Novelis
← 目次

鑑定石が映さなかった俺の第二領域

第2話 第2話

第2話

第2話

唸り声は、思ったよりも早く遠ざかっていった。

 風向きが谷側へ抜けた途端、樹林の影で蠢いていた気配は北へ流れていく。雑魚の群れにしては動きが揃いすぎていた。引きどきも妙に綺麗だ。何かに釣られたか、誰かに追われたか──どちらにせよ、今夜こちらに当てがわれた相手ではない。  俺は抜きかけた小剣をいったん鞘に戻し、外套の襟を立てた。指先がじんと痺れている。月光に撃ち抜かれた胸の余韻は、まだ肺の奥に温度として残っていた。吐く息が白く流れて、すぐに闇へ吸われていく。心臓は落ち着いているのに、肩の奥だけがまだ強張ったままで、戦うために整えた体が行き場を失って燻っているのが分かった。

 ──〈第二鑑定〉。

 視界の右上に灯った枠は、瞬きをしても消えない。意識を一段絞ると、文字の輪郭が鋭く立ち上がった。前世でキーボードのカーソルを動かしていた、あの感覚に不思議と似ている。指で押すのではなく、視線で動かす。慣れれば、目を伏せたままでも操作できそうだ。

「便利だな、お前」

 砦の壁に背を預けたまま、自分の左掌へ意識を落とす。  ステータス枠が、もう一段深く沈んだ。表層スキル欄は相変わらずの空白。だがその下、藍色に沈んだ領域に、見落としていた行がいくつも灯っている。

 〈解析掌握〉 Lv1。  〈──〉 ロック。  〈──〉 ロック。  〈──〉 ロック。

 ──……数えるのをやめた。  ロックされた行が、視界の下方向へどこまでも積み重なっている。指で送っても底が見えない。鑑定石が「無し」と判じた俺の中身は、空っぽではなく、ただ全部が裏側に詰め込まれていただけらしい。

「……どっちかと言えば、過積載じゃないか」

 半歩だけ、笑いが漏れた。

 〈解析掌握〉の説明文を、もう一度ゆっくり読み直す。  ──対象の魔力構造を読み解き、書き換える。  短い。前世の論文なら査読で一発で突き返される簡素さだ。だが定義が短いほど応用範囲は広い、というのは、こちらの世界でも変わらない法則のはずだった。  試しに、足元の石畳へ意識を向ける。  枠が薄く広がって、石の中の魔力が淡い網目になって浮き上がった。網目は均一ではなく、踏み固められた中央が密で、隅は擦り切れている。長い年月で抜けていった魔力が、そのまま石の劣化として表に出ているのだ、とすぐに見当がついた。靴底ごしに伝わる冷たさにも、ふと色がついて見える。歩兵の足跡が一番濃く残った場所、雨水が抜けていく傾斜、馬車の車輪が削った筋──歴史の重みが、そのまま魔力の地形図として、足の下に広がっていた。

 ──劣化、か。

 思いついて、鞘から小剣を抜き直した。  月光に晒すと、刃はあちこち欠け、刃文は黒く錆びている。ハズレ召喚に押しつけられる備品としては、相応の代物だ。柄の革も汗で固まり、握り直すたびに手のひらに薄く張り付くような違和感がある。何人の名もなき兵士が、これを腰に下げたまま死んだのだろう、と一瞬だけ思った。

「お前で、試させてもらうぞ」

 鋼を、見る。  〈解析掌握〉。意識の指先で、刃の魔力構造を撫でる。  結晶の並びが、想像以上に克明に見えた。鋼は鋼でも、こちらの鋼は微細な魔力線で結ばれていて、その線が切れた部分に錆が入り、欠けた部分には魔力の空洞ができている。前世で覗いた金属組織写真と、原理はほとんど同じだ。違いは、原子の隙間に魔力という名の糊が走っていること、それだけだった。

「……繋ぎ直せばいいわけだ」

 切れた線の端を、別の線の端へ寄せていく。指でやるのではない。意識の中で、設計図の線を引き直す感覚に近い。脳の奥で、ぱちん、ぱちん、と低い接続音が鳴った。一本繋がるごとに、こめかみの内側で淡い熱が点る。痛みではない。むしろ、長らく塞がっていた配管に通水したような、満ちる感覚だった。  一秒。二秒。三秒。  刃の表面を、錆の鱗が走った。ぱらぱらと砂のように剥がれて落ちる。欠けていた縁が内側からせり上がり、月光を弾く滑らかな線に整っていく。指先で刃元を撫でると、ささくれが消えていた。  真新しい刃が、俺の掌に収まっている。

「……マジか」

 さすがに、声が出た。  隊長から押しつけられた時の、あの黒く錆びた刃ではない。重さは変わらないのに、軽く振った時の風切り音がまるで違う。鞘に戻すと、収まり方まで微妙に変わっていた。鞘口に当たる音が、これまでの鈍い「がちゃ」から、芯の通った「ことり」に変わっている。たったそれだけのことなのに、腰に佩いた重心まで澄んで感じられた。

