一度だけ銀盤を覗いた。今日見た血の未来を、もう少し鮮明に確かめたかった。

銀面に、映像が浮かんだ。

大広間。冬の光。血の石畳。そこまでは同じだった。けれど、今夜の映像は少しだけ先まで続いた。倒れた人の傍に、誰かが駆け寄る。足音が聞こえる——石畳を打つ、軽い、急いだ足音。靴音の響き方から、小柄な人だと分かった。その誰かの顔が——。

わたくしは、銀盤を取り落としそうになった。

母だった。

わたくしの母の顔が、銀盤の中に映っていた。若い頃の母。銀灰色の髪、淡い紫の瞳。わたくしと瓜二つの容貌。母が、血の中で膝をつき、倒れた人の手を握っている。母の唇が動いている。何かを言っている。けれど声は聞こえなかった。母のドレスの裾が血を吸い、白い布が赤く染まっていく。

一瞬で映像が消えた。

銀盤は、元の鏡面に戻っていた。わたくしの寝乱れた顔だけが、暗い銀面に映っている。

「——母さま」

声が漏れた。母は死んでいる。十二年前に死んでいる。死んだ人が、未来に映るはずがない。未来は、生きている者の領域だ。

もう一度覗いた。何も映らなかった。

三度、四度。銀盤は、ただわたくしの顔を映すだけだった。鏡として。わたくしの疲れた顔、乱れた髪、星紋に蝕まれた右手——それだけを、忠実に映している。銀面に映る自分の目の下の隈が深くなっていることに気づいた。頬がやつれている。数日前の自分よりも、確実に。

(今のは——何だったの)

手が震えていた。星紋が脈打っている。右腕の銀色の筋が、かすかに光っていた。暗い寝室の中で、自分の腕が発光しているのを見るのは、いつまで経っても慣れない。まるで腕の中に小さな月が住んでいるかのようだった。

未来に映った母の姿。それが本物の予言なのか、星紋の侵食による幻覚なのか。区別がつかなかった。区別がつかないということ自体が、わたくしの力が揺らいでいる証拠なのかもしれなかった。

枕に顔を押し当てた。綿の匂いと、夜の静けさが顔を包む。母の日記の、破られた頁。セレスティアの矛盾する予言。そして、銀盤に映った母の顔。すべてが繋がっている。繋がっているのに、繋ぎ目が見えない。手探りで糸を辿っているのに、糸の先がどこに向かっているのか分からない。

枕が涙で濡れていた。いつ泣いたのか、自分でも分からなかった。星詠みは夢の中では泣かない。けれど、わたくしはもう夢の外でも泣いている。

眠れない夜が、また始まった。窓の外で、風が木の枝を揺らす音だけが聞こえていた。

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