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適性C回復術師の全属性覚醒録

第1話 第1話

第1話

第1話

血が、足りない。

ユウトは両手を前衛の背中に押し当てたまま、奥歯を噛んだ。全力ヒールの光が薄緑色に揺らめき、タンク役のドルクの裂けた背筋がゆっくりと塞がっていく。肉が盛り上がり、皮膚が繋がる感触が掌越しに伝わるたび、代わりに自分の内側から何かが削れていく。魔力だ。腹の奥に溜め込んだ魔力の池が、一回のヒールごとに目に見えて浅くなっていく。だがその間にも、王級ダンジョン第二十八層の主——双頭の魔狼フェンリガルドが二つの顎を開いた。

腐肉と硫黄を混ぜたような獣臭が層全体に充満している。足元の石畳は魔狼が暴れた衝撃で何枚も割れ、紫色の瘴気が罅から噴き出していた。

「左から来る!」

叫んだのは剣士のブレイズだ。ユウトはドルクを癒しながら首だけで戦場を見る。右の首がブレイズに、左の首がガルドに向かっている。ガルドの体力は七割。ブレイズは四割を切っている。

——先にブレイズ。

判断に一秒もかけなかった。ドルクから手を離し、十歩先のブレイズに向けて回復魔法を飛ばす。遠隔ヒールは効率が半分に落ちる。だから魔力を倍注ぎ込む。視界の端が白く飛んだ。こめかみの奥がずきりと痛む。脳が酸欠を訴えている——魔力の過剰消費が血流を圧迫しているのだ。

双頭の左顎がガルドの盾を噛み砕いた。鋼鉄の破片が散る。金属が砕ける甲高い音が層の壁に反響し、一瞬遅れて血の匂いが鼻を突いた。ガルドの左腕から鮮血が吹き出している。ガルドが膝をつく。

「ヒールッ!」

ガルドの怒号。ユウトは既に走っていた。ブレイズの傷を塞ぎ終える前に方向を変え、ガルドの腕に手を触れる。直接触れれば効率は最大になる。折れかけた肋骨が元に戻り、裂けた筋繊維が繋がる感覚が掌から伝わった。骨が軋みながら正しい位置に収まるとき、患者の痛みが術者の手に逆流する。ユウトは唇を噛んで声を殺した。

「遅い」

ガルドは立ち上がりざま、そう吐き捨てた。治ったばかりの腕を振り、大剣を構え直す。ユウトが繋いだ命を当然のように使い、前へ出ていく。礼はない。五年前からずっとない。

フェンリガルドの討伐には、そこからさらに四十分かかった。ユウトは計七回の全力ヒールと十二回の部分回復を重ね、全員の命を繋いだ。最後にガルドの大剣が魔狼の首を落としたとき、ユウトの魔力残量は底を擦っていた。

壁に背を預け、荒い息を整える。膝が震えている。指先の感覚がない。魔力を使い切る直前の兆候だ。あと一回でも全力ヒールを撃っていたら、意識を失って倒れていただろう。使い切る寸前まで回復魔法を回したのは、今月だけでもう三度目だ。

「戦利品の分配だ」

ガルドの声で全員が集まった。魔狼の核石、牙、毛皮。王級素材の市場価格を合算すれば、金貨にして百枚は下らない。

ガルドが帳簿を開く。「ブレイズ、三十。ドルク、二十五。俺が三十。リーナ、十」

ユウトの名前は呼ばれなかった。

「……残りの五が俺か」

「文句があるなら鑑定結果を見ろ。適性C。パーティ最低のランクに相応の配分だ」

ガルドは帳簿をユウトの胸に押し付け、振り返りもせずに歩いていった。金貨五枚。ユウトの全力ヒール一回分の魔力消費で買える回復薬は、金貨三枚相当だ。差し引きは金貨二枚。命を張って、金貨二枚。

五年間、ずっとこうだった。

鑑定石が弾き出した「回復適性C」という三文字が、ユウトの値段を決めている。Sランクパーティ「黄金の剣盟」の中で唯一のC適性。ガルドはことあるごとにそれを口にした。お前はCだ。Cの回復にCの分け前。文句はないだろう。