「ふぅん」

 試しに、もう一段だけ深く意識を入れる。  刃の中央あたりに、極小の文字列が浮かんだ。  ──〈耐久値:9/10。書換系統:再構築型。再書き換え回数:制限なし〉。  思わず、眉が上がった。書き換え後の状態にまで、ご丁寧に注釈が添えられている。

「インベントリの仕様書まで読めるわけか、こいつ」

 試運転、上々。

 倉庫に戻る道すがら、〈第二鑑定〉の枠を開けたまま歩いてみる。  砦の石壁に意識を流すと、亀裂の走った箇所がはっきり脈打って見える。樽の箍に浮いた錆。荷車の車輪に走る細い罅。倉庫の屋根の継ぎ目から染みた、雨垂れの黒ずみ。視界の中で、すべてが「書き換えるべき欠け」として丁寧に並んで提示されてきた。

「……ぜんぶ直したい衝動を、どう抑えるかだな」

 ぼそりと自分に釘を刺す。  隊長の前で剣をきらきらの新品に戻したら、その時点で〈鑑定石は俺を映さない〉という安全装置は外れる。鑑定石のおかげで、俺はようやく盤の外に出られた駒だ。盤の中央に呼び戻される未来は、御免だった。  ──派手な書き換えは、外でだけ。倉庫の中は、なるべく今のままでいい。

 倉庫の壁にもたれ、ふと別の問いが立ち上がる。  鋼に通用するのなら、生きているものの魔力構造には、どうなのか。  ちょうど、足元を砦の野良猫が歩いていった。痩せた灰色の背中。倉庫番たちが「飯炊き」と呼んでいる古株だ。  試しに、視線を流した。  〈解析掌握〉。  構造が、開いた。  ──びっしりと、生体の魔力線が網になって浮かぶ。鋼の比ではなかった。一本一本が脈打ち、毛先まで魔力が走り、心臓のあたりで太い束が結ばれている。書き換えに踏み込んだ瞬間、どこか一線でもずれれば、この古株は壊れる。それが、線を見ただけで体感として理解できた。網は呼吸に合わせて緩み、また締まり、瞬きひとつで枝分かれの末端まで揺れ動く。鋼が静止画なら、こちらは生のままの動画だ。一フレームでも見落とせば、書き換えた線がまるで別の線に絡みついて、致命的な結び目を作りかねない。

 ぞっと、背筋が冷えた。

「……対人、対魔物。やれる、けど」

 やれる、けど、間違えれば壊れる。  鋼を直すのと、生き物を書き換えるのとでは、責任の重さが何桁も違う。前世の研究室で、データシートの一行を書き換えるのは数秒で済み、しかしその一行が後で誰かの判断を変えてしまう、あの怖さに、少しだけ似ていた。  ──出力の上限ではなく、運用のルールの方が、こいつの本当の難所だ。  飯炊きはこちらの視線にまるで構わず、警備犬の餌入れの縁を悠々と舐めに行った。

「……鋼と石。生き物以外で、限界の見当をつける。生きてるやつに向けるのは、最後だ」

 自分宛てのメモを、声に出して固定する。前世からの癖だった。書いた規則より、一度声に出した規則の方が、自分には強く守れる。  〈第二鑑定〉の枠が、応えるように小さく明滅した。同意というより、「了解、ログに残す」とでも言いたげな点滅の仕方だった。

 倉庫の隅に、新品同様に戻った小剣をそっと立て掛ける。  月光の差し込む木目の上で、刃が静かに息をしていた。表層スキル欄に「無し」と打たれた男の手元で、こんな道具が一夜で生まれ直したことを、明日の朝の隊長は気づかないはずだ。気づかれない、ということ自体が、今の俺には一番強い装備だった。

 視界の右上で、〈第二鑑定〉の文字がまだ薄く灯っている。  その下、〈解析掌握〉の名が、ゆっくりと脈を打っていた。  試運転は、終わった。

 ──次に試すのは、たぶん俺ではなく、向こう側からやって来る。

 風向きが、また変わった。  北の谷へ流れたはずの唸り声が、今度はもっと近く、真南の樹林の縁から、低くひと息で押し寄せてきた。一頭ではない。二頭でも、五頭でもない。地響きとも言えないわずかな振動が、倉庫の床から指先に伝わってくる。空気が重たく沈み、樹林の輪郭が押し出されるように歪んで見えた。鼻先をかすめる風には、湿った獣の匂いと、鉄錆に似た血の予兆が混じっている。〈第二鑑定〉の枠が、こちらの意思とは無関係に、闇の奥へすうっとピントを合わせた。  俺は、戻したばかりの剣の柄を握り直した。

「……いい仕上がりだ。早速、本番で使わせてもらう」

この話はいかがでしたか?

↓ スクロールで次の話へ