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毒と薬の境界:追放薬師の密室推理

第3話 第3話

第3話

第3話

縄の結び目が手首に食い込んでいた。

麻の繊維が皮膚に細かい棘を立て、脈の通る溝に沿って紅い筋を描いていく。指先の感覚が鈍り、親指と人差し指の間に、痺れのような冷たさが差し込んだ。兵に引き立てられるたび、肩関節の奥で鈍い音が鳴る。私は歩幅を狂わせぬよう、足元だけを見つめていた。

薬師街の路地には、朝の霧がまだ残っていた。石畳は湿り、靴底が滑る。先頭を歩く兵長の背中、鎖帷子の環一つ一つが汗を浴びて光っている。伝令官の若者は時折、後ろを振り返った。私と目が合いそうになると、急いで顔を逸らす。その反復のぎこちなさに、彼が任務を嫌っていることが読み取れた。

「止まれ」

兵長が短く命じた。路地の角で四人の兵が歩を止め、私の両脇の兵が縄を引き締める。手首の皮が擦れ、熱い痛みが走った。私は顔を上げた。

路地の出口に、一頭の黒い馬が立っていた。

鹿毛ではない。漆黒の、王宮近衛の軍馬。鞍の縁に銀の筋が一本通っている。近衛第三師団の印だ。私はその印を、宮廷の朝の往診で何度も見ている。妃の寝所の前に立つ衛兵の胸当てに、同じ銀筋が走っていた。

馬上の男は兜を脇に抱え、鞍上から私たちを見下ろしていた。二十代半ば、顎の線が鋭い。左頬に短い古傷が一筋走っている。見覚えのある顔ではなかったが、その佇まいに奇妙な既視感があった。

「近衛隊長カイである」

男はそう名乗り、鞍から降りた。軍靴が石畳を叩く音は、先ほどまでの兵たちの歩調とは違う、より重く、揺るがぬ響きだった。

「この男の身柄を、近衛預かりとする」

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兵長の眉が、わずかに動いた。

「お待ちを。この者は薬師長殺害の容疑者。捕縛令は典礼官直々の発令にて——」

「承知している」

カイは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、兵長の胸元に突きつけた。赤い封蝋が、朝の光の中で凝った血のように見えた。

「近衛総督の押印状だ。薬事案件については、捕縛前に近衛が先行調査を行う権限がある。前例は三年前、南庫事件。確認せよ」

兵長が羊皮紙に目を落とす間、カイの視線は私に移った。

冷たい目だった。職務の冷たさではなく、もっと内側から凍てている種類の冷え。だがその奥で、一瞬だけ、別の色が揺れた。私はその揺れを見逃さなかった。薬師の目は、患者が痛みを隠そうとする微細な表情を読むために鍛えられている。

「……確かに、押印は本物にて」

兵長が羊皮紙を返した。

「ただし、逃亡の恐れあらば責任は——」

「私が負う」

カイは即答した。兵長は一瞬口を開きかけたが、最終的に短く礼を執り、「では、引き渡しまする」と兵に縄を緩めるよう命じた。

手首が解かれた瞬間、血が指先へ勢いよく戻り、皮膚の下で無数の針が跳ねた。私は片手で反対側の手首を押さえ、指を握り開きして感覚を確かめた。薬師の指は、調合のための計器だ。痺れが残れば配分を誤る。誤れば人が死ぬ。

「歩けるか」

カイが低く問うた。

「……歩けます」

「乗れ」

カイは馬の手綱を私に差し出した。私は反射的に首を振った。

「いえ、歩きます。私は容疑者です。王宮の門を馬で通るのは」

「馬で通る。これは近衛の護送であり、罪人の引き立てではない」

カイの声は譲らなかった。私は手綱を受け取った。鞍に跨ると、馬の体温が腿の内側に伝わる。生きた動物の熱は、麻縄の冷たさを少しずつ押し戻していった。

兵たちが道を空ける。朝の薬師街に、近衛の黒馬が通る。窓の隙間から、住人の目が覗いている気配を感じた。この光景は今日の午後には街中に広まるだろう。追放された薬師が近衛に伴われて王宮へ戻る——噂は私の弁解を待たずに育つ。

