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残響倶楽部の供養人

第2話 第2話

第2話

第2話

土曜日の午後、駅前のファミレスに集まるのが残響倶楽部の定例だった。

月に二度、次の探索先を決めるための打ち合わせ。といっても大半は雑談で、廃墟の話が本格的に始まるのは二杯目のドリンクバーを取りに行った後くらいからだ。私はいつもアイスティーを選ぶ。甘くないやつ。氷が溶けて薄くなっても気にならないから、長い打ち合わせ向きだ。

窓際のボックス席に四人がすでに揃っていた。私が一番最後。いつものことだ。

「奈緒さん遅いよー、もう頼んじゃったよ」

柚月が手を振った。本名は藤堂柚月。二十四歳。残響倶楽部のムードメーカーで、彼女がいなければこのサークルの空気は三倍は重くなる。栗色に染めたショートヘアに、季節を無視した薄着。この日もパーカーの下はタンクトップだった。廃墟探索の時も動きやすさ優先で、何度か錆びた釘で腕を引っかけている。

「ごめん、電車が遅れて」

実際には遅れていない。家を出るのが五分遅れただけだ。でもそう言えば誰も気にしない。私の遅刻には誰も怒らない。怒るほど期待されていないということでもあるけれど、この場ではそれが心地よかった。

「座れよ」

片桐が奥に詰めて場所を作った。片桐信也、三十一歳。残響倶楽部の創設者でリーダー格。長身で痩せていて、いつも黒いシャツを着ている。職業はフリーランスのウェブデザイナーで、時間の融通が利くぶん、探索の下見も彼が行くことが多かった。口数は少ないが、決定権は自然と彼に集まる。この場にいる五人の中で、廃墟への執着が最も深いのは、たぶん片桐だ。ただ、その執着の質が私とは違う気がする。私は廃墟に安らぎを求めている。片桐は、何かを探している。

「火曜の廃病院、どうだった?」

テーブルの端でノートパソコンを開いているのが多田。多田勝、二十九歳。記録係。探索のたびに写真の整理、場所の歴史、建物の構造メモをまとめてくれる。眼鏡をかけた、いかにも事務職という風貌。実際に経理の仕事をしている。几帳面で、探索中も常にメモを取っている姿が印象的だ。彼がいなければ残響倶楽部の活動記録は何も残っていない。

「うん、三階まで回れた。写真は共有フォルダに上げてある」

「サンキュ、あとで見とく」

多田はそう言いながらもう画面を覗き込んでいる。仕事が早い。

「奈緒さんの写真っていつも空気写ってるよね。空気っていうか、その場の温度みたいなの」

柚月がドリンクバーのメロンソーダを啜りながら言った。褒めているのだと思う。たぶん。

「そりゃ奈緒が一番長く廃墟にいるからな」

最後の一人、冴島が口を開いた。冴島透、三十歳。長い前髪で目元が隠れがちな男で、普段は寡黙だが、時折妙に鋭いことを言う。探索中に「この部屋はやめておいたほうがいい」と言って、実際にその部屋の床が抜けていたことがある。本人は「なんとなく」と言うだけで、それ以上の説明はしない。柚月は冴島のことを「座敷童」と呼んでいる。いるだけで何かを感じ取る人、という意味らしい。

打ち合わせは緩やかに進んだ。先週の探索報告、機材の確認、夏に向けた遠征計画。ドリンクバーを三杯目に突入した頃、片桐が切り出した。

「次の候補なんだけど」

テーブルの上にスマートフォンを置いて、画面をこちらに向ける。古い航空写真のようだった。山間の谷あいに、小さな建物がいくつか点在している。

「黒沢キャンプ場。県北の山奥にある廃キャンプ場だ。九六年に閉鎖されて、そのまま放置されてる」

「キャンプ場か……廃墟としてはちょっと地味じゃない?」

柚月が首を傾げた。彼女は病院や学校のような、構造が複雑な廃墟を好む。キャンプ場は基本的に屋外だから、「探索」というより「散歩」に近くなりがちだ。

「建物はある。管理棟、炊事場、バンガローが八棟。それと——」

片桐は一拍置いた。

「三十年前に集団失踪事件があった場所だ」

空気が変わった。柚月のメロンソーダのストローから、ずず、と音が鳴って、それきり静かになった。ファミレスの店内BGMが急に耳につく。隣のテーブルで子供がはしゃいでいる声が、どこか遠い場所の出来事のように聞こえた。

