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翼なき妃と双翼の契約

第12話 第12話「百年前の恋人たち」

第12話

第12話「百年前の恋人たち」

# 第12話「百年前の恋人たち」

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鍵は、思いがけない場所から現れた。リーナが見つけた。

「おばあちゃんの遺品の中に、古い鍵があったんです。何の鍵か分からなくて、ずっと引き出しにしまっていたんですけど——」

リーナが差し出した鍵は、真鍮の表面が黒ずんで、繊細な翼の意匠が刻まれていた。手のひらに乗せると、見た目よりもずしりと重い。百年の時間を吸い込んだ重さだった。ガイウスの子孫であるリーナの家に、書庫の封印室の鍵が受け継がれていた。百年間、誰にも気づかれずに。

封印室の前に三人で立った。書庫の最奥、蝋燭の光がかろうじて届く暗がり。鉄の飾り金具がついた扉は、近くで見ると錆が浮いていて、翼の意匠が歳月に削られて丸くなっていた。

錠前に鍵を差し込むと、かちりと音がした。乾いた、けれど確かな音。百年ぶりに鍵が回った音。重い扉が軋みながら開く。中から、時間が止まったような空気が流れ出した。埃と古い紙の匂い。それから、かすかに、花の香り。百年前に誰かが持ち込んだ花の名残だろうか。

部屋は狭かった。

書棚が一つ。机が一つ。椅子が二脚。窓はない。壁に据えられた古い魔石灯が、わたしたちの足音に反応して、鈍い光を灯した。青白い光が壁を照らすと、石壁に染みが浮かんだ。水の染みではない。涙の跡に見えた。

机の上に、一冊の手記が置かれていた。革の表紙が乾いて罅割れ、角が崩れかけている。けれど、中の紙は不思議と瑞々しかった。保存の魔術がかけられているのだろう。指で触れると、紙の表面がすべすべと滑らかで、まるで昨日書かれたもののように感じた。

「アリアの手記だ」

エリオット様の声が、かすかに震えていた。百年間、誰も開かなかったページ。誰も読まなかった言葉。エリオット様が手を伸ばし、慎重にページを開いた。革の表紙が軋む音が、静かな部屋に響いた。百年分の沈黙を破る音。

皇女アリアの筆跡は、繊細で整っていた。一文字一文字が丁寧に書かれている。けれど、ページが進むにつれて、文字の大きさが変わったり、行間が乱れたりしていた。最初のページに、日付と、短い一文。

「ガイウスに翼が生えた日。わたしは、生まれて初めて泣いた」

わたしは息を呑んだ。百年前の皇女が書いた文字が、まるで昨日の墨のように鮮明だった。喜びの涙だったのか、それとも、もう一つの意味があったのか。今のわたしには、両方だったのだろうと思えた。

エリオット様がページを繰り、要所を声に出して読んだ。わたしは黙って聞いていた。リーナは少し離れた場所で、書棚の古書に目を落としながらも、耳はこちらに向けていた。

アリアは、空の国の第一皇女だった。ガイウスは、外交の使節として空に上がってきた地上の騎士。身分の差も、世界の差もあった。けれど、二人は惹かれ合い、双翼の契約が発動した。ガイウスの背に、アリアと同じ金色の翼が生えた。

最初の数ヶ月は幸福だった。翼は安定し、二人で空を飛び、宮廷にも受け入れられた。手記には花畑を飛ぶ二人の様子が生き生きと描かれていた。百年前のアルシエルは今よりも地上との交流があり、地上からの婿入りは珍しくなかった。

だが、半年が過ぎた頃、ガイウスが変わり始めた。

「ガイウスが、村の名前を思い出せないと言った。わたしは笑って『疲れているのよ』と答えた。なぜ、あの時、気づかなかったのだろう」

記憶の消失は、最初は些細だった。故郷の道の名前。幼い頃に遊んだ友人の顔。それが徐々に、もっと大きなものを飲み込んでいった。母の名前。父の声。地上で見た夕陽の色。手記の文字が荒れていく。「今日、ガイウスは妹の名前を思い出せなかった」「今日、ガイウスは自分が騎士だったことを忘れていた」。日付の間隔が短くなっていく。毎日書くようになっている。記録しなければ、アリア自身もガイウスの変化に耐えられなかったのだろう。

一年が経つ頃、ガイウスは地上の人間だった自分を忘れた。

わたしの手が、手記を持つ力を失いかけた。紙が指の間で揺れた。一年。たった一年で。わたしの翼はまだ安定してから数週間しか経っていない。あと数ヶ月で、わたしも同じ道を辿るのか。