王宮までの道のり、カイは何も話さなかった。私もまた、問うべき言葉を整理しきれずにいた。なぜ近衛が私に介入する。なぜこの場面で、この男が現れたのか。

王宮の南門が見えてきた頃、カイがようやく口を開いた。

「三年前、東方遠征の帰路に、近衛の中隊が小さな村を通った」

唐突な話だった。私は鞍の上で姿勢をわずかに変えた。

「その中に、私の妹がいた。十二だ。病で寝込んでいた。高熱と、喉の腫れ。村の医者は匙を投げていた」

カイの声は淡々としていた。感情を交えぬ、報告のような語り口。だがその抑えが逆に、私の耳に重く響いた。

「通りがかった宮廷薬師が、村で一晩馬を休めていた。彼は妹を診て、煎じ薬を置いていった。二日で熱が引き、四日で喉が治った。その薬師の名を、妹は今も覚えている」

私は記憶を辿った。東方遠征。三年前。帰路の、小さな村。

思い当たる一件があった。師団長に急な腹痛が出て、私が呼ばれた。その村で一晩を過ごし、翌朝、村長から「寝込んでいる娘がいる」と相談を受けた。扁桃の奥に白い斑点。通常の処方では引かぬ熱だった。調合帳の隅に観察記録を書き残した、あの筆跡を私は今でも思い出せる。

「妹の名はミキアです。覚えておいででしょうか」

「……覚えています」

「妹は今、十五になる。元気にしている」

カイはそこで、初めて私の顔を見た。

「私は、あなたに借りがある」

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王宮の南門を、馬で通った。

門番が槍を構えかけ、カイの顔を認めて素早く道を空ける。半年ぶりの石畳は、私の追放の朝と同じ冷たさを放っていた。門を潜る瞬間、鞍の上で背筋が強張る。私はこの門から、紋章を剥がれた状態で出た。その同じ門を、今度は近衛の馬で入る。体の内側で、何かが反転した感覚があった。

回廊を進み、近衛の詰所へ案内された。石造りの小部屋だった。奥に一つ卓があり、二脚の椅子。窓は小さく、鉄格子が嵌まっている。カイは扉を閉め、私と向かい合って座った。

「条件を伝える」

カイは卓の上に両手を置いた。指が長く、節が太い。剣を握る手だ。

「三日以内に、薬師長殺害の真犯人を示せ。物証と共に。典礼官と近衛総督、両名が納得する形でだ」

「……三日」

「失敗すれば、あなたは処刑台に送られる。私は借りを返すためにこの場を作った。だが借りで国法を曲げることはできない」

「承知しています」

私は短く答えた。三日。長いとも短いとも判じかねる時間だ。薬草の煎じ一つを完成させるのに半日を要する。だが殺人の真相は、薬とは別の論理で動く。

「捜査の権限は」

「近衛預かりの捜査協力者として、王宮内の立ち入りを許可する。薬物庫も、関係者への聞き取りも可能だ。ただし護衛として私が同行する。単独行動は許されない」

「監視ですか」

「護衛だ」

カイは即座に言い直した。

「あなたが真犯人に近づけば、次に狙われるのはあなただ。私が傍にいる意味を、履き違えるな」

理に適った言い分だった。私が動けば、私を陥れようとした者は必ず動きを察知する。単独であれば、毒を盛られても誰も気づかぬ。近衛の剣が傍にあることは、私の命の保険でもあった。

「一つ、伺ってもよろしいですか」

「何だ」

「薬師長の遺体は、今どこに」

「薬物庫から運び出され、北翼の霊安所に安置されている。庫内は現場保存のため封鎖中だ」

「では最初に、薬物庫を検分したい。遺体の位置、薬瓶の配置、扉の構造。記憶が鮮明なうちに、すべてを」

カイは一度頷き、卓から立ち上がった。

「案内する」

私も立ち上がった。麻縄の跡が残る手首を、袖の内側で隠す。これから踏み込む薬物庫は、私が十二年、毎朝通った場所だ。あの石造りの扉、鋳鉄の閂、棚の配置、瓶の並び——すべてを、目を閉じても描ける。

だが今日の薬物庫は、私の知る薬物庫ではない。

扉の内側から閂が降り、内部に一人きりの男が死んでいた密室。そこに、私の記号が血で描かれていた。あの光景を、私の目で、私の知識で、読み解かねばならない。

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回廊を北へ進む。早朝の王宮は、まだ眠りから覚めきっていない。しかし、私たちの足音を聞きつけた官吏が、柱の陰から顔を出しては慌てて引っ込んだ。追放された薬師が近衛を伴って戻ってきた——その噂は、私たちが薬物庫に着くより先に、王宮の隅々まで走っていくだろう。

地下への階段に差し掛かる。石段は狭く、湿気を帯びて滑りやすい。薬物庫の冷気が、階下から這い上がってきた。十二年嗅ぎ続けた、地下室特有の匂い——石灰と、乾燥薬草と、微かな硫黄。

だが今日、その匂いに一つ、別のものが混じっていた。

鉄の匂い。血の匂いだ。

私は階段の途中で足を止め、深く息を吸った。薬師の鼻は、毒と薬を嗅ぎ分けるために訓練されている。この匂いの中に、もう一つ——わずかに、甘く、花に似た香りが紛れていた。

知っている匂いだ。だが薬物庫にあってはならぬ匂い。

私はカイを振り返った。

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