Novelis
← 目次

残響倶楽部の供養人

第3話 第3話

第3話

第3話

黒沢キャンプ場への道は、途中から舗装が途切れた。

片桐の車が砂利を噛むたびに車体が揺れ、天井に吊るした芳香剤がぶらぶらと揺れる。ヘッドライトが照らす先には杉の木立が壁のように並び、その向こうは闇しかなかった。時刻は午後九時を過ぎている。

「ねえ、本当にこんな山奥なの」

後部座席の柚月が窓の外を覗き込みながら言った。いつもの軽い口調だったが、声が少しだけ上ずっている。

「地図通りだ。あと十分くらい」

片桐はハンドルを握ったまま前を見ている。助手席の冴島は何も言わない。私の隣で多田がタブレットの画面を見つめていた。黒沢キャンプ場の配置図を表示しているらしく、青白い光が彼の眼鏡に反射している。

私は窓ガラスに額を寄せた。ひんやりとした感触。外の闇は車の速度に合わせて流れ、木々のシルエットが黒い水のようにうねっている。街灯は一本もない。自販機の光もない。ここまで完全な暗闇の中を走るのは初めてだった。廃病院の暗さとは違う。あれは人工物の内側の暗さだ。ここにあるのは、山そのものの暗さ。

車が停まった。

「着いた」

ヘッドライトの先に、錆びた鉄柵が横たわっていた。かつてゲートだったのだろう。片方の柱は倒れ、もう片方には「黒沢キャンプ場」と書かれた看板が辛うじてぶら下がっている。白いペンキの文字は半分以上剥がれて、残った部分も苔に覆われていた。

全員が車を降りた。足元の砂利が冷たい夜気の中で乾いた音を立てる。懐中電灯を五本、それぞれが点けると、光の輪が地面をばらばらに照らした。

山の匂いがした。土と腐葉土と、かすかに水の匂い。近くに沢があるのかもしれない。虫の声が鳴っていた。その声が、ふいに二秒ほど途切れて、また鳴り始める。風はなかった。四月の山の夜は寒く、吐く息が懐中電灯の光を白くかすめた。

「三十年かあ」

多田が鉄柵の写真を撮りながら呟いた。「九六年の事件、もう少し詳しく知りたいんだけど、片桐さん」

「林間学校の最終日だった」

片桐は歩き出しながら話した。倒れた鉄柵をまたいで敷地に入る。私たちもそれに続いた。足元に草が茂っていて、砂利道の輪郭がほとんど消えている。

「八月十二日。小学四年生から六年生までの十二人と、引率の指導員が一人。最終日の夜、キャンプファイヤーの後に全員がバンガローに戻ったはずだった。翌朝、迎えのバスが来た時には誰もいなかった」

「十三人が一晩で?」

柚月が立ち止まった。

「荷物もそのまま。食器も洗い場に残ってた。寝袋だけがバンガローから消えていた」

「寝袋だけ?」

「全員が寝袋を持って出たのか、誰かがまとめて持ち出したのかはわからない。捜索は山全体に広げたけど、遺体も衣服も何も見つからなかった。二週間後に捜索打ち切り」

冴島が足を止めた。前髪の奥の目が、闇の中で何かを見るように細められている。

「冴島くん?」

柚月が声をかけた。

「……何でもない」

その「何でもない」が、冴島の口から出るときは、いつも何かある。けれど誰も追及しなかった。暗黙の了解だ。冴島の感覚に名前をつけることは、誰にもできない。

炊事場が最初に見えた。コンクリートのかまどが四基、並んでいる。蛇口は錆びて固まり、排水溝には枯れ葉が詰まっていた。多田がタブレットと見比べながら「配置図通りだ」と頷く。

その先にバンガロー群があった。八棟のうち、まともに立っているのは三棟だけで、残りは屋根が落ちたり壁が崩れたりしている。窓ガラスはどの棟も割れていて、懐中電灯の光が内部を舐めるように通り抜けた。木製の床板が腐って、踏めば簡単に抜けそうだ。三十年の歳月は、人が作ったものを確実に壊していく。

私はバンガローの一棟に近づいて、入り口から中を照らした。四畳半ほどの室内に、金属製のベッドフレームが二台。マットレスは朽ちて形を失っている。壁には何かの虫が巣を作っていた。

