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不敗の謀聖、和平を謀る

第2話 第2話「朱塗りの楼門に戻って」

第2話

第2話「朱塗りの楼門に戻って」

煬京の城門は、三日前と変わらぬ姿で昭衍を迎えた。

朱塗りの楼門、左右に並ぶ石獅子、城壁の上に翻る燎原帝国の赤旗。すべてが以前と同じはずだった。だが昭衍の目には、門の奥に広がる帝都の空気がわずかに変質して映った。出征前、この門を出るとき、衛兵たちは敬礼をもって見送った。今、帰還する昭衍を迎える衛兵の目には敬意の代わりに警戒がある。視線の角度が違う。上官を見る目ではなく、罪人を見定める目だった。

「軍師府の兵は城外に留まれ、との枢密院令です」

門前で馬を止めた昭衍に、衛兵の長がそう告げた。通常、帰還した遠征軍は軍師府の営庭に入り、そこで解散する。城外留置は前例がない。夏雲が馬上で身を乗り出した。

「我々は凱旋軍だ。枢密院にそのような権限は——」

「構わん」昭衍は静かに遮った。「兵には休息を与えよ。城外の駐屯地を使え」

夏雲は口を閉じたが、目には抗議の色が残っていた。昭衍は馬を降り、帯剣を鞍に掛けた。丸腰で城門をくぐる軍師の背を、五千の将兵が無言で見送った。夏雲だけが馬を降り、後を追った。止められるとは思わなかったのだろう。昭衍も止めなかった。

帝都・煬京の大路は静かだった。凱旋の噂はすでに届いているはずだが、街道で見たような歓声はない。市井の民は店の奥から顔を覗かせ、すぐに引っ込める。何かを察しているのだ。帝都の民は政の空気に敏い。朝廷が軍師を歓迎していないという事実は、密勅よりも早く、噂という形で城内に染み渡っていた。

宮城の門前で、昭衍は足を止めた。白い石畳が午前の陽光を照り返し、目を射る。この石畳を踏むのは十年で幾度になるだろう。初めてここに立ったのは二十歳の科挙及第の日だった。膝が震えていた。五年前、初めて軍師として帰還したときは、血と泥にまみれた靴でこの白石を汚すことを恥じた。今はもう、何も感じない。ただ足元の白さが、自分に突きつけられる罪状の紙と同じ色をしているとだけ思った。

朝堂は燎原帝国の政の中枢である。

三十六本の朱柱が高い天井を支え、柱の一本一本に金糸で龍が彫り込まれている。正面奥の玉座は三段の高みにあり、朝陽が背後の格子窓から差し込んで、座す者の顔を逆光に沈める。臣下からは表情が読めない。それが設計の意図だった。

皇帝・曹煬はすでに着座していた。四十路半ばの偉丈夫。かつては自ら剣を執り前線に立った武人だが、即位から十五年を経た今、その体躯にはわずかに弛みが見える。だが目だけは変わらない。深く窪んだ眼窩の奥で、獣のように光る双眸。昭衍を十年重用し、十二の勝利を共に得た君主の目が、今日は昭衍を映していなかった。視線は昭衍の頭上を越え、朝堂の奥の壁——燎原帝国の版図を描いた巨大な絵図に注がれていた。

文武百官が左右に居並ぶ。武断派の筆頭・鍾嗣遠が右列の最前に立ち、昭衍が入堂するのを待ち構えていた。六十を超えた老将の顔に、隠しきれない昂揚がある。その隣には枢密院副使・范文淵。文官でありながら武断派と結び、昭衍の排除を画策してきた男だった。範の手には竹簡が握られている。あの中に、自分の罪が書かれているのだろう。昭衍は朝堂の中央に進み出て、拝跪した。額が冷たい石床に触れる。

「帝国軍師・陸昭衍、北方戦役の任を終え帰還いたしました」

沈黙が降りた。通常ならば皇帝が労いの言葉を発し、宰相が論功の段取りを読み上げる。だが玉座からは何の声もなかった。代わりに、范文淵が一歩前に出た。竹簡を開く音が、静まり返った朝堂に乾いた音を立てた。

