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序列最底辺の零号覚醒

第2話 第2話

第2話

第2話

教室の扉を開けた瞬間、視線が突き刺さった——と思ったのは一瞬だけで、すぐに誰もがこちらへの関心を失った。

 第七分校、二年B組。俺の新しいクラスだ。教室には十五人ほどの生徒がまばらに座っていた。第一訓練校のAクラスが四十人超の満席だったことを思えば、その少なさが序列庁の優先順位をそのまま映している。窓際の席で突っ伏している男子、後ろの列で文庫本を読んでいる女子、イヤホンをして目を閉じている誰か。朝のホームルーム前だというのに、空気が淀んでいた。第一訓練校にあった張り詰めた緊張感の代わりに、ここにあるのは薄い諦めだ。

「転入の神崎です。よろしく」

 担任に促されて名乗ったが、反応はほとんどなかった。数人がちらりと顔を上げ、またすぐに視線を戻す。担任の中年教師も、出席簿を事務的に捌くだけで俺を紹介する気概はない。「空いてる席に座って」——それだけだった。

 第一訓練校からの転属者。その意味をここの生徒たちが知らないはずがない。要するに、エリート校から落ちてきた奴。同情するほどの余裕も、嘲笑するほどの関心もない。ここでは全員がすでに落ちた側なのだ。

 窓際の後ろから二番目の席に座った。椅子の脚ががたつく。机の表面には前の持ち主が彫った溝が残っていて、指でなぞると「退屈」と読めた。

 午前の授業が始まる。異能基礎理論——といっても、第一訓練校で半年前に終わった内容だった。教師の声は抑揚がなく、黒板に書かれる文字は薄い。この教師自身が、ここでの授業に意味を見出していないのが伝わってくる。低ランク者に高度な異能理論を教えても使いようがない。そんな空気が教室全体を覆っていた。

 昼休み。購買でパンを二つ買い、教室に戻ろうとした廊下で足が止まった。

「——だから言ってんだろ、探知なんざ戦闘じゃ役に立たねえって」

 渡り廊下の柱の影から声が聞こえる。聞くつもりはなかったが、足音を立てる前に会話が耳に入ってきた。

「わたしは役に立たないなんて言ってません。探知の精度は——」

「精度がどんだけ高くても、敵の拳は止まんねえよ。お前がやってんのは、殴られる場所を正確に教えてくれるだけだ」

 言い返す声は小さいが、芯があった。柱の向こう側を覗くと、三人の生徒が立っていた。

 一人は小柄な女子。肩にかかるくらいの黒髪を耳にかけ、制服の袖を指先まで引っ張っている。大きな目が相手を真っ直ぐ見据えていたが、唇は微かに震えていた。探知特化——さっきの会話の内容から察するに、戦闘能力を持たない能力者だ。

 絡んでいるのは上級生らしき男子二人。腕を組んで壁にもたれている方が、鼻で笑った。

「第七分校で探知B-4とか、一番中途半端だろ。戦えないくせにランクだけ微妙に高いから、序列庁も使い道に困って送り込んできたってわけだ」

「それは——」

「水瀬、お前さ、現実見ろよ。ここにいる時点で終わりなんだから」

 水瀬、と呼ばれた女子の拳が小さく握られるのが見えた。言い返せないのではない。言い返す言葉を、飲み込んでいる。

 俺は歩き出した。別に正義感からじゃない。ただ、「ここにいる時点で終わり」という言葉が耳の奥にこびりついて、黙って通り過ぎる気になれなかっただけだ。それを認めたら俺自身が終わることになる。

「悪い、通してくれ」

 三人の間を割るように歩く。上級生の一人が舌打ちしたが、俺が構わず進むと、毒気を抜かれたように二人は去っていった。面倒ごとを拾いたくなかったのだろう。第七分校では、誰もがそうだ。怒りを維持するエネルギーすら惜しい。

 水瀬が俺を見上げた。

「……あの、ありがとうございます。えっと」

「神崎。今日転入してきた」

「知ってます。第一訓練校から来た人ですよね」

 その言い方には棘がなかった。興味と、ほんの少しの警戒。

「水瀬凛です。探知系B-4——さっき聞こえてたと思いますけど」

「聞くつもりはなかった」

「いいです。事実ですから」

 事実。その一語に込められた重さを、俺はこの時はまだ正確には測れていなかった。

 午後の実技訓練で、俺は第七分校の「住人たち」を知ることになる。

 校庭に集められた二年B組の面々に、実技教官が淡々と指示を出す。基礎能力の発現確認——週に一度のルーチンらしい。

「大河、前へ」

 名前を呼ばれて出てきたのは、俺より頭半分大きい長身の男だった。日に焼けた肌、短く刈り込んだ髪。一見すると格闘家のような体格だが、その左腕だけが異質だった。肘から先が赤銅色に変色し、筋繊維が浮き出たように脈動している。

