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鑑定石が映さなかった俺の第二領域

第3話 第3話

第3話

第3話

地響きが、靴底から脛へ駆け上がってきた。

 倉庫の床板を蹴って外へ出る。月光に晒された中庭の砂が、一歩ごとにざりっと低い音を立てた。風下から押し寄せてくる獣臭は、湿った藁と鉄錆を混ぜたような匂いで、嗅ぐだけで奥歯がきしむ。鼻孔の奥がひりつく。前世で動物実験室の隅に置かれていた廃液槽の匂いに、どこか似ていた。

「敵襲、敵襲ぅ──!」

 砦の見張り台で、見習いの少年が鐘を鳴らしている。鐘の音は半拍ずれて二度ぶれて、三度目でようやく芯を捉えた。隊長の怒号がそれを追いかけた。

「数は!」 「わ、わかりません、十……いや、もっと……二十超えてる!」

 樹林の縁が黒く揺れた。揺れたのではなく、揺れて見えるほどの数が、一斉に踏み出してきたのだ。月光に低く照らされ、灰色の毛並みと黒光りする甲殻が交互に浮かび上がる。狼型と蟲型の混成。本来なら互いに獲物を奪い合うはずの種だ。隊列を組んでこちらへ向かう絵面は、明らかに自然ではなかった。

 ──先刻、北へ流れていった気配の本体だ。釣られたのではない。釣ったやつが、今度は谷の向こうで方向を変えただけだ。

「佐倉! お前は倉庫の裏に隠れていろ! 武器庫の鍵を守れ!」

 隊長が叫んだ。〈聖剣適性〉も〈神威術式〉も持たない倉庫番は、戦力に数えない。妥当な指示だ。妥当な指示に従うふりをして、俺は倉庫の裏ではなく、砦の外壁沿いに足を進めた。視界の右上で、〈第二鑑定〉の枠が勝手にピントを合わせていく。

 これは、ちょうどいい試運転の続きだ。鋼が直せて、石が読めて、生き物には触れていない。──触れてみる相手としては、最低限の敵意を持って向こうから来てくれている。これ以上ない条件だった。

 中庭の端で、最前列の狼型が一頭、こちらの匂いを嗅ぎ分けて加速した。月光の下、爪が砂を蹴り上げる。

「……一頭目、お前から行こう」

 欠けの戻った小剣を抜く。柄が、夜気の中で乾いた音を立てた。

 接近する狼型に、視線を一拍だけ注ぐ。  〈解析掌握〉。

 毛並みの下に、生体魔力線の網が広がった。鋼の結晶よりも遥かに密で、遥かに揺れる。心臓のあたりに太い束が結ばれ、四肢の関節で枝分かれが回っている。前肢の付け根で、線の一本が変な節を作っているのが見えた。──ここは元々の経路ではない。誰かが外から手を入れて、別の信号が走るように繋ぎ直してある。

「……操られてる、のか」

 口の中で呟いた瞬間、全身に冷たいものが落ちた。釣ったやつの正体は、まだ姿が見えない。だが、こいつらの行動を制御しているのは、その節に流れているたった一本の偽信号だ。生体そのものを書き換えるのではなく、外から付け足された結び目だけを、ほどけばいい。

 ──これなら、生き物を壊さずに済む。

 狼の鼻先が、俺の腹に届く半歩前。意識の指で、節の根元へ針を一本だけ落とす。鋼を直したときと同じ、ぱちん、と低い接続音。今度は逆だ。繋がっていた線を、一本だけ切る。  狼の脚が止まった。半歩、勢いだけで前のめりに崩れて、砂を噛む。耳がぴくりと立った。喉の奥で唸ろうとした息が、途中で形を失い、ただの呼吸に戻った。  俺と目が合う。瞳孔の縁から、赤く濁っていた光がすっと引いた。

「……敵意、抜けたな」

 剣を構えたまま、二歩下がる。狼は俺の動きを目で追ったが、追って来なかった。倒れた姿勢から、ゆっくりと体を起こす。次の一歩は、こちらに向けたものではなく、隣で唸っている同型の仲間に向けたものだった。

 ──どうやら、こいつには「同じ節」を持った仲間が見えているらしい。

 視界の枠が広がった。  中庭の前面に押し寄せている群れ全体に、〈第二鑑定〉が一斉にピントを合わせる。狼型十六、蟲型十一。合わせて二十七頭。すべての個体の、ほぼ同じ位置に、同じ形の偽信号の節が並んでいる。同一の手口、同一の改竄。  書き換えではなく、削除だけ。一本ずつではなく、まとめて。

 ──いける。

 俺は剣の切っ先を地面に下ろした。意識を絞る。前世の研究室で、データセットの全行に同一の補正をかけていた、あの一括処理の感覚。違うのは、ここでは数値の代わりに、生きた線が二十七頭ぶん、月光の下で脈打っていることだ。

