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月蝕文字の探偵

第2話 第2話

第2話

第2話

蝋燭の残り火を指の間で摘まみ直し、私は死体の胸に顔を近づけた。

月蝕文字は、紙に書かれるものだ。羊皮紙か、上質な麻紙か、あるいは古代王朝の記録板に彫り込まれたもの。人の皮膚に刻まれた例は、私の知る限り、一件もない。

刃先は相当に細い。おそらく筆写用の刻筆——宮廷写本係が古い文書の複写に使う、先端が針のように研がれた金属ペンだ。血の滲み方からして、刻まれたのは死後。脈動のない肌に描かれた文字は、滲みが最小限に抑えられる。犯人はその効果を狙った。つまり、読ませるために刻んだ。

誰に?

この文字列を読める人間は、この王国にもう存在しないはずだ。

——私を除いて。

背筋の冷たさは、夜風のせいではない。半年間、死んだふりをしていた頭の中で、何かが音を立てて動き始めている。歯車が一つ、また一つ、軋みを上げて噛み合っていく。錆びついていたはずの推論の機構が、勝手に回り出すのを止められなかった。

文字列は全部で十七画。冒頭の三画が王朝第三符号「審」、続く四画が「判」の古形。ここまでで「裁き」と読める。その次に続く六画が、完了相を示す修辞句——月蝕文字では一語で「始まった」と訳すのが正確だ。

「裁きは——始まった」

声が倉庫の梁に吸い込まれて、消えた。湿った木材と、塩気を含んだ夜気と、そして死体の腐り始めた甘い匂いが混じり合い、舌の奥に貼りつくような感触を残す。私は唾を飲み下し、その不快な味を喉の奥へ押し込んだ。

私は膝を突いたまま、死体の顔をもう一度確かめた。

灯明が足りない。懐を探り、予備の蝋燭を取り出して先ほどの燭台に継ぎ足す。光が強まり、男の頬の翳が引いた。蝋が燭台の縁を滑り、固まりかけた血の縁に小さな滴を落とす。揺らぐ炎の中で、男の半開きの瞼の奥に、虚ろな白目がのぞいた。

——ドルクス。

司法官ドルクス・エメルン。宮廷司法裁定会議、第四席。年齢四十六。妻と娘が一人。王都北区の官舎住まい。好物は白葡萄酒と干し無花果。私が捜査中、何度か事件の立会人として席を並べた男だ。議場の休憩時間、彼が指先に挟んだ無花果の干物を、神経質な手つきで二度三度と回してから口に運ぶ姿を、私は今も覚えている。

そして半年前——私の追放を読み上げた主席判事ヴァレスの、すぐ左隣に座っていた男でもあった。

あの日、議場の長卓の向こうに並んでいた七人の顔を、私は一人残らず覚えている。最初に口を開いたヴァレス。押し黙ったまま目を伏せていた記録官。そして、ドルクスは——確か、最後に一言だけ発言した。

「被告の答弁には、論理的整合性が認められません」

淡々とした、感情のない声だった。憎しみも、義憤も、ためらいも、その音には一切含まれていなかった。むしろ、書類の行数を読み上げるような、機械的な平静さ。だからこそ、その一言は私の胸の最も深いところに刺さって、抜けないまま今日まで残っている。

私はその言葉を聞きながら、手元の証拠品目録を何度も読み返していた。自分が書いた覚えのない署名。自分が触れた覚えのない封蝋。全てが、私を罪に問うように配置されていた。誰がやったのか。なぜやったのか。その問いを抱えたまま、私は議場を追われ、外套の裾が床に擦れる音と共に、宮廷の廊下を退場した。背後で扉が閉まる重い音。あの音を、私は半年間、夜ごとに夢の中で聞き続けた。

——その七人のうちの一人が、今、私の足元で死んでいる。

偶然ではない。偶然であるわけがない。

私は手袋をしていない指で、死体の手首に触れた。冷えは進んでいるが、完全には硬直していない。死後、早ければ四時間、遅くとも六時間というところ。少女が倉庫に踏み込んだのは二時間前。つまり、犯人が作業を終えて立ち去ったのは、少女の到着より二、三時間前ということになる。

だが、なぜ港区の倉庫なのだ。

ドルクスの官舎は王都北区。ここまで連れ出すには、相当の説得か、あるいは強制が必要だ。外傷らしい外傷はないが——私は男の首筋を確認した。襟元のひだを慎重に持ち上げ、燭の火を近づける。汗の塩が乾いて、薄い結晶になって皮膚に残っている。生前、強い緊張か恐怖を感じていた証だ。

