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序列最底辺の零号覚醒

第1話 第1話

第1話

第1話

名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた——期待ではなく、恐怖で。

「番号〇四七、神崎蓮。査定室三番へ」

 無機質なアナウンスが廊下に反響する。序列庁・第一訓練校の覚醒査定会場。十六歳の春に行われる一斉査定は、能力者としての人生を決定づける通過儀礼だ。廊下の長椅子に座った同世代たちの顔には、緊張と高揚が入り混じっている。隣の査定室から歓声が漏れた。誰かがA級判定をもらったらしい。壁越しに聞こえる拍手と笑い声が、廊下の空気を揺らす。その振動が、胃の底に沈んだ鉛の塊をさらに重くした。

 俺は立ち上がった。膝が少し笑っているのを、誰にも気づかれたくなかった。両手を制服のポケットに突っ込み、何でもない顔を作る。前の席にいた女子が「頑張ってね」と小さく声をかけてくれたが、うまく笑い返せた自信がない。

 査定室の扉を開けると、白い壁に囲まれた六畳ほどの空間に、黒い測定台が鎮座していた。消毒液のような無機質な匂いが鼻を突く。天井の蛍光灯が白すぎて、壁も床も影のない均一な明るさに満ちている。まるで病院の検査室のようだった。序列庁の査定官が二人、端末を構えて待っている。無表情。事務的。一日に何十人と捌く流れ作業の一環。俺もその一人に過ぎない。

「神崎蓮。第一訓練校Aクラス所属。両手を測定台に置いて」

 言われるまま、冷たい金属の表面に掌を押し当てる。ひんやりとした感触が指先から腕へ伝わった。測定台の表面には細かな回路模様が刻まれていて、微かに青白く脈動している。他の受験者のときは、ここが眩しく光るのだろう。

「意識を集中。体の内側に熱源を探すイメージで」

 目を閉じる。集中する。体の奥底に何かがあるはずだ。同世代の連中は、この瞬間に胸の中心が燃えるように熱くなると言っていた。光が弾けるとか、電流が走るとか——。

 何も、ない。

 暗闇の中を手探りで進むような感覚だけが続く。意識を深く、もっと深く潜らせる。肋骨の内側、腹の底、背骨に沿った奥の奥——どこを探っても指先が虚空を掻くだけだ。掌の下の測定台は沈黙したまま、数値のひとつも弾き出さない。青白い脈動は、俺の手の下だけ消えていた。

「……もう一度。今度はゆっくり深呼吸してから」

 査定官の声に微かな戸惑いが混じったのを、俺は聞き逃さなかった。もう一人の査定官が端末の画面を二度タップした。機器の不具合を疑ったのだろう。だが画面に映っているのは正常動作のインジケータだけだ——異常なのは機械ではなく、俺のほうだった。二度目。三度目。四度目——。額に汗が滲む。こめかみの血管が脈打つのがわかる。測定台のモニターはゼロの表示を変えない。

 沈黙が落ちた。査定官同士が目を見合わせ、ひとりが小さく首を振る。その仕草を、俺は測定台に押し当てた掌の隙間から見ていた。

「査定結果、ランクE-7」

 その言葉が耳に届いたとき、音が遠くなった気がした。蛍光灯の微かな電子音と、自分の心臓の鼓動だけが、水の底から聞こえるように響いている。

「E-7って……最低ランクじゃないですか」

「覚醒反応が検出されませんでした。現時点では無能力者と同等の判定です」

 査定官が端末を操作しながら、事務連絡のように続ける。指先がスクリーンを滑る乾いた音が、やけに鮮明に聞こえた。

「なお、第一訓練校の在籍条件はランクD-3以上です。神崎くん、あなたには転属通知が出ます。配属先は——第七分校」

 第七分校。名前だけは聞いたことがある。低ランク者の収容施設みたいなものだと、誰かが冗談半分に言っていた。冗談じゃなかった。

「待ってください。俺は——覚醒が遅れてるだけかもしれない。再査定の申請は」

「再査定は六ヶ月後に可能です。それまでは配属先での訓練課程に従ってください」

 六ヶ月。半年。途方もない時間だ。査定官はもう次の受験者のファイルを開いている。俺の人生を左右する宣告を下した直後に、まるで天気予報でも読み上げたかのような顔で。

 立ち上がろうとして、膝に力が入らなかった。測定台の縁を掴んで体を支える。指の関節が白くなるほど握りしめていることに、数秒遅れて気づいた。

「次の方が待っていますので」

 促されて、ようやく足が動いた。

 査定室を出た廊下で、スマートフォンが震えた。SNSの速報通知。

 ——氷室朔夜、覚醒査定ランクA-2判定! 次世代エース候補の筆頭に!

