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鑑定石が映さなかった俺の第二領域

第1話 第1話

第1話

第1話

鑑定石の冷たさが指先から伝わってきた瞬間、こいつは俺を映さないと直感した。

神殿の中央。直径二メートルほどの真円石盤に、俺以外の召喚者三十七人の名前とスキルが薄い金色の文字でずらりと並んでいる。〈聖剣適性〉〈神威術式〉〈竜種召喚〉――どれも舞台の中心に据えられるような派手な響きだ。同じ高校から呼ばれたはずの連中の顔が、ステータス画面越しに一段昇って見える。

「次、佐倉律」

神官の声に促され、俺は石盤に掌を押し付けた。 ぴ、と低い音が鳴って、文字が浮かぶ。 ――『佐倉律/適性スキル:無し』。 一拍、神殿の空気が止まった。

「は……無し? 嘘だろ」 「やっぱりこいつ、外れだったか」

後ろで誰かが笑った。聞き慣れた声。隣のクラスにいた、サッカー部の真島だ。前線勇者枠の〈聖剣適性〉持ち。続けて二、三人が小さく吹き出すのが、背中越しにわかった。 神官は数秒、表情を消したまま俺を見て、それから手元の羊皮紙に何か書きつける。

「佐倉殿は、ヴェルダ辺境第十二警備区へ配属とする。任は石壁の維持、夜回り、補給仕分け」 「……前線じゃなくて、警備っすか」 「鑑定石の判定は覆らぬ。御身の安全のためでもある」

ありがたい配慮、ということになっているらしい。要するに、ハズレ召喚を前線で死なせると王国の体面が悪い。後方の倉庫で生かさず殺さず働かせるのが、一番落としどころが良い、という話だ。 異世界に来てまでハズレかよ、と心の中だけで吐き捨てる。表情に出すと余計に笑われる。それぐらいの計算は、前世でやり尽くしてきた。

ヴェルダ辺境第十二警備区、というのはなるほど立派な名前だった。 実物はといえば、石を積んだだけの古い砦と、薪と保存食の倉庫が二棟。常駐は俺を入れて九人。一番偉い隊長殿で四十手前、あとは大半が三十代の中堅と、見習いの少年が一人。前線勇者の華やかさとは対極にある、地味な顔ぶれだった。

「新入り、まずは内壁の苔をぜんぶ落とせ。三日で終わらせろ」 「了解です」 「夜は三交代で見張りな。眠そうな顔したら殴る」 「気をつけます」

隊長は笑わなかったが、嫌な人ではなさそうだった。少なくとも俺の召喚スキルが「無し」だと知っていて、それでも便利そうな雑用として受け入れてくれている。前線で持て囃される連中の、内輪の空気よりずっと呼吸がしやすい。 渡されたのは、刃の欠けた古い小剣と、木の柄の硬いブラシ。 一日目。石壁の苔を落とす。掌の皮がすぐに剥けた。 二日目。雨が降った。屋根の薄い倉庫で、毛布一枚に包まれて眠る。床に染み付いた獣脂の匂いと、隅で乾く塩漬け肉の匂いが混じって、味覚にまで届いてくる。鼻をすするたび、舌の奥がしょっぱい。雨垂れが屋根の継ぎ目から落ちて、頬のすぐ横の藁を打つ。その音を数えながら、俺は天井の節穴をぼんやり見上げていた。皮の剥けた両掌が、毛布の中で熱を持ったまま、芯の方からゆっくり冷えていく。痛みと冷えが交互に巡ってくる感覚は、嫌に正直で、むしろ眠気を遠ざけてくれた。 三日目。指先が痺れて、ブラシを握るのにいちいち力が要るようになる。それでも音を上げれば、それこそハズレが追認される。

――前世なら、こういう作業を一人で延々やるのは慣れていた。 大学の研究室で、徹夜で実験データのノイズを潰していた頃を思い出す。誰も褒めない、誰も見ていない、それでも数値の整合性だけは嘘をつかない。あの感覚に、ここの労働は近い。 苔の繊維は、よく目を凝らすと一本一本が淡い魔力を含んでいるらしく、剥がす角度を変えるだけで石壁の表情がまるで違って見えた。手作業の単調な反復の中に、観察する側の感度を試す細かい差分が無数に埋まっているのだと、二日目の終わりにようやく気がついた。気づいてしまうと、退屈は半分ほど薄まる。 苔を落としきった夜、隊長が俺の手を見て、舌打ちした。