「失踪?」

多田がノートパソコンから顔を上げた。

「九六年の夏。キャンプ場で林間学校をやっていた小学生十二人と引率の指導員一人が行方不明になった。捜索は二週間続いたけど、誰一人見つからなかった。キャンプ場はその直後に閉鎖された」

「それ、結構有名な事件じゃないの?」

柚月が聞いた。

「いや、ほとんど報道されてない。地元の新聞にいくつか記事が出た程度だ。山間の小さな町で起きた事件で、遺体も出なかったから続報も途切れた」

片桐の声は淡々としていた。けれど、その淡々さの奥に力が入っているのを、私は感じた。まるで、感情を押し殺すために意図的に平坦にしているような。右手がテーブルの上で微かに握られているのが見えた。その指先の白さに、私だけが気づいていた。

「やめといたほうがいいんじゃないか」

冴島が言った。前髪の隙間から片桐を見ている。

「なんで」

「理由はない。ただ、そう思う」

冴島の「なんとなく」がまた出た。柚月が小さく笑ったが、目は笑っていなかった。

「俺は行きたい」

片桐は冴島の言葉を受け流すように言った。テーブルの上のスマートフォンを手に取り、画面をスクロールする。衛星写真、地形図、アクセスルート。すでに下調べが終わっている。次の候補として「提案」しているのではなく、もう「決定」しているのだと、その準備の周到さが物語っていた。

「管理棟には地下室があるらしい。元は貯蔵庫として使われていた。図面が残ってる」

「片桐さん、いつ調べたの、これ」

多田が画面を覗き込んで眉を上げた。

「先週」

先週。つまり、今日の打ち合わせの前から決めていたということだ。

「まあ、片桐が行きたいなら行こうよ」

柚月が場を収めるように言った。「キャンプ場なら虫除けたくさん持ってかなきゃね」

「私も行く」

気づいたら声を出していた。全員がこちらを見た。普段の打ち合わせで、私が真っ先に賛成することはあまりない。自分でも少し驚いていた。

けれど、理由はうまく言えなかった。火曜日の廃病院で聴いた、あの音。配管の振動に紛れた、呻きのような音。あれはただの風の通り道だったはずだ。はずなのに、まだ耳の奥に残っている。あの音の続きが、山奥のキャンプ場にあるような気がした。根拠のない確信だった。冴島の「なんとなく」と同じ種類のものかもしれない。

閉じた場所に残された声。それを聴きに行きたいと思った。どうしてそう思うのか、自分でもわからなかった。

「じゃあ決まりだ」

片桐はそう言って、スマートフォンをポケットにしまった。

打ち合わせはそのまま解散になった。駅の改札前で手を振る柚月。黙って歩いていく冴島の背中。多田はすでにイヤホンをつけて、何かのポッドキャストを聴いている。

私は電車に乗り、座席に座って目を閉じた。瞼の裏に、火曜日の窓ガラスが浮かぶ。夕陽の中の自分の輪郭。あの写真、まだ見返していない。なんとなく、見る気になれなかった。

その夜、片桐信也は自宅のデスクに向かっていた。

モニターの光が暗い部屋を青白く照らしている。画面には県立図書館のデジタルアーカイブが開かれていた。一九九六年、地方紙の縮刷版。「黒沢キャンプ場」で検索した結果が並んでいる。

片桐はマウスを動かし、八月十四日付の記事を拡大した。

『林間学校の児童十二名と引率者一名、依然行方不明——黒沢キャンプ場付近で大規模捜索続く』

日焼けした紙面の写真には、山を背景に並ぶ捜索隊員たちが写っていた。白黒の粗い画像の中で、捜索隊員たちの表情までは読み取れない。ただ、列の端に写り込んだ小さな人影——おそらく地元の住民だろう——が、カメラではなく山のほうを見つめていた。その視線の先に何があったのか、三十年後の片桐に知る術はなかった。

片桐はその記事を凝視したまま、長い間動かなかった。モニターの光に照らされた横顔には、廃墟を前にした時とも、仲間と話す時とも違う表情が浮かんでいた。

唇が微かに動いた。何かを呟いている。けれどその声は、彼の部屋の静寂にすら届かないほど小さかった。

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