「ガイウスはわたしの名前を呼ぶ。笑う。飛ぶ。けれど、もうガイウスではない。地上を知らない、空の人間になってしまった。わたしが愛したのは、地上の風を知る騎士だったのに」

アリアの筆跡が、そこから乱れ始めていた。インクが跳ね、文字が潰れ、紙に穴が開いた箇所もある。ペンを強く押しつけすぎたのだ。

エリオット様の声が震えた。わたしの翼の付け根に、エリオット様の感情が流れ込んでくる。恐怖。自分たちの未来を見ているような、冷たい恐怖。鏡に映った自分の姿を見つめるような。

「読めるか、続き」

「はい」

わたしは自分で手記を受け取り、先を読んだ。紙が指先に触れると、百年前の人の温もりが伝わってくるような錯覚がした。

アリアは、ガイウスの記憶を取り戻す方法を探した。書庫を漁り、長老に尋ね、古い遺跡を訪ねた。手記には、アリアが眠る時間を削って書庫に通い詰めた記述があった。エリオット様と同じだ。百年前のアリアも、今のエリオット様と同じことをしていた。だが、見つからなかった。ガイウスの記憶は日に日に消え、ついに、アリアは決断を下した。

「契約を断ち切る。翼を失っても、彼の記憶を取り戻す。そう決めた」

契約の断絶は、激しい儀式だった。アリアは自らの翼の一部を切り落とし、魔力の繋がりを断った。ガイウスの翼は消えた。

だが、記憶は戻らなかった。

「翼は消えた。けれど、消えた記憶は戻らなかった。ガイウスは空の記憶も曖昧になり、どこにも属さない人間になった。わたしは翼を失い、彼を地上に帰した。二人とも、何も残らなかった」

わたしの目が熱くなった。手記の文字が滲んだ。涙だと分かったのは、雫が紙の上に落ちそうになって、慌てて拭ったときだった。

百年間、双翼の契約が発動しなかった理由。それは、契約が「できなかった」のではなく、アリアの悲劇を知った皇族が、「発動させないように」してきたのだ。代償を恐れて。伴侶を巻き込むことを恐れて。百年分の沈黙の重さ。この封印室が百年間開かれなかったのは、記録を封じることで、記憶をも封じようとしたのだろう。触れなければ、なかったことにできると。けれど、なかったことにはならない。ガイウスの血は、リーナの中に流れている。

エリオット様は例外だった。代償を知りながら、なお、契約を発動させた。

わたしは深く息を吸った。手記の最後のページを開いた。筆跡はもう、ほとんど判読できない。インクが滲み、涙で濡れた跡がある。紙が波打っていて、乾いた涙の塩が白く結晶になっていた。けれど、最後の一行だけが、はっきりと読めた。

まるで、後の世の誰かに読ませるために書いたように。別の墨で、落ち着いた筆跡で。

「始祖の庭に、答えがある」

わたしはその一行を、声に出して読んだ。エリオット様と目が合った。

「始祖の庭」

「聞いたことがある。アルシエルの外れに、始祖が最初に降り立った浮遊島があると。ただの伝説だと思っていた」

「伝説じゃない。アリアは確信していた。書き残すほどに」

わたしは手記を閉じ、胸に抱いた。百年前の皇女の涙の重みが、薄い革の表紙を通じて、伝わってきた。革が体温で温まり、微かに花の香りが立った。百年前の花の残り香が、今のわたしに届いている。

「エリオット様。わたしたちは、アリアと同じ結末にはなりません」

「セリア」

「始祖の庭を見つけましょう。答えが何であれ、確かめに行きます。アリアが見つけられなかったものを、わたしたちが見つけます」

エリオット様が、ゆっくりと頷いた。封印室の魔石灯が、二人の影を壁に落としていた。百年の時を超えて、同じ部屋で、同じ問いの前に立っている。

けれど、わたしたちには、アリアが持たなかったものがある。翼の付け根を通じて繋がる、互いの感情。それだけは、偽りようがなかった。

リーナが静かに近づいてきた。目が赤かった。頬に涙の跡が光り、鼻の頭が赤くなっている。地図帳を胸に抱いていたが、その手が震えていた。百年前の悲劇の当事者の血を引くこの子にとって、アリアの手記の内容は他人事ではなかった。

「セリア様。わたしも、行きます。おばあちゃんの——ガイウスの物語を、終わらせるために」

その声は小さかったが、決意がこもっていた。小さな翼が、背中でぴんと張り詰めていた。怯えの翼ではなかった。覚悟の翼だった。

わたしはリーナの手を握った。冷たかったが、すぐにわたしの温度が移った。三人の影が、封印室の壁に重なった。魔石灯の青白い光が三人の影を一つに溶かして、百年前の部屋の壁に映し出していた。

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