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後宮冤罪侍女の推理譚

第3話 第3話

第3話

第3話

灰汁を煮立てる窯の前で、私は火加減を見ていた。朝の光がようやく高窓から差し込み始めた頃である。昨夜はほとんど眠れなかった。薄い布団の中で天井の黒い染みを数え、四人の動線を頭の中で何度も並べ替えた。明け方に浅い眠りへ落ち、起きたときには瞼が重く、両手の指は氷のように冷えていた。

周婆はまだ奥で煮物の支度をしている。洗濯場の一日は、湯を沸かし、灰汁を煮、水瓶を満たすところから始まる。私は長い柄杓で灰汁をかき回し、窯の縁に手を添えた。熱が掌に移ってくる。指先の痺れが少しずつほどけていく。

昨夜の動揺は、熱の中にゆっくり溶けていくようにも思えた。関わりたくない、と思った。盗人の烙印を押された身で、毒殺未遂の案件に近寄れば、焼け石に油を注ぐようなものだ。網の外に残されることの痛みを、私はもう知っていた。

そのときである。渡り廊下の石畳を、乱れた足音が駆けてきた。一つ。走り慣れない者の、重心の崩れた走り方だった。洗濯場の戸口で急に止まり、荒い息が聞こえた。

「——玲華姉さん」

その声を聞いて、私は柄杓を取り落としかけた。

振り返ると、戸口に小蘭が立っていた。尋問房にいるはずの小蘭だった。髪は乱れ、襟元もはだけ、片方の袖口には土汚れのような黒い染みが走っている。目は赤く腫れ、唇がわずかに震えていた。

小蘭は戸の内側に滑り込んでくると、後ろ手に扉を閉めた。震える指が戸の閂を下ろそうとして、うまく動かない。私は灰汁の前を離れて、小蘭の腕を押さえた。熱のこもった掌の下で、腕が氷のように冷たかった。

「尋問は」

「——一度、休みになったの。食事を取れって、見張りの宦官が」

小蘭は掠れた声で言った。息が整わず、言葉が途切れる。

「その隙に、出てきちゃった。姉さんのところに来るなって、言われてるのに」

「馬鹿ね」

私の声が自分の耳に、思ったより鋭く聞こえた。小蘭は目を伏せて、震える手で胸元から小さな布包みを取り出した。

「姉さん、聞いて。私、犯人にされる」

「何を——」

「昨日の夜、尋問が終わる頃に、私の房から出てきたの。これが」

小蘭は布包みを広げた。中から現れたのは、銀の匙だった。正妃の食膳で使われる小ぶりの匙で、柄には波紋の彫りが入っている。私はそれを覚えていた。正妃付きだった頃、何度も磨いた匙である。

匙の窪みに、黒ずんだ残滓が薄く付着していた。

「私、知らないの。本当に」

小蘭の声が崩れた。

「尋問から戻されたら、寝台の下から——衣の奥に、これが押し込まれてて。宦官が見つけて、毒見役に確認させて、毒だって。紫河藤の——」

その単語を聞いた瞬間、私の指が布包みの端を掴んだ。

「紫河藤?」

「うん」

「紫河藤の、根?」

小蘭は頷いた。

私は布包みを引き寄せ、匙を陽の当たる位置に動かした。窯から漏れる光の下で、残滓を見る。黒ずんだ色の縁に、わずかに紫を帯びた線が走っている。指先は近づけなかった。紫河藤は皮膚からも微量が吸われる。正妃付きの侍女として香を調合していた頃、薬学の翠蘭から一度だけ扱いを教わったことがある。触れた指で目を擦れば、それだけで視界が曇る、と。

「——関わるつもりはないのよ」

声が勝手に出た。小蘭の顔が歪んだ。

「姉さん」

「半年前、私が何をされたか、覚えてる? 私は無実だと言った。それで何が通った? 盗人の侍女が毒殺の調査に口を挟んだら、何になる? お前が助からないだけじゃない、私も——」

言葉の途中で、私の目は匙の残滓に戻っていた。

紫の帯。

紫河藤の根は、砕いてそのまま用いれば激しい腹痛を起こすが、致死量には至らない。致死量の毒を作るには、根を乾燥させたうえで一定の比率で灰汁と合わせ、上澄みを煮詰めなければならない。その過程で、残滓の縁に特有の紫が滲む。翠蘭が言っていた——「紫の縁が出た時点で、素人には扱えない」。正確な比率と、正確な加熱時間を知る者にしか、この色は出せない。

私は匙から目を離さなかった。

「——これ、本当に寝台の下から出てきたのね」

「うん。誓う」

「誰が見つけたの」

「見張りの宦官と、侍女頭様と」

私は息を吐いた。熱の中に、冷たい塊が落ちたような感覚があった。

「小蘭、座って」

私は灰汁の窯の火を弱め、小蘭を奥の壁際に座らせた。周婆が気配に気づいて顔を出したが、私の視線を受けて、無言で奥へ戻った。周婆は多くを訊かない。それが今朝はありがたかった。