——ここで、子供たちが寝ていた。

三十年前の夏の夜。十二人の子供たちがこの狭い部屋で、薄い寝袋にくるまって、虫の声を聴きながら眠りについた。そして朝には誰もいなくなった。

冷たいものが背筋を這い上がった。恐怖ではなかった。もっと曖昧な、言葉にならない感覚。悲しさに近いかもしれない。ここに確かにいた人たちが、影も形も残さず消えた。廃病院のぬいぐるみのような「痕跡」すら、ここには残っていない。

私がバンガローから離れようとした時、聞こえた。

きゃはは。

子供の笑い声。高く、短く、夜の空気を裂くように。

足が止まった。呼吸が止まった。懐中電灯を持つ手が震えて、光の輪が壁の上で揺れた。

「——今の」

「ん?」

柚月が振り向いた。三メートルほど先で、別のバンガローを覗き込んでいたところだ。

「笑い声。聞こえなかった?」

「笑い声? 何も聞こえなかったけど」

柚月は首を傾げた。本当に聞こえていない顔だった。演技ではない。冴島も多田も、こちらを見ていない。片桐だけが一瞬振り返ったが、すぐに前を向いて歩き続けた。

——気のせいだ。

山の夜は音が歪む。沢の水音が声に聞こえることもある。鳥の鳴き声が笑い声に似ることもある。そういう話は廃墟探索の入門書にいくらでも書いてある。

私は歩き出した。足元の草を踏む感触に集中する。右足、左足。靴底の下で枯れ枝が折れる。現実的な音。物理的な感触。それだけを頼りに歩いた。

きゃはは。

また。

今度は右の方から聞こえた。バンガロー群の奥、木立の暗がりの方向。さっきより近い。さっきより長い。笑い声の中に息継ぎがあった。吸って、吐いて、また笑う。生きている声の呼吸だった。

鳥じゃない。沢の音でもない。

私は立ち止まって、声が聞こえた方向に懐中電灯を向けた。光の先には杉の幹が並んでいるだけだった。枝の間を夜風が抜ける音すらしない。静寂が返ってきただけだった。

心臓が速い。手のひらが汗で湿っている。懐中電灯のグリップが滑りそうで、強く握り直した。

——聞き間違いだ。疲れているんだ。

自分にそう言い聞かせた。火曜日の廃病院でも同じことがあった。配管の音に混じった呻きのような音。あれも結局は風の仕業だった。今回も同じだ。山の夜が作り出す幻聴。それ以上の意味はない。

「奈緒さーん、置いてくよー」

柚月の声で我に返った。四人はもう管理棟の方に歩いている。私は小走りで追いついた。追いつく途中、もう一度だけ振り返った。木立の闇は沈黙していた。

管理棟は敷地の最も奥にあった。二階建ての木造で、外壁のトタンが錆びて茶色い涙のような跡を残している。入り口のドアは外れて地面に倒れており、中は土と落ち葉に覆われていた。

「ここが事務所だったはずだ」

片桐が中に入った。一階は受付カウンターと事務スペース。棚が倒れ、書類が散乱している。湿気を吸った紙が足の下でぐずりと崩れた。天井の一部が落ちて、夜空がのぞいている。星が見えた。こんなに星が近い場所にいるのに、温かさを感じない。

多田が記録写真を撮り、柚月が窓枠に触れて「ぼろぼろだね」と呟く。冴島は入り口付近で立ち止まったまま、中に入ろうとしなかった。

片桐はカウンターの裏側に回り、床を懐中電灯で照らしていた。何かを探している動きだった。計画通りに歩いている足取り。初めて来た場所を見ている目ではなかった。

「片桐さん、何探して——」

多田の声が途切れた。

片桐が、カウンターの裏の床板を一枚持ち上げていた。腐りかけた板が軋み、その下から黒い四角い穴が現れた。コンクリートの階段が、地下に向かって降りている。懐中電灯の光が段差を数えるように降りていき、五段目あたりで闇に呑まれた。

地下から、湿った冷気が這い上がってきた。土と、もっと古い何かの匂い。三十年間密閉されていた空気が、ゆっくりとこちらに流れ込んでくる。

片桐はその穴の縁にしゃがみ込み、地下を覗き込んだ。

懐中電灯の光が彼の横顔を照らしていた。その表情を見て、私は背筋が凍った。片桐は笑っていなかった。泣いてもいなかった。ただ、長い旅の果てにようやく目的地に着いた人間の顔をしていた。

「——ここだ」

片桐の声は、誰に向けたものでもなかった。

この話はいかがでしたか?

最新話です

次の更新をお楽しみに!

第3話 - 残響倶楽部の供養人 | Novelis