喉の左側に、針先ほどの刺し痕が一つ。

毒殺だ。微量の麻痺毒か、あるいは即効性の心臓毒。この手口は——宮廷薬師院で管理される特級毒物の扱い方と酷似している。民間の暗殺者ではない。宮廷の内側を知る人間。

そして、月蝕文字を書ける人間。

二つの条件を満たす人物の数は、この王国で極めて限られる。限られるというより——存在しないはずだった。少なくとも、私の知る限りの名簿の中には。だが、私の知らない名簿が、どこかに隠されていたのかもしれない。その想像が、胸の奥にもう一つの冷たい錘を沈めた。

遠くで、運河を渡る貨物船の汽笛が鳴った。夜明けまではまだ間がある。

私は立ち上がり、倉庫の中を見渡した。積み上げられた木箱の一部に、靴跡が一つ残っている。泥の質は港区のものだが、靴のサイズは男物。革底の擦り減り方からして、歩き方に左右の癖はない。若い男、あるいは健康な中年男。

扉の内側、かんぬきの位置に蝋の滴り跡がある。犯人は片手で蝋燭を持ちながら扉を閉めた。つまり、もう片方の手は塞がっていた——死体を運び入れる作業の最中だったか、あるいは刻筆を持っていた。

痕跡はここまでだ。衛兵隊が到着する前に、私は立ち去らなければならない。追放された身で現場に居合わせたと知られれば、疑いは真っ先に私に向く。主席判事ヴァレスならば、それを喜ぶだろう。あの男の薄い唇が満足げに歪む様子が、目の前に浮かんだ。

外套の裾を払い、扉へ向かおうとして——私は足を止めた。

もう一度、死体の胸に目を落とす。

「裁きは始まった」の最後の符号。あそこに、違和感があった。最初に文字列を読んだ瞬間から、頭の隅で警鐘のように鳴り続けていた、その細い音の正体を、ようやく私は捕まえた。

私は蝋燭を持ち直し、再び膝を突いた。

月蝕文字の句読法は、文末を二画の「止符」で閉じる。縦線と、その下に打たれる点。これは基本中の基本で、書き慣れた人間なら無意識に手が動く。

だが、ドルクスの胸の止符には——点が打たれていない。

代わりに、その下に、五画の符号が続いている。

呼吸が浅くなる。止符を省略して続きを書くというのは、月蝕文字の文法では一つの意味を持つ。続きがある。そして、その続きは、次の頁に記される。

紙ならば、頁をめくればよい。

人の胸に刻まれた文字の、次の頁とは——。

五画の符号の形を、私は頭の中でなぞった。第九符号「告」。あるいはその派生形で「報」。単独では意味を持たない、連結用の符号だ。この符号の次には、必ず具体的な名詞か動詞が続く。

続きが、ある。

刻まれていない続きが。

汽笛がもう一度鳴り、倉庫の扉が風で軋んだ。隙間から忍び込んだ夜気が蝋燭の炎を斜めに傾け、ドルクスの胸の文字が、一瞬だけ揺れて見えた。まるで、刻まれた符号が皮膚の下で呼吸をしているかのように。

私は蝋燭の火を吹き消した。視界が闇に沈み、死体の輪郭だけが月明かりの中に浮かび上がる。胸に刻まれた文字列が、まだ言葉を発していない。

——見ろ、と言っている。

第九符号の下に、刻み跡のごく浅い筋が、二本。指で辿らなければ気づかない深さ。月蝕文字の下書きに使われる導線だ。導線が引かれているということは、本文を刻む予定だったということ。途中で中断したのか、あるいは——わざと空白のまま残したのか。

私の指先が、その二本の導線を撫でた瞬間、皮膚の冷たさを通り越して、もっと別の冷たさが背骨を駆け上がった。これは挑発だ。書き手は、私が——いや、月蝕文字を読める誰かが——必ずここに辿り着くと知っていた。そして、その誰かに、続きを書かせるつもりでいる。

倉庫の外で、足音が近づいてきた。複数。重い軍靴の音。ようやく衛兵隊が来たらしい。

私は死体に背を向け、裏手の抜け穴へ足を向けた。

刻まれなかった文字が、背中越しに私を呼んでいる気がした。

——「裁きは始まった」の続きを、まだ誰も読んでいない。

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