布包みを膝の上に広げ、私は匙の残滓をもう一度見た。紫の帯は均一ではない。縁の一部で色が濃く、内側に寄るほど薄い。煮詰めの時間が過不足なく、かつ一気に冷却された痕跡だ。素人が鍋の前で試行錯誤したものではない。手順を知る者が、一度で仕上げている。

「小蘭、昨日の配膳のとき、お前の盆に匙は載っていた?」

「載ってた。いつも通り、正妃様のご膳に添えるの」

「盆を置いた後、匙には触れた?」

「触れてない。毒見役が一口含んで、その後は私は下がった」

「下がる前、毒見役が匙を卓に戻すのを見た?」

「……戻したと思う。確かじゃないけど」

私は頷いた。配膳の動線では、匙が小蘭の手元から離れる機会は、毒見役に渡された瞬間だけである。その後、匙は正妃の卓に置かれ、本来なら正妃が口に運ぶ。だが正妃は倒れた。匙は誰かが回収したはずだ。

「匙が寝台の下に置かれたのは、尋問の最中ね」

「——多分」

「お前が尋問房にいる間、房は無人だった」

「うん」

「そこに、この匙を運び込める立場の者」

私は独り言のように言った。匙は正妃の卓から下げられ、何者かの手を経て、小蘭の房に移動した。この動きは、配膳時刻の動線とは別の、新しい動線である。

「姉さん」

小蘭が顔を上げた。

「私、薬のことなんて、分からない。草を煎じるくらいしか」

「知ってる」

私は答えた。小蘭は幼い頃から後宮に入った子で、手先は器用だが薬学の覚えはない。紫河藤を致死量に調合するなど、小蘭には不可能だ。

だから、これは仕込みだ。

半年前、私の衣箱に沈香の欠片が紛れ込んでいたのと、構造が同じだった。盗人にされる側は、盗品の出どころを知らない。毒犯にされる側は、毒の調合を知らない。犯人でないからこそ、そこに物証が「突然」出現する。そして、証拠を見つけた者が、その現場に立ち会う——半年前は、鄭氏が私の衣箱を開けた。今朝は、鄭氏が小蘭の寝台の下を宦官と共に検めた。

私は匙を布で包み直した。指の震えを、自分で意識して止めた。

「小蘭。紫河藤の調合ができる者は、四人の中で一人しかいない」

「——翠蘭様?」

「そう」

小蘭の目が揺れた。私は続けた。

「他の三人——お前、芳月、紅花——には、あの残滓の紫は出せない。知識が違う」

「じゃあ、翠蘭様が」

「それが、合わないの」

私は言った。

「翠蘭のアリバイは、四人の中で一番堅いのよ」

小蘭が息を呑んだ。

鄭氏が薬草園で翠蘭と一緒にいたと証言している。侍女頭の証言は、後宮の中で最も重い。他の三人の証人が使用人や新参であるのに対し、翠蘭の証人は鄭氏である。覆すには、侍女頭の証言そのものを疑うことになる。——それが、どれほど重いことか。

薬学知識を持つ者は一人。その一人だけが、動かしがたいアリバイを持っている。残る三人には知識がなく、その一人だけに知識がある。犯人を指し示す矢印と、アリバイを指し示す矢印が、正反対を向いている。

私は膝の上の匙を見下ろした。紫の縁取りが、灰汁の匂いの中で静かに光って見えた。

「姉さん」

小蘭の声は、それだけでしばらく続かなかった。

「助けてって、言っちゃ駄目だってことは、分かってるの。でも、姉さん以外に、誰にも言えない」

私は匙を包んだ布を、胸の前で両手で抱えた。指の奥に、まだあの紫の色が焼きついている。関わるつもりはない、と口にしたばかりの自分の声が、耳の奥で遠ざかっていった。代わりに、半年前に鄭氏の細い指が衣箱の蓋を開けた、あの夜の光景が、鮮明に蘇った。

「——小蘭」

私は言った。

「尋問房に戻りなさい。見つかる前に」

小蘭の肩が落ちた。私は布包みの端を小蘭の手に押し返そうとしたが、途中で止めた。

「匙は、私が預かる」

小蘭が顔を上げた。私の声は、自分でも驚くほど低かった。

「関わるって決めたわけじゃない。ただ、これを鄭氏に戻させたくないだけ」

小蘭は頷き、涙をこぼしながら立ち上がった。戸口を出る前に一度振り返り、何か言いかけて、結局何も言わずに駆けていった。

戸が閉まる。足音が遠ざかる。私は布包みを握ったまま、灰汁の窯の前に立ち尽くした。

矢印は二つ、反対を向いている。薬学を持つ者のアリバイは崩せない。アリバイを崩せる三人には薬学がない。——どこかで、この二つの矢印が、一本の線に繋がるはずだった。

窯の湯が、静かに音を立てて煮え始めた。

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