第27話
第27話「目覚めの朝」
# 第27話「目覚めの朝」
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目が覚めたとき、最初に見えたのは天井だった。
離宮のわたくしの部屋の天井。白い漆喰に、朝の光が薄く差している。天井の隅に小さな染みがある。雨漏りの跡だ。以前から知っていたが、右目では見えなくなっていた。
右目が——見えた。ぼんやりと、けれど確かに、天井の模様が見える。染みの形が分かる。右目の灰色の靄が、薄くなっていた。完全には消えていないが、光が入ってきている。
「——右目が」
声が出た。掠れていたが、自分の声だった。喉が乾いている。唇が割れかけていた。
体を起こそうとして、右腕に違和感を覚えた。動く。右腕が動く。重さはまだある。けれど、石の鎧のような圧迫感は消えていた。星紋はまだあった。けれど、銀色ではなく金色に変わっていた。金色の紋様が肌の上で穏やかに脈打っている。痛みがほとんどない。鈍い拍動は残っているが、それはもう痛みではなく、心臓の鼓動と同じリズムの、体の一部のような感覚だった。
「お嬢さま!」
ルルの声。扉が開き、小さな侍女が飛び込んできた。目が真っ赤だった。泣き腫らしている。鼻の頭が赤く、そばかすがいつもより目立っていた。お団子髪が崩れかけている。手に水差しを持っていた。
「起きた——お嬢さま、起きた——」
「ルル。わたくし、どれくらい眠っていましたの」
「三日です。三日間、ずっと——あたし、ずっと傍にいました。リオンさまも、ずっと——」
ルルが横を向いた。部屋の隅の椅子に、リオンが座っていた。座ったまま眠っている。軍服のまま。剣帯も外していない。顎に無精髭が生えている。赤毛が乱れ、額に前髪がかかっていた。三日間、ここから動かなかったのだろう。椅子の肘掛けに腕を預け、頭が少し傾いている。呼吸が規則正しい。疲労が限界に達して眠ったのだ。
彼の左手に、薄い金色の星紋が浮かんでいた。火傷の跡に重なるように。代償を半分引き受けた証。金色の紋様が、彼の手の上で穏やかに脈打っている。わたくしの星紋と同じリズムで。二つの脈動が同期しているのを見て、胸の奥が温かくなった。二人の心臓が同じ拍子で打っているかのようだった。
椅子の横に水差しとコップが置いてあった。ルルが置いていったものだ。コップの中に水がほとんど残っていない。三日間、この水を少しずつ飲みながら、リオンはわたくしの傍にいたのだ。
「リオン」
呼びかけた。声が小さかった。けれど、彼は一瞬で目を覚ました。碧眼がわたくしを捉え、大きく見開かれた。眠りから覚めた直後の目。けれど、わたくしを認識した瞬間に、目の焦点が鋭く合った。
「アイリーン——」
声が掠れていた。三日間、名前を呼び続けた声だ。何度も、何度も呼んだのだろう。返事がないと知りながら。敬称がなかった。寝起きだからか、それとも——星の海の中で「俺」と言った、あのときの延長か。リオンが立ち上がり、わたくしの寝台の傍に来た。椅子が後ろに滑り、壁に当たった。わたくしの右手を取った。金色の星紋同士が触れ合った。触れた瞬間、温もりが指先から腕に広がった。
「生きている」
「ええ。生きていますわ」
「星紋が——色が変わっている」
「ええ。銀盤が変わったから。鏡から糸車に。代償の仕組みが変わったのですわ。一人に集中する代わりに、二人で分散される。だから——」
リオンの左手を見た。金色の星紋。瘢痕の肌の上で、金色の線が脈打っている。
「あなたにも、負担が」
「知っています。自分で選びました」
リオンが微笑んだ。無精髭の、寝不足の、けれど穏やかな微笑みだった。目の下に深い隈がある。唇が乾いている。三日間、ろくに食べていないのだろう。けれどその微笑みは、わたくしが知る中で最も美しいものだった。
ルルが朝食を運んできた。温かいスープとパン。スープの湯気が立ち上り、部屋に優しい匂いが広がった。野菜と鶏の出汁の匂い。パンは焼きたてで、表面がきつね色に輝いている。ルルの目がまだ赤い。わたくしが一口スープを飲むのを見て、また泣いた。
スープの匂いが鼻をくすぐった。温かいスープの湯気が、目の前で揺れている。匂いを感じることに安堵した。生きている。味覚も嗅覚も戻っている。三日間眠っていた体が、少しずつ世界を取り戻していく。
「泣きすぎですわ、ルル」
「だって——だって、三日間、お嬢さまが目を覚まさなくて——リオンさまが銀盤を握って、ずっとお嬢さまの手を離さなくて——あたし、何もできなくて——」
