第2話
第2話「消えたテレポートゲート」
中央広場の噴水前にあったはずのテレポートゲートが、跡形もなく消えている。
噴水だけは昔のままだ。水面に映る空の青さも、石畳に跳ねる飛沫の音も記憶の通り。だがその隣に立つオブジェクトは、まるで見知らぬ街に迷い込んだような違和感を突きつけてくる。
代わりに立っているのは、半透明の青い柱——「次元転送碑」とかいう聞き覚えのないオブジェクトだ。触れると行き先一覧が展開される。地名の半分以上が知らないエリアだった。
「……転送に通貨いるのか、今」
三年前は無料だった。所持金を確認すると、当時の通貨単位がそのまま残っている。数字だけ見れば大金だが、インフレ後の現環境でどれほどの価値があるかは怪しい。
とりあえず露店通りを歩いて相場を確認する。並んでいる装備のステータスが、俺の全身装備より軒並み上だった。しかもそれが「初心者向けセット」と銘打たれている。笑うしかない。露店の店主NPCがにこやかに「おすすめですよ!」と声をかけてくるのが、余計に虚しかった。
掲示板の前に足を止めた。クエストボードが刷新されている。三年前のシンプルな羅列ではなく、難易度・推奨レベル・報酬がカード形式で表示される親切設計。だが「推奨装備スコア」なんて指標は初めて見た。自分の装備スコアを確認する方法すらわからない。
「あの、すみません」
声をかけたのは、掲示板の前でうろうろしていた若いプレイヤーだ。種族はエルフ。頭上のネームプレートには「ミソラ」と表示されている。レベル帯からして、始めて数ヶ月といったところか。
「この『装備スコア』ってどこで見るんだ?」 「え? キャラメニューの二ページ目ですけど……あ、もしかして復帰者さんですか?」
見抜かれた。まあ、この装備を見れば一目瞭然だろう。三年前の最前線装備は、今では骨董品のような見た目だ。
「三年ぶりだ」 「三年!? それ大変ですね、システム全然変わってますよ。えっと、とりあえず冒険者ギルドで復帰者パッケージ受け取った方がいいです。装備スコアの確認もそこで——」 「ありがとう。助かる」
ミソラが丁寧に冒険者ギルドの場所を教えてくれた。三年前は広場の北東にあったが、今は南の大通り沿いに移転しているらしい。何もかも変わっている。
冒険者ギルドで復帰者パッケージを受け取る。中身は現行基準の最低限装備、回復アイテム詰め合わせ、システム変更点のチュートリアルクエスト一式。装備を確認して、あえて換装しなかった。性能は復帰パッケージの方が上だが、手に馴染んだ剣を今は手放したくない。握り込んだ柄の革の感触。何千回と振り続けて削れた重心のバランス。こいつとの付き合いは、このゲームを始めた頃からだ。
装備スコアは案の定、底辺だった。現行プレイヤーの平均が四千台後半。俺は千二百。初心者村を出たての新規と大差ない数字だ。
だが装備スコアなんて、結局はステータスの積み上げにすぎない。重要なのは動き方だ。
「情報収集、するか」
チュートリアルクエストは無視して、低難度ダンジョン「水晶窟」に向かうことにした。三年前から存在する古いダンジョンだ。難易度的に今の俺でも問題なく回れるはずだし、基本的な戦闘の感覚を取り戻すにはちょうどいい。
転送碑から最寄りの拠点に飛び、フィールドに出る。
風景は記憶の通りだった。緩やかな丘陵地帯に、低レベルのモンスターが点在している。見覚えのある地形。足が勝手にルートを選ぶ。草を踏む感触、頬を撫でる風の温度まで、三年前と同じだ。ここは変わっていない——と思った矢先、視界の隅に違和感が引っかかった。
北東の方角。空の色が違う。
通常のフィールドは青空が広がっているのに、北東の一角だけ灰色に濁っている。雲じゃない。空そのものが変色しているような、不自然な境界線。
「おい、あっちの方行くなよ」
声をかけてきたのは、すれ違いざまのソードマン。俺より装備スコアは遥かに上だろうに、北東の方角をちらりと見て顔をしかめた。
