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ランク外の残響

第2話 第2話「黒いバン二台の影」

第2話

第2話「黒いバン二台の影」

第三倉庫は、潮風が通り抜ける度に軋む場所だった。

二十二時ちょうど。指定された時刻に着くと、倉庫の前には見慣れない黒いバンが二台停まっていた。ナンバープレートに泥が塗られている。俺はフードを深く被り、暗がりに身を寄せた。走れる格好で来い——真壁の指示通り、スニーカーに動きやすいパーカー。ノートは内ポケットに入れてある。

倉庫の中に入ると、蛍光灯の光がいつもより暗かった。管が二本切れている。コンクリートの床には荷物が積まれているが、量がおかしい。普段の三倍はある。銀色のアタッシュケースが十個以上、几帳面に並べられていた。中身が何かは聞かない。聞かないのがルールだ。

「来たか」

真壁が奥から現れた。顔色が悪い。昨日の電話よりもさらに緊張が深い。隣に見知らぬ男が二人——真壁の部下だろうが、俺が知っている顔ぶれとは違う。臨時の増員。つまり、いつもの仕事じゃない。

「凪、荷物を車に積め。最初に右側のケースからだ。順番を間違えるな」

「了解っス」

ケースに手を伸ばした瞬間、真壁のスマホが鳴った。着信を見た真壁の表情が凍りつくのが、蛍光灯の明滅の合間に見えた。

「——おい、全員伏せろ!」

真壁が叫んだ直後、倉庫のシャッターが外側から吹き飛んだ。

轟音。金属の塊が弾丸のように宙を舞い、真壁の部下の一人が直撃を受けて壁に叩きつけられた。着弾の衝撃でコンクリート壁に亀裂が走る。人間が壁にめり込む音を、俺は初めて聞いた。

吹き飛んだシャッターの向こうから、五つの人影が倉庫に踏み込んできた。先頭の男が右手を翳すと、床に散らばった金属片が浮き上がり、矢のように真壁に向かって射出された。

「磁力操作——!」

真壁が右手首を返し、飛来する金属片の重力方向を捻じ曲げる。鉄の矢が空中で進路を変え、天井に突き刺さった。だが金属片は一つや二つじゃない。十、二十——倉庫中の金属という金属が武器に変わっていく。

「真壁、久しぶりだな。荷物は返してもらう」

先頭の男が口を開いた。声に余裕がある。歳は三十代後半。体格は平均的だが、右手に纏う青白い光が異能の顕現だ。俺の脳が勝手に分析を始める。磁力操作——射程は倉庫の端から端まで届いている。少なくとも十五メートル以上。同時に操作している金属片の数は三十を超えている。C級の出力じゃない。

B級。

真壁が重力偏向で金属弾を逸らし続けているが、顔に汗が浮いている。C級の出力でB級の物量を捌き切れていない。右手首の返しが速くなっている——連続使用の負荷が溜まっている証拠だ。

「凪! 逃げろ! お前じゃどうにもならねえ!」

真壁が初めて俺の名前を怒鳴った。使い走りの名前を、覚えていたのか。

逃げろと言われて体は動いた。だが目は止まらなかった。B級異能者の動きを、視界の端で捉え続けている。右手を翳す動作。指の開き方。金属片の軌道が変わるタイミング。脳が情報を啜り取っている。こんな場面でも——いや、こんな場面だからこそ。

倉庫の裏口に向かって走った。コンクリートの角を曲がろうとした時、背後で空気が破裂する音がした。振り返る。

真壁が——宙に浮いていた。

自分の重力偏向じゃない。B級の男が放った金属の鎖が真壁の首に巻きつき、そのまま天井近くまで持ち上げていた。真壁の右手首が痙攣するように動くが、首を絞められた状態では異能の精度が出ない。

「C級風情が、俺の縄張りの荷に手を出すからだ」

金属の鎖が締まる音。軋み。

そして——乾いた音がして、真壁の体から力が抜けた。

ぶら下がった体が揺れている。蛍光灯の明滅に合わせて、影が振り子のように床を這う。真壁の目が見開かれたまま、何も映していなかった。

走った。

裏口を蹴り破り、倉庫街の暗闘に飛び出した。潮風が頬を叩く。コンテナの隙間を縫うように走る。心臓が喉元まで跳ね上がっている。真壁が死んだ。C級が、一瞬で。あの重力偏向を無効化するほどの出力差。B級の壁はそこまで厚い。

足音。

俺の後ろに、別の足音が重なっている。二つ——いや、三つ。追手だ。B級の磁力操作の男じゃない。あの男はまだ倉庫の中にいる。追ってきているのは部下——だがそれでもD級かそれ以上。ランク外の俺が振り切れる速度じゃない。

