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観測者の烙印 〜Eランクと誤認された俺は静かに歩き出す〜

第2話 第2話

第2話

第2話

宿の屋根の隙間から差し込む光で、リオンは目を覚ました。

頬に触れる空気は刺すように冷たく、布団の縁から覗いた指先がすでに白くなっている。窓の外、軒先に積もった雪が朝陽を吸って、薄青い影を石畳に落としていた。雪は夜半でやんだらしい。リオンは寝台から滑り降り、土間の小さな卓に向かった。

──薬の調合が先だ。

擂鉢、乾燥した青い葉、白い粉末状の鉱石。指先が冷えて感覚が鈍いまま、リオンは葉を擂鉢に放り込んだ。擂粉木の柄を握ると、掌の皮膚が木の油でうっすら吸いつく。三年使った擂粉木の握り心地。葉が砕ける乾いた音、混ざる土と薄荷の混合臭。粉末を加え、水を一滴垂らして練る。色が淡い黄から深い緑へ変わったところで、解毒薬の素ができる。

リオンは小瓶四本に分けて詰めた。栓をする指がわずかに震えた。寒さのせいだ、と自分に言い聞かせる。

懐に手を入れる。神官長の通達が、まだそこに折りたたまれていた。紙の縁が体温を吸って柔らかくなっている。リオンは紙を抜き、卓の上で広げ、もう一度文面を眺めた。

『定期再鑑定。不参加は登録抹消』

──また同じ結果が出るだけだ。

そう思おうとして、指先が紙を掴む力を緩められない自分に気づいた。

外套を羽織り、ブーツの紐を締め、リオンは戸を開けた。雪に埋もれた石畳の上に、朝一番の足跡を一筋つけて歩き出す。

待ち合わせは、酒場前の広場だった。

ガイは広場の井戸縁に腰掛けて、酒瓶のラッパ飲みをしていた。

朝六時の井戸の縁に腰掛けて飲む酒は、たぶん昨夜の続きだ。瓶の口から滴る液体が井戸の凍った縁に落ちて、小さな茶色い斑をつくっている。隣にミラが立ち、セインは少し離れた壁にもたれて欠伸をしていた。

「遅えぞ、Eランク」

ガイの声に、白い息が混じる。

リオンは黙って頭を下げた。遅刻はしていない。鐘が鳴る前に着いている。だが、訂正すれば一発殴られるだけだから、頭を下げる方が安い。

「お前一人で行きゃいいのに、わざわざ俺たちが付き添ってやるんだぜ。感謝しろよ」 「……ありがとうございます」 「大聖堂までだいぶ歩く。荷物、お前が持てよ」

ガイは自分の革袋をリオンの胸に押しつけた。袋は重く、底で複数の酒瓶が触れ合う音がした。リオンは無言で背嚢に括りつけた。

四人は北へ向かって歩き出した。

王都の大通りは、雪掻きの済んだ石畳が黒々と濡れて光っている。商人たちが店先の雪を寄せ、湯気の立つ饅頭の屋台に短い行列ができていた。饅頭の小麦の匂いと、人の汗と、薪の煙が混じる。リオンの胃が一度きゅっと鳴った。朝食はまだだった。

「なあ、リオン」

ガイが歩きながら振り返った。歯を見せた笑い。

「ついでに、神官長に伝えとけ。『俺は今日も無能でしたー』ってよ」 「……」 「ほら、無能の烙印、更新してこい」

ミラが鼻で笑い、セインが口元だけで合わせた。三人の笑い声が、雪の積もった軒先に小さく跳ねて消える。

行き交う冒険者の何人かが、リオンたちを横目で見た。視線は短く、すぐに逸らされる。あの男は黄昏の剣の荷物持ちだ、と確認するためだけの視線。

リオンは目線を石畳の上、自分の靴先から二歩先の継ぎ目に固定した。

(罠を見るときと同じだ。先を見すぎない。半歩先だけを読む)

そう自分に言い聞かせると、胸の違和感がわずかに静まった。違和感は、昨夜と同じ場所にまだあった。膨らんではいるが、破裂しない。今日も同じ位置に、ある。

大聖堂の白い尖塔が、家並みの向こうに見え始めた。

近づくにつれて、足元の雪が踏み固められて灰色になり、信徒たちの行列が細い帯のように石段へ続いているのが見えた。鐘が鳴る。低い、腹に響く音。リオンの肋骨の奥で、その音が短く反響した。