「──〈解析掌握〉、束ねて」

 声に出した瞬間、こめかみの内側で、低い音が並列に鳴った。ぱち、ぱち、ぱち。一頭ずつ順番ではなく、二十七頭ぶんが揃って、一斉に。視界の枠の中で、群れの輪郭にかかっていた赤い濁りが、内側から拭われるように退いていく。  たった、二秒か、三秒。  中庭の半分を埋めていた獣の隊列が、足を止めた。

 止まっただけではなかった。  最前列の狼型が、唸りも吠えもせず、ゆっくりと座り込んだ。後列の蟲型が、甲殻を擦らせながら半歩退き、進路を譲るように左右へ割れる。それに合わせて他の個体が、まるで何かに耳を澄ませるような姿勢で、こちらへ顔を向けた。

 ──いや、こちら、ではない。  俺へ、だ。

 二十七頭ぶんの瞳が、ひとつの方角を共有して、俺を見ていた。敵意ではない。混乱でもない。何の信号も走っていない、無の表情。命令を待つ、待機中のセンサー。それが二十七、月光の下に並んでいる。

「……ちょっと、待ってくれ」

 声が掠れた。  削除しただけのつもりだった。偽の節を切れば、群れは混乱して散るか、本来の縄張りへ戻っていくはずだった。だが、削除のあと、線の通り道がぽかりと空いている。空いた経路に、いま一番強く流れ込んでいるのは──最後にこいつらの構造へ触れた、俺自身の魔力の残響だ。  書き換えで敵意を消したつもりが、結果として、こいつらの行動の規範が、俺の方へ寄ってしまっている。

 ──テイム、というやつか。  前世で齧ったゲームの単語が、よりによって、こんな夜に頭を掠めた。

「隊長! 攻撃、止めてください! こいつら、こっちに来ない!」

 砦の方へ振り返って叫ぶ。中庭の入口で剣を構えていた隊長が、口を半開きにしたまま固まっていた。同期の見張りも、補給係の中年も、誰一人、声を返してこない。

 俺はもう一度、群れに視線を戻した。  試しに、右手を上げてみる。二十七頭の頭が、いっせいに右へ傾いた。指を二本立てる。前列が二歩、後列が二歩、揃って下がった。剣を鞘に納める。狼たちが伏せの姿勢を取り、蟲たちが甲殻を地面に伏せた。

「……マジで、揃ったな」

 笑っていいのか、寒気が走るべきなのか、自分でも判断がつかなかった。これは、書き換え系統の応用ではなく、明らかに副作用だ。〈解析掌握〉の説明文には、テイムなんて一文字も書かれていない。ロックされた下層スキルのどれかが、こちらの意図を勝手に汲んで、勝手に枠を広げてきている。  枠の中で、〈解析掌握〉の名前が、わずかに脈を打った。脈の終わりに、ほんの一瞬だけ、別の文字列が灰色で浮かんで、すぐに消えた。  ──〈統御系統:暫定接続〉。  読めたのは、それだけだった。

「……お前、勝手に拡張してくれるな」

 枠に向けて呟くと、答える代わりに、〈第二鑑定〉の輪郭が一度だけ、こくり、と縦に頷くように明滅した。

 中庭の上で、二十七頭の獣が静かに伏せている。釣ったやつの正体は、まだわからない。同じ節を、同じ形で、こんな数の個体に同時に刻める手合いは、少なくとも辺境の野盗の手口ではない。鋼を直すのと、群れを束ねるのとは、責任の重さが何桁違うどころの話ではなかった。

 風が止んだ。  獣の唸り声が消えた中庭は、月の光だけが砂の上に細い影を落としている。鐘の余韻も、隊長の怒号も、いつの間にか吸い込まれて、聞こえるのは自分の心拍と、伏せた群れの呼吸だけになった。

 その静寂の縁で、別の音が立ち上がった。  ──蹄の音だ。  複数。樹林の北側から、揃って近づいてくる。砦の早馬とは違う、規律の通った刻み方。ひとつ、ふたつ、いや、もっと多い。砂を噛む音と、鎧の金具が触れ合う硬い金属音。前世の足音とはまるで質感の違う、鍛え込まれた行軍の足取りだ。

 俺は伏せの群れの中に立ったまま、鞘の柄に指を添え直した。〈第二鑑定〉の枠が、勝手にピントを北へ送る。樹林の縁を、馬上の影が一列に押し出してきた。

 ──こいつらは、こちらに来てしまったのではない。  こちらの試運転の音を、あらかじめ聞きつけて、来たのだ。

 二十七頭の獣たちが、揃って耳を立てた。

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