路地を曲がった。行き止まり。

コンテナの壁が左右と正面を塞いでいる。振り返ると、三つの影が路地の入口に立っていた。中央の男が片手を持ち上げると、掌に薄紫の光が灯った。異能の顕現。種類は——わからない。データがない。

「逃げたガキが一匹。始末しろ」

無線の声。中央の男が一歩踏み出す。

「悪いな、坊主。見られた以上は帰せねえ」

掌の薄紫の光が膨張し、空気が震えた。衝撃波——。それを認識した時にはもう遅かった。見えない壁が俺の体を正面から叩き、コンテナの壁に激突した。背中に走った衝撃で肺の空気が全部抜ける。視界が白く飛んだ。口の中に鉄の味が広がる。地面に崩れ落ちた体を起こそうとしたが、腕が言うことを聞かない。

衝撃波。不可視の打撃。発動は掌の顕現から約〇・五秒。射程は——近い。五メートル以内。威力から見てC級の下位かD級の上位。

こんな時にまで、分析している自分が滑稽だった。

男が近づいてくる。靴音がコンクリートに反響する。一歩、二歩、三歩。俺は壁に背をつけたまま、動けなかった。

「じっとしてりゃ一瞬で終わる」

嘘だ。この手の台詞を吐く奴は、一瞬で終わらせた試しがない。

だが反論する余裕もなかった。男の左手が俺の胸ぐらを掴み、持ち上げる。右手の衝撃波ではなく——腰に差していたナイフが抜かれた。異能ではなく、ただの刃物。皮肉だ。ランク外の人間を殺すのに、異能を使う価値すらない。

刃が腹部に沈んだ。

熱い——と思ったのは最初の一瞬だけで、すぐに冷たさに変わった。体の内側が外気に触れている違和感。痛みは遅れてやってくる。膝が折れ、地面に倒れた。頬がコンクリートの冷たさに触れる。視界の端で、赤い液体が地面に広がっていく。自分のものだと理解するのに数秒かかった。

男たちの足音が遠ざかっていく。仕事は終わったということだろう。ランク外のガキ一匹、放っておいても死ぬ。わざわざ止めを刺す手間すら省かれた。

視界が滲む。夜空が歪んで見える。倉庫街の隙間から覗く星が、にじんだ水彩みたいに揺れていた。

——死ぬのか。

思ったほど恐怖はなかった。最初からわかっていたことだ。ランク外がこの世界に足を踏み入れた時点で、こうなる可能性は常にあった。今日がその日だったというだけの話。

ノートが——内ポケットのノートが、血を吸って重くなっていく。二年分のデータ。誰にも読まれることなく、俺と一緒にここで終わる。

結局、何にもなれなかったな。

意識が薄れていく。視界が狭くなる。音が遠くなる。潮騒だけが微かに聞こえている。

その時——胸の奥で、何かが脈打った。

心臓じゃない。心臓はもう弱々しく不規則に打っているだけだ。そうじゃなく——もっと深い場所。骨の奥、血の底、細胞の一つ一つに埋め込まれていたものが目を覚ますような、そんな振動。

脈動が広がる。腹部の傷口を中心に、体の内側が熱を持ち始める。さっきまでの冷たさが嘘のように、焼けるような熱が血管を駆け巡る。視界に色が戻った。星がくっきりと見える。音が近づいてくる。潮騒が、風の音が、自分の呼吸が。

何だ、これは。

脈動が強くなる。一つ打つたびに、体の輪郭が鮮明になっていく。指先に力が戻る。意識が浮上する。死の淵から引き戻されるのではなく——死の淵で、何かが生まれようとしている。

腹部に手を当てた。血は出ている。傷は塞がっていない。なのに——体が動く。立てる。理屈に合わない。内ポケットのノートが、血に濡れたまま俺の胸に張りついていた。

脈動が全身を支配していく。視界が変わった。暗闇の中に、見えなかったものが見え始めている。コンテナの壁に残った衝撃波の痕跡——空気の流れが乱れた跡が、薄い紫の残光として視えた。さっき俺を打った異能の、残り香。

その残光の中に——構造が、ある。

力の流れ方。圧縮と解放のパターン。掌から放射状に広がる衝撃の設計図が、まるで回路図のように脳に流れ込んでくる。

理解できる。あの衝撃波の仕組みが——わかる。

脈動がもう一度、強く打った。暗い路地に倒れた俺の体から、微かな光が漏れた。

——何が起きている。

答えはない。わかっているのは一つだけだ。俺の中で、何かが目を覚ました。そしてそれは——まだ覚醒の途中だということ。

血塗れの手で壁を掴み、体を起こした。膝が震えている。立っているのがやっとだ。だが心臓は確かに動いている。脈動が、止まらない。

倉庫街の向こうで、サイレンの音が微かに聞こえ始めた。夜明けはまだ遠い。

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