第3話
第3話
三枚目の切符を手に取った。
東京から新青森。指定席。窓側。日付も同じ。裏面の万年筆の文字も同じ。「春が待っている」。何もかも同じだった。同じなのに、一枚目のときとは違う重さが指先にあった。紙の重さではない。紙の向こう側にある何かの重さだ。選択を迫る力が、三枚重なって厚みを増している。
机の上に置いたはずの切符がない。昨夜、眠る前に確かにそこにあった。パソコンのキーボードの横、マウスパッドの右隣。その位置まで覚えている。窓から差す朝の光の角度で、切符の白さが少しだけ黄色みを帯びていたことも。それが消えて、代わりにトレイの上に三枚目がある。
二枚目はどこへ行ったのか。母がまた部屋に入ったのか。眠っている間に。鍵をかけていない——鍵をかけるという発想すら、この十年なかった。母は入らない。それだけが確かだったのに、その前提が三日で崩れている。
いや、違う。母は「あの切符、お母さんじゃない」と言った。一日目にそう言った。あれが嘘でないとすれば、母は切符そのものには関与していない。では誰が机の上から持ち去り、トレイの上に新しい一枚を載せたのか。
弁当に手をつけないまま、切符の日付を見た。あさって。あと二日。一日目は四日後で、昨日は三日後で、今日は二日後。数字が減っていくのは当然のことなのに、砂時計の砂が落ちるのを見ているような焦りがあった。焦り。十年間感じなかったものが、紙切れ一枚で戻ってきている。
切符を机の上に置いた。今度は引き出しの中に入れた。一番下の、使っていない引き出し。奥まで押し込んで、引き出しを閉めた。木の引き出しが軋む小さな音がして、埃の匂いが指先に残った。これで消えるなら、誰かが確実にこの部屋に入っていることになる。消えなければ——消えなければ、どうする。その先は考えなかった。
パソコンの前に座った。ブラウザを開いた。ニュースサイトを巡回しようとして、指が勝手に検索窓をクリックしていた。カーソルが点滅する。昨日も同じことがあった。昨日は何も打たなかった。今日も打たないつもりだった。
新青森、と指が打っていた。
考えるより先に指が動いた。変換候補が並ぶ。新青森駅。東北新幹線の終着駅。駅舎の写真が表示される。ガラス張りの、明るい駅。在来線に乗り換えると弘前、五所川原、青森市内。地図が開いた。東京から三時間半。切符の指定席は十一時二十分発で、新青森着が十四時五十三分。午後三時前には着く。
何をしている。
そう思ったのに、手は止まらなかった。新青森駅の周辺情報。四月のこの時期、りんごの花はまだ咲いていない。開花は五月の連休前後。では「春が待っている」の春とは何か。桜ならもう咲いている頃だ。弘前城の桜は全国的に有名で、今年の開花予想は——
画面を閉じた。
ブラウザごと閉じて、デスクトップの壁紙だけが残った。真っ黒の壁紙。何も映っていない。自分の顔だけが、うっすらとモニターに反射している。いつからこんなに頬がこけたのだろう。目の下の隈は、もう顔の一部のようになっている。
俺は何をしている。青森の桜の開花予想を調べて、どうするつもりだ。行くのか。行けるのか。この部屋から。十年出ていないこの部屋から、新幹線に乗って、三時間半かけて、知らない土地に。
馬鹿げている。
弁当を食べた。冷たい幕の内弁当を、味もわからないまま口に運んだ。咀嚼する顎の動きだけが、自分がまだ生きている証拠のようだった。食べ終えて、空の弁当箱をトレイに戻し、廊下に出す。母の足音がやがて来て、トレイを下げていく。今日は足音が止まらなかった。いつも通りだった。いつも通りのはずなのに、足音が遠ざかるまで耳を澄ませている自分がいた。廊下の軋みが一つずつ遠くなり、階段の最初の一段を踏む音がして、それきり静かになった。
午後、布団には入らなかった。机の前に座ったまま、引き出しの方を見ていた。一番下の引き出し。中に切符がある。あるはずだ。開けて確認すればいい。でも開けなかった。開けて、もしなくなっていたら。あるいは、まだあったら。どちらの結果も受け止める準備ができていない。