 幼馴染の名前と、満面の笑みの写真。コメント欄は祝福で溢れている。「さすが朔夜!」「知ってた」「天才は違うな」——その言葉のひとつひとつが、喉に小骨が刺さるように痛い。俺と朔夜は、つい三ヶ月前まで同じ教室で肩を並べていた。「次世代のエース候補」——それは俺たち二人に向けられた言葉だったはずだ。放課後の自主練も、休日の合同訓練も、全部一緒だった。同じスタートラインに立っていると思っていた。

 画面を閉じた。

 教室に戻ると、空気が変わったのがわかった。さっきまで「蓮、どうだった?」と聞く気満々だった連中が、目を逸らす。噂はもう回っている。

「なあ、神崎がE-7だってよ」

「マジ? あの神崎が?」

 ひそひそ声は隠す気もない。哀れみと安堵が入り混じった視線。あいつじゃなくてよかった、という剥き出しの感情。半年間一緒に訓練してきた仲間が、たった一つの数字で他人になる。こんなに簡単に距離が生まれるのかと、皮肉な感心すら覚えた。

 俺は何も言わずに荷物をまとめた。教科書。トレーニングノート。祖父から譲り受けた古い手甲。革の表面は使い込まれて飴色に光り、指を通す部分が俺の手の形に馴染んでいる。第一訓練校での俺の痕跡は、通学鞄ひとつに収まった。

 担任が声をかけてきた。気の毒そうな顔。

「神崎、第七分校への転属手続きは明日までに——」

「わかってます」

 それだけ答えて、校舎を出た。

 桜が散り始めていた。四月の風がぬるく頬を撫でる。花弁が一枚、鞄の肩紐に落ちて、そのまま滑り落ちていった。第一訓練校の正門をくぐるのは、これが最後だ。振り返らなかった。振り返ったら、何かが折れる気がした。

 スマートフォンがまた震える。朔夜からの個人メッセージ。

 ——蓮、査定どうだった? 連絡くれたら嬉しい。

 既読をつけずに画面を伏せた。おめでとうも言えない自分が惨めで、惨めだと思う自分がさらに嫌だった。返信の文面をいくつも頭の中で組み立てて、全部消した。どんな言葉を選んでも嘘になる気がした。

 その夜、自室のベッドに仰向けになって天井を見つめた。窓の外で車のヘッドライトが通り過ぎるたびに、天井を光の帯が横切っていく。体の奥に手を伸ばすように意識を沈める。査定台の上で何度も繰り返したのと同じ動作。やはり何も触れない。空っぽの器に手を突っ込んで、底を探り続けているような虚しさだけが残る。

 朔夜の顔が浮かんだ。三ヶ月前、二人で夜の訓練場を走りながら交わした会話。「俺たちなら絶対いける」——そう言ったのは朔夜だったか、俺だったか。もう思い出せない。

「……まだだ」

 声に出した。誰もいない部屋に、自分の声が落ちる。

「俺の力は、まだ来ていないだけだ」

 そう信じるしかなかった。信じることをやめたら、本当にただの無能力者になる。

 翌朝、転属先の第七分校に向かう電車は、都心から四十分ほど郊外へ走った。車窓の景色が変わっていく。高層ビルが低層の集合住宅に、商業施設が空き地に、やがて建物の間隔が広がって空が大きくなった。乗客も減り、最寄り駅で降りたのは俺を含めて三人だけだった。駅を降りると、住宅街の合間に古びた校舎が見える。第一訓練校の洗練された施設とは比べものにならない。外壁のコンクリートは罅割れ、窓ガラスの何枚かはテープで補修されていた。校庭の隅に雑草が伸び放題になっているのが、手入れの行き届かなさを無言で語っている。

 正門をくぐる。校舎の入り口横の壁に、黒いスプレーで書き殴られた文字があった。

 ——ここは掃き溜め。

 消した跡がうっすら残っているのに、その上からまた書かれている。何度消しても、誰かが書き直す。それがこの場所の空気を物語っていた。

 足を踏み入れる。廊下は薄暗く、蛍光灯のひとつが点滅を繰り返していた。埃っぽい空気が肺に入り込む。すれ違う生徒たちの目が死んでいる。覇気がない。ここに来た時点で人生の大半が決まったと、全員がわかっている顔だ。一人の男子が壁にもたれてスマートフォンを弄っていた。画面に映っているのは——覚醒査定の速報ランキング。上位の名前を眺めながら、男子は小さく舌打ちして画面を閉じた。あれは昨日の俺と同じ目だ。

 胸の内側で、小さな火が灯った。怒りなのか意地なのか、自分でもわからない。ただ一つだけ確かなことがある。

 俺は、ここで終わるつもりはない。

 通学鞄の中で、祖父の手甲がかすかに重みを主張していた。

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