文句を言ったことはない。実際に全滅を防いでいるのは自分だという自負はあった。だが数字がCと言っている以上、それを覆す術をユウトは知らなかった。

宿に戻ると、見慣れない女が食堂のテーブルに座っていた。

銀髪を高く結い上げ、白いローブの胸元にはギルド発行のB適性バッジが光っている。年の頃は二十歳前後。整った顔立ちに、計算高い笑みが貼り付いている。

「紹介する」ガルドが食堂の中央に立った。「リーナ。今日から黄金の剣盟の回復術師だ」

ドルクが目を丸くした。「回復は……ユウトがいるだろ」

「二人体制にする。リーナはBランク適性だ。回復の層を厚くして損はない」

二人体制。言葉だけ聞けば合理的だ。だがユウトは、ガルドの目がこちらを見ていないことに気づいていた。紹介の間、一度もだ。まるでユウトがこの部屋に存在していないかのように、ガルドの視線はリーナとドルクの間だけを行き来していた。

リーナが席を立ち、ユウトの前に歩み寄る。ユウトの顔を下から覗き込み、にこりと笑った。甘い香水の匂いがした。迷宮帰りの汗と血の匂いが染みついた自分との差を、嫌でも意識させられる。

「あなたがユウトさん? 噂は聞いてます。五年もSランクパーティで回復を務めたCランク。すごい根性ですよね」

褒め言葉の形をした侮辱だった。ユウトは表情を変えなかった。

「よろしく」

「ええ、よろしくお願いします。——でも安心してくださいね」

リーナは一歩引き、右手を軽く掲げた。淡い金色の魔力光が指先から溢れる。回復魔法の可視化。わざわざ見せている。ユウトの薄緑色とは違う、温かみのある金色。Bランク適性の証とされる色だ。

「私の方が上位互換ですから。ユウトさんはもう、無理しなくていいんですよ?」

食堂が静まった。ブレイズが気まずそうに目を逸らし、ドルクが黙って酒を煽った。ガルドだけが腕を組んだまま、薄い笑みを浮かべていた。

——知っていたのか。最初から、代替を探していたのか。

五年だ。五年間、この男の盾になり、この男の剣を支え、この男のパーティで命を削ってきた。その五年が、B適性バッジひとつで書き換えられようとしている。

ユウトは何も言わなかった。言葉にすれば、それは懇願になる。自分の価値を証明してくれと乞う声になる。それだけは、しない。

「部屋割りだが」ガルドが続けた。「リーナに個室を使ってもらう。ユウト、お前は——」

「荷馬車でいい」

ガルドの言葉を遮って、ユウトは食堂を出た。

裏庭に停めてある荷馬車の荷台に、自分の荷物を放り込む。毛布一枚と、擦り切れた冒険者台帳。五年分の治療記録が書き込まれた台帳は、もうページの余白がほとんど残っていない。数え切れない戦闘で誰をいつ何回治したか、全て自分の字で書いてある。だがこの記録を見たのは自分だけだ。ガルドは一度も開かなかった。

荷台に腰を下ろし、夜空を見上げた。星が見える。迷宮都市オルディアの空は魔力の残光で常にうっすら明るいが、今夜は風が強いせいか星が鮮明だった。

冷たい風が首筋を撫でる。ユウトはローブの襟を引き上げ、目を閉じた。荷台の木板は硬く、腰骨に食い込む。さっきまで横になっていた宿のベッドとは比べものにならない。だが不思議と、窮屈な個室より広く感じた。少なくともここには、自分を値踏みする視線がない。

——五年か。

最初の一年は楽しかった。ガルドも笑っていた。お前の回復がなけりゃ俺たちは終わってた、と背中を叩かれた夜もあった。変わったのはいつからだろう。鑑定結果が出た日か。ガルドがSランク認定を受けた日か。あの日を境に、背中を叩く手は消え、代わりに帳簿を突きつける手だけが残った。

考えても答えは出ない。出たところで何も変わらない。

荷台の板が軋む音で目を開けた。足音だ。食堂の方から誰かが歩いてくる。

ガルドだった。

松明の明かりに照らされたその顔に、いつもの嘲りはなかった。代わりにあったのは、何かを決めた人間の、平坦な表情だった。

「明日、広間に来い。朝一番で話がある」

それだけ言って、ガルドは踵を返した。松明の炎が揺れ、ガルドの影が裏庭の石畳を長く引いて、食堂の戸口に消えた。

ユウトは荷台の上で、冒険者台帳を胸に抱いた。五年分の記録。救った命の数。使い切った魔力の総量。その全てが、「適性C」の三文字に押し潰されている。

——明日、何を言われるかなんて、わかっている。

夜風が荷馬車の幌を揺らした。オルディアの空に、雲が広がり始めていた。

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