窓の外で、また昨日と同じ鳥が鳴いた。高く、澄んでいて、最後にかすれる声。二日続けて同じ鳥が来ている。渡り鳥だとしたら、この近くに止まり木を見つけたのだろう。北へ向かう途中の、一時的な休息。
北。青森は北だ。
夕方になって、台所から味噌汁の匂いがした。味噌汁。この十年でコンビニ弁当とカップ麺とペットボトルのお茶しかトレイに載っていなかったのに、昨日のおにぎりに続いて味噌汁。母の中で何かが動いている。切符が来てから、母もまた変わり始めている。
夜のトレイには、おにぎりと味噌汁が載っていた。味噌汁はぬるかった。作ってからトレイに載せるまでに時間があったのだ。昨日のおにぎりと同じだ。母は迷っている。俺に手作りのものを出すことに、まだ躊躇がある。十年間コンビニ弁当で通してきた距離感を、自分から壊していいのかどうか。
味噌汁を飲んだ。豆腐とわかめ。出汁が少し濃い。母の味噌汁は昔からそうだった。父が濃い味を好んだから——。
思考が止まった。
父の味の好みを覚えていた。忘れたと思っていたのに、味噌汁の塩分が舌に触れた瞬間、二十年前の台所が一瞬だけ見えた。テーブルに三人分の食器が並んでいる。父の箸は赤い漆塗りで、先がすり減っていて。湯気の向こうに父の手があった。大きくて、指の節が太くて、その手が椀を持ち上げる仕草まで見えた気がした。
記憶はそこで途切れた。味噌汁の残りを飲み干した。椀を戻す手が震えていた。
消灯後。布団の中で天井を見つめていたが、目を閉じても眠れない。闇の中に切符の白さが浮かぶ。引き出しを開けた。手探りで切符に触れる。まだある。冷たい紙の感触。暗闇の中で裏返す。文字は見えないのに、指先が万年筆の凹凸をなぞった。春が待っている。五文字の凹凸を、何度も何度もなぞった。
眠れない。まったく眠れない。一時。二時。時計の数字だけが進んでいく。あと一日と少しで、この切符はただの紙になる。使わなければ消える。消えて、また同じ日が始まる。同じ六畳間で、同じ天井を見て、同じ弁当を食べて。それが十年続いて、二十年続いて、母が弁当を買えなくなる日が来て。
その先のことを、初めて考えた。
十年間、明日のことすら考えずに生きてきた。それは今日と同じ日が来るという確信があったからだ。でも母が味噌汁を作った夜に、確信は消えた。同じ日は、もう来ない。切符が来たあの朝から、この部屋の中の時間は動き始めてしまった。
三時を過ぎた頃、起き上がった。布団を出て、部屋の電気をつけた。明るさに目を細めながら、押入れを開けた。下段の奥、衣装ケース。十年間手をつけていない。蓋を開けると、防虫剤の匂いが鼻を突いた。母が入れ替えていたのだ。着ることのない服のために、毎年防虫剤を替えていた。その事実が胸の奥に刺さって、しばらく動けなかった。
畳んだ服の上に手を置いた。綿のシャツ。十八のときに着ていたもの。袖を通したらきっとサイズが合わない。十年前の俺は今より少しだけ肩幅があって、少しだけ背筋が伸びていた。
その下にジーンズがあった。ベルトが一緒に丸めてある。スニーカーは玄関だろうか。玄関に、俺の靴はまだあるだろうか。
何をしているのか、自分でもわからなかった。行くとは決めていない。決めていないのに、指が服の生地を撫でている。綿の手触り。外に着ていくための服の手触り。パジャマとは違う。この部屋の中だけで完結しない布の感触。
衣装ケースの蓋を閉じた。閉じて、また開けた。シャツを一枚、取り出した。
窓の外が白んでいた。カーテンの隙間から、夜が明ける前の青い光が差し込んでいる。鳥が鳴き始めた。あの渡り鳥ではない。すずめだ。毎朝聞いていた、ありふれた声。でも今日はその声が、急かすように聞こえた。
切符を手に取った。あと一日。明日の朝には、十一時二十分の列車が東京駅を出る。俺が乗っていてもいなくても。
シャツを膝の上に置いたまま、朝が来るのを待っていた。