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呪いの令嬢は処刑台で予言する

第3話 第3話「三日目の刃」

第3話

第3話「三日目の刃」

# 第3話「三日目の刃」

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三日目の夕暮れが、薔薇を赤く染めていた。

空の端が茜色に燃え、雲が朱と金の層を描いている。わたくしは、リオンと並んで薔薇園への石畳を歩いていた。予言の期日。処刑台の上で口にした言葉が、いま、試される。「あなたはその刃で、別の刺客を斬る。わたくしを庇うために」——もし予言が外れれば、わたくしは明日の朝、あの階段をもう一度のぼることになる。

靴が石畳を踏む音が、やけに大きく響いた。並んで歩いているのに、わたくしの足音だけが不自然に硬い。緊張で体が強張っているのだと気づいたが、直す余裕がなかった。ドレスの裾が石畳を掠めるたびに、布が小石に引っかかるかすかな抵抗を感じる。足首から先がまるで他人のもののようで、踏み出すたびに地面の固さだけが膝まで伝わってくる。

夕風が肌に触れた。昼間の名残の温もりと、夜の気配を孕んだ冷たさが入り混じった風だった。その中に、薔薇園から流れてくる甘い匂いが微かに混じっている。けれど今のわたくしには、花の香りさえどこか血の匂いに似ているように思えた。

「ルル、ここでいいわ」

離宮の角で、ルルを立ち止まらせた。ルルは唇を噛んでいた。瞳のふちが赤い。そばかすの浮いた頬が、夕日の光で余計に痛々しく見えた。

「お嬢さま……ぜったい、戻ってきてください」

「ええ。戻りますわ」

ルルの手を一度だけ握り、わたくしはリオンと共に薔薇園へ足を向けた。ルルの手は汗ばんでいて、温かくて、離すのが惜しかった。その温もりが指先から逃げていくのを感じながら、わたくしは背筋を伸ばした。振り返ってはいけない。振り返れば、きっと足が止まる。

夕陽が石畳に長い影を落としている。わたくしの影と、リオンの影が、並んで伸びていた。わたくしの影は揺れているのに、リオンの影は微動だにしない。それが妙に心強かった。

「怖くはありませんの、リオン」

「怖いです。けれど——」

リオンが剣の柄に手を置いた。革の握りを確かめるように、指を一本ずつ巻きつける。「怖い時は、体を動かせば考えずに済みます。騎士の教えの中で、一番役に立つ言葉です」

不器用な励ましだった。けれど、おかしなことに、それで少し楽になった。わたくしの足音が、さっきより柔らかくなった気がした。

(この人の前では——わたくしは、少しだけ正直になれる)

そう思った自分に驚いた。処刑台の日から、まだ三日しか経っていないのに。

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薔薇園は、黄昏の光に沈んでいた。

白い薔薇が夕日に染まり、淡い橙色を帯びている。噴水の水が、最後の光を拾ってきらめいていた。水音が静かな鼓動のように、一定のリズムで園に響いている。噴水の縁に、今朝の雨の跡が濡れた帯となって残っていた。石に染みた水が、夕日を受けて錆のような色に見える。

わたくしたちは、園の中央に立った。背中合わせに。リオンの背中の体温が、夕風を通してかすかに伝わってきた。肩甲骨のあたりから染み出すような温もり。この人の背中は、思っていたより広い。わたくしは銀盤を胸の前に構えた。銀面に映る空が、刻一刻と赤から紫へ変わっていく。

腕の内側に汗が滲んでいた。銀盤を構える手が滑りそうで、左手を添えて支えた。銀盤の冷たさだけが、今のわたくしの感覚の中ではっきりしていた。

「来ますか」

「来る。銀盤がそう告げている」

銀盤の表面に、うっすらと影が映っていた。ひとつの人影。薔薇の茂みの向こう側から、ゆっくりと近づいてくる。

待った。

風が止んだ。鳥の声が消えた。薔薇園に満ちていた虫の羽音さえも途絶え、世界がまるで息を止めたようだった。花弁が一枚、ひらりと落ちた。白い花弁が夕日を受けて茜色に変わりながら、ゆっくりと宙を舞い、石畳に向かって落ちていく。その花弁が石畳に触れた瞬間——茂みの奥から黒い影が飛び出した。

速い。

短剣が夕日を反射し、一直線にわたくしへ向かった。刃先が赤い閃光を散らす。わたくしの足は動かなかった。動かなかったのではない——動かす必要がなかった。

リオンの体が、わたくしの前に割り込んだ。

金属がぶつかる鋭い音が、薔薇園に響いた。硬い、短い、耳の奥まで突き刺さるような音。リオンの剣が短剣を弾き、そのまま流れるように刺客の手首を打った。短剣が石畳に落ちる。乾いた音。刺客が体勢を崩し、リオンの二撃目が鳩尾に入った。刺客が崩れ落ちる。

一瞬だった。

薔薇の花弁が、もう一枚、風に揺れて落ちた。先ほどの花弁と並んで、石畳の上で夕日を受けている。刺客の体からは安物の革鎧の匂いと、走ってきた体の汗の匂いが漂っていた。わたくしの心臓が、ようやく動いた。止まっていたことに、今になって気づいた。