「あなたは毎日、水を替えてくれたでしょう。花瓶の水を」
ルルが、はっとした。寝台の横に、白薔薇の花瓶があった。リオンが別れの日に残した白薔薇。三日間、ルルが水を替えていてくれたのだ。花は新しいものに替わっていたが、花瓶は同じ。あの花瓶に水を注ぐことは、ルルにとっての祈りだったのかもしれない。
「ルル。あなたがいてくれたから、わたくしは戻ってこられたのですわ」
ルルが、今度こそ声を上げて泣いた。小さな背中を震わせて。そばかすの頬を涙が伝い、顎から落ちた。わたくしは左手でルルの頭を撫でた。栗色の髪が指に絡まった。石鹸の匂いがした。三日間寝ずの番をしていても、この子は髪を洗っていたのだ。
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午前中はルルが離れなかった。わたくしの体温を確認し、水を飲ませ、スープをもう一杯温め直し、シーツを替え、カーテンを開け、花瓶の水を替えた。小さな体が部屋中を動き回り、その気配だけで部屋が温かくなった。リオンは椅子でもう一度うたた寝をした。三日間の看病の疲れが出たのだろう。
午後。リオンと二人きりになった。
バルコニーに出た。秋の風が、金木犀の香りを運んでくる。甘く、少し苦い香り。空は高く、青い。雲がうっすらと筋を引き、秋の空の深さを際立たせている。右目で見る世界は、まだ少しぼやけているが、光と色は戻っていた。左目で見る世界と合わせると、世界が再び一つになった。半分ではない、全体の世界。
バルコニーの手すりに手を置いた。石の手すりが秋の陽に温まっていた。その温もりが手のひらに心地よかった。
「リオン」
「はい」
「銀盤が覚醒する前に、あなたが言いかけた言葉——」
リオンが振り返った。碧眼が、秋の陽に琥珀色を帯びていた。午後の光が低い角度で射し込み、彼の瞳の中に暖かい色を落としていた。
「覚えていますか」
「覚えています」
「では——聞かせてくださいな」
リオンが、一歩近づいた。わたくしの正面に立った。秋の風が二人の間を通り抜けた。金木犀の花弁が一枚、風に乗って飛んできた。小さな橙色の花弁が、わたくしの肩に触れて滑り落ちた。
「アイリーン。私は、あなたを愛しています」
予言ではなかった。宣言でもなかった。ただの、ひとりの人間の、ありのままの言葉だった。声は低く、静かで、けれど揺るぎなかった。この人の言葉には、いつも余計なものがない。飾りがない。だからこそ、胸に直接届く。
わたくしの左目から涙が一筋落ちた。右目からも——ぼんやりと、かすかに、涙が滲んだ。右目が涙を流せるようになっていた。星紋が変わったから。金色の星紋は、涙を止めない。
「……わたくしも」
声が震えた。けれど、続けた。言わなければならない。予言としてではなく。掟としてではなく。わたくし自身の、ただの言葉として。
「わたくしも、あなたを。——予言ではなく、わたくし自身の言葉として」
リオンの手が、わたくしの頬に触れた。金色の星紋同士が触れ合った。温かかった。二つの金色が共鳴し、かすかな光が二人の間に灯った。
秋の風が、バルコニーの白薔薇を揺らした。花弁が一枚散り、バルコニーの床に落ちた。
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束の間の穏やかな朝が終わろうとしていた。
ディランからの急報が、ルルの手で届けられた。ルルの足音が廊下を駆けてきた。扉を開ける前に、ノックの音が鋭かった。
『セレスティアが王宮から姿を消した。行方不明。——警戒せよ』
わたくしはリオンと顔を見合わせた。碧眼の中の温もりが、一瞬で覚悟に変わった。
穏やかな朝は、これで終わりだった。
けれど、この朝があったことを、わたくしは忘れない。リオンの言葉と、秋の風と、金木犀の匂いと、ルルの紅茶と。すべてが、これから始まる戦いのための——力になる。
リオンが剣帯を締め直した。金属の留め具がかちりと鳴った。穏やかだった碧眼に、騎士の光が戻っている。
「行きましょう。——セレスティアを止める前に、何を企んでいるか確かめなければ」
わたくしは金盤を手に取った。金色の光がわたくしの決意に応えるように、一段強くなった。
ルルが、わたくしたちを見つめていた。涙を拭いた目で。けれど、その目は怯えてはいなかった。
「お嬢さま。リオンさま。——行ってらっしゃいませ」
その声が、背中を押した。