「お前、文句ぐらい言え」 「言ってもいいんですか」 「言えば、もう少し楽な仕事を回す」 「じゃあ、今日からは言わないでおきます」

隊長は俺の顔をしばらく見て、「変わってんな」と短く笑った。召喚されてから初めて、誰かに笑顔らしい笑顔を向けられた瞬間だった。 同期の連中の消息は、三日に一度の早馬で届く。真島は王都の闘技場で歓声を浴び、〈竜種召喚〉のあいつは皇族の前で芸を披露し、〈神威術式〉の女子は神殿で礼装を仕立てているらしい。文字で読むだけで、こちらまで眩しく感じる。 早馬を運んでくる伝令兵は、手紙を仕分けながら俺の名前のところで一度ぴたりと止まり、申し訳なさそうに目を逸らす。同期の中に、こちらへ宛てた便りを書く者は誰もいない。慣れたつもりだったが、毎回ほんの少しだけ、胸の奥が冷える。それでも前線の戦果一覧は、不思議と最後まで読み込んでしまう。誰が、どこで、何を倒したか。数字と地名だけを追っていると、自分が外野から戦場全体の地図を眺めているような、奇妙な俯瞰の感覚があった。 ――嫉妬は、しないわけではない。ただ、奇妙な落ち着きもあった。あの場所に立っていたらきっと、俺は俺をうまく使いこなせない。鑑定石が「無し」と言ったのは、そもそも俺の中身が、表側のスキル欄では測れないだけかもしれない。 そんな仮説を、口には出さず、ブラシの動きの間だけで弄んでいた。

異変は、その夜、唐突に始まった。

月が二つ、ヴェルダの空に並んでいた。大きな白い月と、その肩越しに浮かぶ青い月。前世ではあり得ない光景なのに、見上げているとなぜか胸の奥が痺れた。 見張りの夜。砦の外壁に背を預け、薪の匂いの混じった冷たい風を吸い込む。指先はまだ皮が剥けて疼いている。痛覚が、世界がここにあることを地味に証明してくる。 夜半の砦は、虫の声ひとつしない。樹林の遠くで、葉擦れに似た低い風の音だけが、寄せては引いていく。腰に下げた小剣の柄が、外套越しに腿を冷やしてくる。見張りという仕事は、退屈と緊張がまだら模様で交互に来るから、呼吸の速度を一定に保つコツを、俺はもう覚えはじめていた。

――その時、青い月の光が、まっすぐに俺の胸へ落ちてきた。

眼で追えるほどの速度ではない。ただ、皮膚の下に水を一気に注がれたような感覚があって、肺の中の空気が一瞬、置き換わった。喉が鳴る。膝が崩れる。

「……っ、なんだ、これ」

全身の関節という関節が、内側から小さく鳴った。耳の奥で水音が反響し、視野の周縁が一瞬、深い藍色に染まる。冷たいものが背骨を真上に駆け上がり、後頭部のあたりで小さく弾けた。痛みではない。むしろ、長く塞がれていた管にようやく何かが通った時の、あの開通の音に近かった。 視界の右上に、薄く透ける四角い枠が勝手に開いた。 文字が浮かぶ。

――〈第二鑑定〉。

たった四文字。だが、初めて見る文字なのに、意味は最初から知っているように体に馴染んだ。鑑定石の表に映る、誰でも見える層。その下にもう一段、別の地下室が用意されている。そして俺の鍵は、その地下室の方に最初から差さっていた。

「……鑑定石が見ていたのは、表だけ、か」

試しに、自分の掌へ意識を向ける。 枠が広がり、今度は俺自身のステータスらしきものが描かれていく。表層スキル欄は、相変わらず空白。けれどその下、暗く沈んだ領域に、ぼんやりと一行だけ文字が浮いて見える。

――〈解析掌握〉。レベル一。説明:対象の魔力構造を読み解き、書き換える。制限――現在、ロック中。

「掌握、ね」

思わず口角が上がった。前世でやってきたデータ解析の語感に、妙に近い。 何ができるのかも、限界がどこにあるのかもまだわからない。だが一つだけ確信があった。こいつは、表層の鑑定石では絶対に映らない。映せないから、勇者候補の選別から外された。 ――つまり、俺は最初から「あちら側」では、勘定に入っていない駒だ。 都合がいい、と思った。盤の上から外れた駒は、自分の動き方を自分で決められる。

月光の余韻で痺れる胸を、外套の上から軽く叩く。 〈第二鑑定〉。〈解析掌握〉。名前だけ知って中身を知らない武器を、ふたつ、勝手に内側に持っている状態だ。鑑定石のせいで、誰にも気づかれていない。気づかれていない、というのは何より大きな利点だった。 砦の外で、低い唸り声が聞こえた。風向きの先、樹林の影。複数の気配。雑魚の魔物だろう、と頭の片隅で計算しながら、俺はブラシを置き、欠けた小剣を抜いた。

――試運転には、ちょうどいい。

視界の枠の中で、〈解析掌握〉の文字が、わずかに脈打った気がした。

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