「俺たちはここで待つ。さっさと終わらせて来い」

ガイは石段の脇の屋台を顎で示した。ホットワインの湯気が立っている。三人は当然のようにそちらへ流れていく。リオンは石段の前に、一人残された。

雪解け水が石段の縁から細く滴り落ちていた。

大聖堂の鑑定室は、入口から長い回廊を抜けた奥にあった。

回廊の床は磨き抜かれた白大理石で、ブーツの底が触れるたびに、自分の足音が高い天井に吸われて消えていく。壁龕の蝋燭が揺れる。蝋の甘い匂いと、香炉から漂う乳香の重い香りが混じり、鼻の奥がじんわり痺れる。

案内の若い神官は、リオンの前を一度も振り返らずに歩いた。

鑑定室の扉は厚い樫材で、青銅の取っ手に蔓草の意匠が刻まれていた。神官が扉を押し、リオンを中へ入れる。

部屋の中央、白布を敷いた円卓の上に、拳大の透明な水晶が置かれていた。

水晶の周囲に、神官が三人。その奥に、白い長衣の老人——神官長が腰掛けていた。神官長は老眼鏡の縁に指をかけたまま、リオンの方を見もせずに羊皮紙をめくっている。

「冒険者リオン。三年前、初回鑑定でEランク認定。本日、定期再鑑定を執り行う」

老人の声は乾いていた。

「水晶に右の掌を翳しなさい。詠唱が終わるまで、手を離さぬように」 「……はい」

リオンは円卓の前に立った。

水晶は、見た目より冷たかった。掌が触れる前から、手のひらに薄い氷の膜が貼りつくような感覚が伝わってくる。

(──三年前と同じだ)

あの朝、待合室で隣にいた同期たちの、口元の同情と目の奥の安堵。神官の口から落ちた「E」という一文字。それを聞いた瞬間に、世界の輪郭が一段灰色になった感覚を、リオンはまだ皮膚で覚えている。

今日も、同じ感覚が戻ってくるのだろう。三年経って、自分は何も変わっていない。罠の見極めも、薬の調合も、敵の弱点を見抜く目も、それは「Eランクのなんとなく」でしかない。たまたま当たっているだけ。本当の自分の格は、E。

そう思おうとした。

詠唱が始まった。

三人の神官が低い声で古語を唱える。声は四重唱のように重なり、水晶の内部に淡い光が灯った。光は最初、灯心ほどの細さだった。

リオンは右の掌を水晶の表面に翳した。

冷たい。指先から手首へ、冷気が血管を遡る。

掌に伝わる感覚が、ふっと変わった。

冷気の奥から、別の何かが押し返してくる。脈動。水晶の中心から外へ向けて、規則的に、強く。リオンの掌の皮膚が、押し返される圧でわずかに浮く。

水晶の中の光が、灯心から燭台、燭台から松明、松明から焚火へと膨らんだ。

膨らんだまま、止まらなかった。

部屋の壁の影が一斉に踊った。蝋燭の炎が、自分のそれより強い光に押されて縮こまる。香炉の煙が水平に流れ、円卓の縁を擦るように這う。神官三人の唱える声が、ひとり、またひとりと止まっていった。

「……」 「……これは」

詠唱が完全に止まった。

最後にひとり残っていた神官が、震える手で水晶から自分の指を離した。

リオンは掌を水晶に当てたまま、自分の指の輪郭が水晶の光を内側から透かしているのを見た。

神官長が、老眼鏡を、ずれた位置のままで止めた。膝の上の羊皮紙が滑り落ちた。落ちて、白大理石の床にかすかな乾いた音を立てた。

部屋の中の四人の顔から、表情が抜け落ちていた。

「……手を、離して、よろしい」

神官長の声が、ようやく一拍遅れて部屋の空気を揺らした。

リオンは掌を水晶から引き剥がした。指先と水晶の表面の間に、糸を引くような淡い光の残滓が、一瞬伸びてから消えた。

掌に、感覚が戻らない。冷たさだけが、まだ皮膚の奥に残っている。

「あ、あの」

若い神官のひとりが何か言いかけて、神官長に手で制された。

神官長はゆっくりと立ち上がり、別の白布で水晶を覆った。布の下から、淡い光がまだしばらく漏れ続けていた。

「……結果は、後ほど書状にて。今は、お下がりなさい」 「……はい」

リオンは一礼し、扉に向かって歩き出した。

ブーツの底が大理石の床に触れる音が、来たときよりも妙に大きく聞こえた。背後で、神官たちが何か低く囁き交わしている。何度も「まさか」という単語だけが、囁きの隙間から漏れて、リオンの背中に届いた。

回廊に出ると、乳香の重い匂いが、不意に薄くなったように感じた。

掌に、まだ水晶の冷たさが残っていた。

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