「身体強化、左腕限定。ランクD-5」

 教官が読み上げる。大河は黙ったまま、左拳で校庭のコンクリートブロックを殴った。ブロックが二つに割れる。だが、右腕で同じことをすれば拳の骨が砕けるだろう。片腕だけの強化。攻撃も防御も半身にしかできない。

「次、柊小夜」

 出てきたのは、前髪で顔の半分を隠した女子だった。細い指を前方に翳すと、薄い紫色の光膜が展開される。障壁——だが、教官が軽く蹴りを入れただけで、それはガラスのように砕け散った。

「障壁生成、強度不足。E-3」

 小夜は無言で列に戻った。俯いた横顔に感情は見えない。ただ、砕けた光膜の欠片が地面に落ちて消えていく様を、彼女だけがじっと見つめていた。

「神崎蓮。第一訓練校からの転入。ランクE-7」

 俺が前に出ると、空気が変わった。E-7——この校舎で最低のランク。探知だけの水瀬にも、片腕だけの大河にも、薄い障壁の小夜にも、少なくとも「能力」はある。俺にはそれすらない。

「発現確認を行う。測定盤に手を」

 校庭に設置された簡易測定盤に掌を当てる。また、この作業だ。査定室と同じ冷たい金属の感触。意識を体の内側に沈める。何かを探す。掴む。引き出す——。

 数値はゼロのまま動かなかった。

 沈黙。そして、どこかから聞こえた小さな声。

「……本当に無能力なんだ」

 哀れみですらなかった。ただの確認。ここにいる全員が低ランクだが、ゼロはゼロだ。何かが少しでもあるのと、何もないのとでは、絶望の質が違う。

「以上。自主訓練に移れ」

 教官が形式的に訓練を締め、生徒たちが散っていく。大河が左腕を回しながら通り過ぎた。目が合ったが、何も言わなかった。小夜は俯いたまま校舎に消え、水瀬は少し離れた場所から俺を見ていたが、俺が気づくと視線を外した。

 自主訓練。能力を持つ者が能力を磨く時間。俺には磨くものがない。

 だが、やることならある。

 放課後の校舎は静まり返っていた。大半の生徒は早々に帰宅する。居残る理由がない。屋上への階段は施錠されていなかった——第一訓練校なら無断使用禁止の場所だが、ここでは誰も気にしない。管理する意味がないからだ。

 屋上に出ると、西日が目に刺さった。錆びたフェンスの向こうに郊外の街並みが広がり、遠くに第一訓練校の高層棟がかすかに見える。あの場所に、もう俺の居場所はない。

 通学鞄から祖父の手甲を取り出した。右手に嵌める。使い込まれた革が肌に馴染む感触は、今の俺にとって唯一確かなものだった。

 走り始めた。

 屋上の外周を、ひたすら。能力がないなら体を作る。体ができたところで能力者には勝てないと頭ではわかっている。それでも止まっているよりはましだ。足が重くなり、息が上がり、膝が悲鳴を上げても走り続けた。腕立て、腹筋、背筋。祖父に教わった体術の型を繰り返す。拳を突き出すたびに手甲の革が軋む。汗が目に入り、視界が滲む。

 何周走っただろう。足がもつれて転んだ。コンクリートの屋上に手をついて、荒い息の合間に笑いが込み上げた。惨めだ。能力者の世界で無能力者が体力トレーニングをしている。どれだけ走っても、明日の測定盤の数値はゼロのままだ。

 それでも立ち上がった。膝の擦り傷から薄く血が滲んでいる。そんなものは査定結果の痛みに比べれば何でもない。

「——まだだ」

 昨夜と同じ言葉が口をつく。意味のない呪文みたいなものだ。でも、口に出さなければ体が動かない。

「まだ、終わってない」

 再び走り出す。日が傾いて影が長くなり、屋上のフェンスが橙色に染まる。俺は止まらなかった。止まったら、壁の落書きが正しくなってしまう。

 給水塔の影に、気配があった。

 気配——と呼ぶには曖昧すぎる。視界の端で何かが動いた、程度の違和感。振り返ったが、誰もいない。風がフェンスを揺らす音だけが残っている。

 気のせいか。汗を拭い、もう一度走り始めた。

 だが気のせいではなかった。給水塔の裏側で、水瀬凛が壁に背をつけて息を殺していた。その手には小型の探知端末が握られている。画面には微弱な波形が表示されていた——蓮の体から漏れ出す、本人すら気づいていない異能の残滓を、彼女の探知は確かに捉えていた。

 水瀬は画面を見つめたまま、小さく呟いた。

「……E-7じゃ、ない」

 その声は、夕暮れの風にかき消された。

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