鼓動が耳の奥で鳴っている。ドクドクと。自分の血が巡る音を、こんなにはっきり聞いたのは初めてだった。

リオンが刺客を抑え込み、背を向けたまま言った。

「終わりました」

声は静かだった。けれど、剣を持つ手がわずかに震えていた。わたくしは、その震えを、見逃さなかった。腕の筋が小刻みに動いている。恐怖の震えではない。力を込め続けた後の反動だ。この人は、全力で——わたくしのために。

「リオン……」

「怪我はありません。——あなたも?」

「ええ。わたくしは——」

言いかけて、右腕に焼けるような痛みが走った。

星紋が動いている。手首に留まっていた銀色の模様が、前腕に向かって急速に這い上がっていく。まるで生き物のように。脈打ちながら、肘の手前まで一気に広がった。痛みは手首から肘まで、焼けた鉄を押しつけられたような熱さと、氷水に浸されたような冷たさが同時に走る、矛盾した感覚だった。

わたくしは腕を押さえて膝をついた。石畳の冷たさが膝頭に染みた。ドレスの布越しでも分かるほど、石が冷えていた。

「アイリーンさまっ」

リオンが駆け寄り、わたくしの腕を取った。袖を捲ると、銀色の紋様が肌の上で蠢いているのが見えた。薄暮の光の中で、紋様は自ら発光しているかのように淡い銀色を放っている。リオンの碧眼が大きく見開かれた。

「これは——」

「予言の……代償ですわ」

声が震えた。痛みだけではない。恐怖だ。星紋がどこまで広がるのか、分からない。祖母は最後、全身を星紋に覆われて、ただ星を指差して笑うだけの人になった。あの虚ろな目を、わたくしは五歳のときに見ている。あのとき祖母の手は骨ばっていて、銀色の模様が手首の骨に沿って浮き出ていた。指先で星を差すその手が、わたくしには花びらが枯れていくさまに見えた。

「でも」わたくしは、痛みの中で笑った。唇が引き攣る。笑い方を忘れたのかもしれない。「予言は、成就しましたわ。あなたは刺客を斬った。わたくしを庇って」

リオンの手が、わたくしの腕をそっと包んだ。温かかった。彼の手のひらには剣胼胝の硬さがあって、けれどその硬さの奥に、驚くほど繊細な温もりがあった。星紋の冷たさと、リオンの手の温もりが、肌の上で拮抗した。痛みが、ほんの少しだけ和らいだように感じた。

「あなたは生きている。私も生きている。それだけで十分です」

そう言ったリオンの顔には、あの日——処刑台で見た覚悟の光が、もう一度灯っていた。頬に泥が跳ねている。額にも汗が光っていた。それが、この場が現実なのだと、わたくしに教えてくれた。

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薔薇園の入り口に、人影があった。

白い馬を従えた金髪の青年。ディラン殿下が、柱の影から、一部始終を見つめていた。衛兵を一人も連れていない。夕闇が迫る中、白い馬だけが最後の光を弾いて、幻のように輝いている。わたくしがリオンの手に支えられて立ち上がるのを見て、その顔が歪んだ。

怒り——ではなかった。苦いものを飲み込んだような、そういう表情だった。唇を結び、眉間に深い皺を刻んでいる。かつて十歳のディランが白鳥の予言に目を丸くしていた頃には、想像もできなかった顔だった。あの頃の無邪気さが、どこで剥がれ落ちたのだろう。

わたくしと目が合った。ほんの一瞬。灰色の瞳に、言葉にならない何かが揺れていた。けれどディランは、すぐに視線を外した。踵を返し、白い馬に跨り、何も言わずに去っていった。蹄の音だけが、夕闇の中に残った。石畳を打つ蹄鉄の音が、遠ざかるにつれて乾いた反響に変わり、やがて消えた。

「殿下……」

わたくしは、去っていく背中に手を伸ばしかけて、やめた。今のわたくしの右腕には、星紋が刻まれている。ディランが恐れていたのは、この力だ。予言の代償が体を蝕んでいく姿を、彼はきっと、間近で見たことがあるのだ。——わたくしの祖母の最期を。

あの歪んだ顔は、嫌悪ではない。怖れだ。大切なものが壊れていくのを、ただ見ていることしかできない者の、怖れ。

(殿下は——わたくしを、大切に思ってくださっていたのかしら)

問いかけるだけで、答えは出なかった。あの灰色の瞳の奥を読むには、わたくしはまだ幼すぎるのかもしれない。

リオンが、わたくしの肩にそっと手を置いた。

「帰りましょう、アイリーンさま。ルルさんが待っています」

「……ええ」

帰り道、わたくしは振り返らなかった。けれど、ディランの歪んだ顔が、瞼の裏に張りついて消えなかった。あの表情の中に、わたくしがまだ読めていない感情がある。

離宮の門が見えたとき、ルルが飛び出してきた。わたくしの姿を見て、何も聞かずに泣いた。小さな手がわたくしの左腕にしがみつく。ルルの涙がわたくしの袖口を湿らせて、その温もりがまた、別の形で胸に染みた。ルルの髪から、石鹸の素朴な匂いがした。この子はいつも清潔で、いつも真っ直ぐで、いつもわたくしのために泣いてくれる。

星紋が、腕の上で小さく脈打った。予言は成就した。わたくしは生きている。けれど、代償の本当の意味を、わたくしはまだ知らない。

夕闇が薔薇園を呑み込み、白い花弁だけが暗がりの中で青白く浮かんでいた。

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