「枢密院の調査により、以下の弾劾を奏上いたします」

范は淡々と読み上げた。第一に、北方戦役における独断専行。皇帝の勅許なく敵将との停戦交渉を行ったこと。第二に、捕虜の不当な解放。敵兵を処断せず帰還させたことで、敵国の戦力回復を幇助したこと。第三に——范はここで一拍置き、朝堂を見回した——敵国との内通の嫌疑。北方戦役中、敵の使者と密かに会談した記録があり、内通の対価として敵国から金品を受け取った疑いがある。

朝堂にざわめきが走った。独断専行と捕虜解放は以前から武断派が繰り返してきた批判であり、反論の余地がある。だが内通は別だ。それは軍師の手腕への批判ではなく、忠誠そのものへの否定であり、大逆に等しい。

昭衍は顔を上げた。范の手にある竹簡の文字が逆さまに見える。敵の使者との会談——それは停戦交渉だった。敵軍の投降条件を詰めるために行った、戦場では当然の実務だ。勅許も得ていた。だが竹簡に書かれているのは別の物語だろう。

重臣たちは沈黙していた。宰相・楊世鴻は目を伏せたまま微動だにしない。昭衍と同期の科挙及第であり、かつては酒を酌み交わした仲だ。その楊が黙っているということは、すでに裏で話がついているということだった。兵部尚書も、礼部侍郎も、誰一人として口を開かない。朝堂は三十六本の柱に囲まれた沈黙の檻と化していた。

「異議を申し立てます」

凜とした声が沈黙を破った。夏雲だった。朝堂の入口に立ち、拝跪もせずに前を見据えている。

「鄭夏雲副官、ここは朝議の場だ。末席の将校が——」鍾嗣遠が声を荒げた。

「北方戦役の全記録は軍師府に保管されています」夏雲は構わず続けた。「停戦交渉は第七次作戦会議で陛下の勅許を得ており、その記録には枢密院の副使殿も押印されているはずです。内通の物証があるというなら、この場でお示しください」

夏雲の視線が范文淵を射た。范は一瞬たじろいだが、すぐに冷笑を浮かべた。

「物証は枢密院の管轄だ。この場で開示する義務はない」

「物証なき弾劾は讒言です」

朝堂が緊張に軋んだ。鍾嗣遠の手が剣の柄にかかる。このまま夏雲が言葉を重ねれば、朝堂での不敬として拘束される。昭衍はそれを誰よりも早く読んだ。

「夏雲」

低く、しかし有無を言わせぬ声だった。夏雲の肩がびくりと震えた。振り返った彼女の目には怒りと、それ以上の悲痛があった。昭衍は小さく首を横に振った。

——退け。

夏雲は唇を噛んだ。歯が唇の皮を破り、一筋の血が顎に伝った。だが彼女は一歩退いた。昭衍がそう命じたからだ。戦場と同じだった。軍師の判断に従う。たとえその判断が、軍師自身を滅ぼすものであっても。

昭衍は立ち上がった。拝跪の姿勢を解き、朝堂の中央に真っ直ぐ立つ。文武百官の視線が集まる。逆光の中の皇帝の双眸が、初めて昭衍を捉えた。

昭衍は腰の印綬に手をかけた。軍師の証。帝国全軍の指揮権を象徴する金印と紫の綬帯。十年前、曹煬自らが昭衍の腰に結んだものだ。あのとき皇帝は笑っていた。「天下を獲る剣を得た」と。

紫の綬がほどかれる絹擦れの音が、朝堂に響いた。昭衍は両手で印綬を掲げ、玉座に向けて差し出した。

「陛下がそう望むなら」

それだけだった。弁明も、抗弁も、嘆願もない。静かな一言が朝堂の空気を凍らせた。鍾嗣遠の昂揚が消え、范文淵の冷笑が強張り、宰相・楊世鴻がようやく顔を上げた。その目に浮かんでいたのは勝利の安堵ではなく、何かを永遠に失ったと悟る者の表情だった。