「あの辺、最近やけに荒れてんだよ。モンスターのポップがおかしくなってるし、たまに推奨レベルを大幅に超えた個体が湧く。ギルド連合が調査に入ったけど、原因不明で立入非推奨になってる」 「いつからだ?」 「ここ半年くらいかな。『虚無の王』が実装されてからって話もあるけど、運営は関連性を否定してる。まあ近づかないのが吉だね」
礼を言って別れた。足は水晶窟に向かいながら、意識は北東に向いていた。虚無の王の実装と時期が重なる異常フィールド。偶然かもしれないが、攻略wikiにはそんな情報はなかった。
水晶窟の入口に着く。洞窟の入り口に薄い水晶の膜が張り付いている見た目は昔のままだ。ダンジョンに踏み込むと、ひんやりとした空気が肌を撫でる。壁面の水晶が松明の光を反射して、薄紫の光が足元に揺れている。静かだ。自分の足音と、どこかから滴る水の音だけが洞窟に響く。
一体目のモンスターが沸いた。クリスタルバット。レベルは低い。
剣を抜く。
——速い。
自分の動きが、だ。型落ち装備でも、抜刀から斬撃までの最短モーションが身体に刻まれている。クリスタルバットは一刀で砕け散った。エフェクトが飛び散る。手応えが軽すぎて拍子抜けするが、それでいい。
二体目、三体目と連続で処理する。動きは錆びていない。攻撃の振り始めを見てから回避を入力する反射も、コンボの繋ぎも、三年前の精度がそのまま残っている。ステータスは雑魚だが、プレイヤースキルは消えない。
中層まで降りた。
敵のレベルが少し上がる。群れで来る構成に変わり、立ち回りの判断が求められるようになる。タンクなしのソロで複数を捌くには、ヘイト管理とポジション取りを同時にやる必要がある。
「——ここ」
敵の攻撃タイミングの隙間に滑り込み、二体同時に斬り上げる。片方が怯んだ瞬間にもう片方へ回り込み、背後から突く。被弾ゼロ。
型落ちのステータスでも、やり方はある。
ダンジョンの下層に入ったところで、チャットログが目に入った。パブリックチャンネルに流れる会話の断片。
『北東の灰色エリア、また範囲広がってない?』 『マジ? 先週より境界線が南に寄ってる気がする』 『運営仕事しろ』 『虚無の王と関係あるって言ってるやつおるけどソースは?』 『ソースなんかねえよ 時期的にそうじゃねって話』 『連合の調査隊がまた全滅したらしいぞ。推奨レベル超えの個体が群れで出たって』
広がっている。あの灰色の空が。
水晶窟の最深部でボスを倒し、ドロップアイテムを回収する。大した収穫はない。だがこのダンジョンに来た目的はアイテムじゃない。
戦闘の感覚は戻った。今の環境のシステムも、実際に動いてみてだいたい掴めた。スキルツリーの改修で新しいコンボルートが増えているが、旧ルートも一応残っている。火力は落ちるが、三年前の動きがそのまま通用する。
ダンジョンを出て、空を見上げた。
北東の灰色が、さっきより濃くなっている気がした。じわりと、染みが広がるように。境界線の輪郭が滲んで、通常の青空との間に不穏なグラデーションを作っている。
通常ならここで装備を整え、レベルを上げ、ギルドに入って情報を集める。復帰者の定石だ。効率的で、安全で、堅実な道。
だが俺の足は、無意識に北東を向いていた。
「——明日、見に行くか」
あの灰色の向こうに何があるのか。虚無の王と本当に関連があるのか。連合の調査隊が全滅するような場所に、型落ち装備の復帰者が一人で突っ込むのは正気の沙汰じゃない。わかっている。
それでも——パズルのピースが足りない感覚は、昨夜wikiを漁っていた時と同じだった。答えに近づける匂いがする。レンがあのボスに挑んで折れた。その理由に、一歩でも近づきたい。
転送碑に手を触れる。中央都市に戻るためじゃない。北東に最も近い辺境の拠点、「灰峠の前哨地」という見覚えのない地名を選択する。
転送光に包まれる直前、パブリックチャットに新しいメッセージが流れた。
『速報:灰色エリア内部で所属不明の人型エンティティ確認。既知のモンスターDBに該当なし。スクショ撮ろうとしたらクライアントごと落ちた』
——人型。
指先に、熱が戻ってくる。