玉座の曹煬は微動だにしなかった。逆光の中で表情は読めない。だが昭衍には分かった。あの沈黙は迷いではなく、安堵だ。不敗の軍師が抵抗せず印を返した——曹煬が最も恐れていた筋書き、すなわち昭衍が兵を率いて抗命する事態は起きなかった。

宦官が進み出て、昭衍の手から印綬を受け取った。金印の重みが掌から消えたとき、昭衍は十年分の戦の記憶が指の間から零れ落ちるのを感じた。十二の戦場。数万の兵。無数の夜明け。そのすべてが、今この瞬間に宮城の石床に落ちて砕けた。

「陸昭衍の官位を剥奪し、即日追放とする」

玉座から降りた声は、意外なほど平坦だった。曹煬は昭衍を見ていなかった。すでに次の政務に目を移しているかのような、無関心。十年の君臣が、たったこれだけの言葉で終わる。

昭衍は最後の礼を取り、朝堂を出た。夏雲が後に続く。三十六本の朱柱の間を歩く二つの影は、朝陽に照らされて長く伸び、やがて出口の光に呑まれて消えた。

宮城の門を出たとき、昭衍は振り返らなかった。白い石畳を踏む足音だけが、二人分、規則正しく響いた。夏雲は何も言わなかった。言うべき言葉がなかった。

門の外には市井の喧騒があるはずだった。だが不思議なほど静かだった。道行く人々が足を止め、官服を剥がれた昭衍の姿を遠巻きに見ている。噂はもう広まっているのだ。不敗の謀聖、罪に堕つ——明日にはこの言葉が帝国の隅々にまで届くだろう。

「夏雲。ここまでだ」

昭衍は立ち止まった。宮城の外壁がまだ影を落とす場所だった。

「お前は軍師府の副官だ。軍師府が消えた以上、枢密院に出頭して新たな配属を受けろ」

「お断りします」

「命令だ」

「軍師殿はもう軍師ではありません。命令権はない」

夏雲の声は震えていなかった。朝堂で范文淵に啖呵を切ったときと同じ、凜とした声だった。だが目が赤い。

昭衍は小さく息をついた。この副官の頑固さは、北方で敵の退路を塞いだときの執拗さと同じ根を持っている。一度決めたら動かない。

「ならば好きにしろ。ただし俺と共にいれば、お前も追放者だ」

「承知の上です」

二人は宮城を背に歩き出した。帝都の大路を北へ。来たときと同じ道を、今度は逆に辿る。凱旋の道が追放の道に変わっただけだった。石畳が途切れ、土の道に変わる頃、昭衍はふと空を見上げた。南から北へ流れる雲が、三日前と同じ速さで走っている。

そのとき昭衍はまだ知らなかった。

宮城の奥、朝議が終わった玉座の間で、曹煬が一人の男を呼び寄せていたことを。影のように現れたその男——特務暗部の統領は、皇帝の前に片膝をついた。

「陸昭衍を生かしておけば、いずれ禍根となる」

曹煬の声は、先ほど追放を告げたときよりも遥かに感情がこもっていた。それは恐怖だった。印を返し、一言も抗わず去った男への恐怖。暴れてくれたほうがまだよかった。あの静けさは、すべてを見透かした者の静けさだ。

「国境を出る前に始末せよ。痕跡は残すな」

統領は無言で頭を垂れ、影のように消えた。

玉座の間に曹煬だけが残された。壁の版図絵図に目をやる。赤く染まった帝国の領土。その赤を広げた男を、今、自分は殺そうとしている。曹煬は玉座の肘掛けを握りしめた。爪が木に食い込む。

——お前が静かに去ったことが、朕には何よりも恐ろしい。

帝都の北門を出た昭衍と夏雲の背を、すでに三つの影が追い始めていた。

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