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社畜スキルで異世界成り上がり

第21話 第21話

第21話

第21話

北の使節団が王都に入ったのは、冬の入口の日だった。

初雪が降った朝。屋根に薄い白が積もり、石畳が凍って滑る。吐く息が分厚い白になる。ギルドの窓から、城門の方角を見ていた。馬車の列が街道から王都に向かっている。先頭に北の大国エルドヴァイン帝国の紋章を掲げた旗。青地に銀の鷲。堂々とした行列だ。

ハインツが横に立っていた。腕を組んで、窓の外を見ている。息が白い。窓ガラスの内側に結露が浮かんでいた。指で拭うと、向こう側の景色がくっきりと見える。

「十二名の使節団。表向きは冬の交易交渉。だが護衛の数が多い。見えるだけで武装兵が二十。見えないのが、おそらく同数以上」

四十人規模。友好使節にしては重装備だ。馬車の列が城門をくぐる。先頭の旗手が掲げる旗は新品だ。布に折り目がない。この使節団のために新調したのだろう。つまり——この訪問は帝国にとっても重要案件。最初から本気で来ている。

恫喝を兼ねた外交。軍事力を背景にした「お願い」。前の世界で言えば、大手企業が弁護士を連れて交渉に来るようなものだ。形式上は「ご相談」だが、実質は「通告」。断れば取引を切られる。

窓の桟に薄く雪が積もっている。指で触れると、冷たさが爪の下まで染みた。

「俺の名前は使節団に伝わっていますか」

「間違いなく。『剥離屋』の情報は、暗殺者が持ち帰った。お前のスキルの詳細、制御精度、弱点——一通り分析されているだろう」

分析済み。俺のスペックシートが、北の情報機関のファイルに載っている。前の世界の人事評価シートと同じだ。能力、経歴、弱点、活用方法——全部が一枚の紙にまとめられる。人事考課のように。能力評価。適性判断。そして——確保の可否。

使節団が王都に入った翌日、ギルドに訪問があった。

昼前。ギルドの一階が妙にざわついていた。冒険者たちが掲示板の前から離れて、入口の方を見ている。空気が変わった。酒場の陽気な喧騒が、一段トーンを落とした。

入口から入ってきた男は、この場にいる全員と「質」が違った。

使節団の副官を名乗る男。三十代前半。上質な軍服。金の飾り緒が胸元で光っている。布の織りが細かい。仕立てがいい。肩のラインに一切の弛みがない。靴は磨き上げられ、床の石畳に映り込むほどだ。顔は端正で、笑顔を崩さない。だが目だけが違う。営業スマイルの奥に、値踏みする冷たさがある。

この手のタイプは知っている。前の世界で、外資系コンサルのPMが同じ空気を纏っていた。上品で、礼儀正しく、隙がない。だが彼らが部屋に入ると、クライアントの空気が張り詰める。敵意ではない。格の違いを直感的に悟る緊張だ。

「お会いできて光栄です、レン殿。エルドヴァイン帝国使節団副官、カール・ヴィントと申します」

カール。握手を求められた。右手を差し出した。掌の紋章がある方の手。カールの手が俺の掌に触れた瞬間、紋章が微かに反応した。この男は——何かを持っている。スキルか、それとも魔力的な素養か。

カールの笑顔が一瞬だけ深くなった。紋章の反応を感じ取ったのかもしれない。

「単刀直入に申し上げます。我が帝国は、特異な才能をお持ちの方々に、ふさわしい環境を提供しております。レン殿の力を、我が国で正しく活かしませんか」

勧誘。丁寧な言葉遣い。「活かす」。「正しく」。どちらも曖昧な表現だ。「活かす」とはどう使うのか。「正しく」とは誰にとっての正しさか。契約書の但し書きに何が書かれているか。具体的な数字と条件が出てこない話は、全て営業トークだ。

前の世界のヘッドハンターと同じ手法だ。耳に心地よい言葉で包んで、本質を隠す。「あなたの力を活かせる環境がある」——転職エージェントが毎月送ってきたメールの文面と同じだ。活かす環境が本当にあるなら、こんなに必死に勧誘はしない。足りないから来ている。足りないものを、俺から奪いに来ている。

「具体的な条件を教えてください」

「帝国宮廷魔術師団への登用。住居、報酬、社会的地位。全て最高水準をお約束します。レン殿のような方は、辺境のギルドで雑務をこなすにはもったいない」

雑務。Dランクの依頼を雑務と呼んだ。悪気はないのだろう。だがこの男にとって、ギルドの仕事は取るに足らないものだ。国家から見れば、個人の冒険者は小さな存在にすぎない。

「断った場合は」

カールの笑顔が変わらない。だが声の温度が一度下がった。体感でわかる。暖房が切れたような、微細な冷気。

「お断りになることは自由です。ただし、帝国はレン殿の安全について、いくつかの懸念を持っております。特異スキルの保有者は、様々な勢力から狙われます。帝国の庇護下になければ——」

「それは脅しですか」

「ご忠告です」

忠告。脅しを「忠告」と呼ぶ。前の世界の上司を思い出した。「佐伯くん、辞めるのは自由だけど、次の職場でやっていける保証はないよ」。退職を引き止めるときの常套句。善意の仮面をかぶった支配。

「検討します。お返事は——」

「急ぎません。使節団は十日間滞在します。その間にお考えいただければ」

急がない、と言いながら期限は切っている。十日。前の世界の営業テクニックだ。「急ぎませんが、今月中にお返事いただければ」——急いでいる。本当は急いでいる。期限を切る時点で、それは圧力だ。

カールが礼をして去った。靴音が廊下に反響し、消えていく。去り際に残った香水の匂いが鼻に残った。甘く重い香り。金のかかった匂い。前の世界のエリート営業マンも同じ匂いがした。高い香水。清潔なスーツ。磨かれた靴。だが本質は同じだ。自分の利益のために相手を動かす。道具が剣か契約書かの違いしかない。

ハインツが陰から出てきた。

「うまくかわしたな」

「かわしていません。時間を買っただけです」

「同じことだ。十日あれば準備ができる」

準備。何の準備か。北を断る準備か。それとも——北と交渉する準備か。

宿——ギルドの仮眠室に戻った。今は正式にギルドの協力者として部屋を借りている。狭いが安全だ。窓から外を見ると、通りに使節団の兵士が巡回していた。友好の名のもとに、王都の中を武装兵が歩いている。

掌を見た。紋章が脈打っている。カールの手に触れたとき、確かに反応があった。微かな共振。電流が走るような、ピリッとした感覚。カール自身にスキルがあるのか、あるいは使節団の中に別の紋章持ちがいるのか。

仮眠室の窓から外を見た。通りに使節団の兵士が巡回している。整然とした歩調。装備の音がしない。鎧の金具を布で包んでいるのだろう。音を消す訓練を受けた兵士。精鋭だ。この王都に、四十人の精鋭が「友好」の名で駐在している。

マルタの手袋をはめ直した。革の中で掌が温まる。紋章の熱が手袋に籠もる。

市場で買ったフェイルの干し果物を齧りながら、天井を見た。甘酸っぱい味が口に広がる。生のフェイルほどの衝撃はないが、保存食としては上質だ。

十日。北の使節団が滞在する十日間で、俺は何を準備すべきか。タスクを整理する。社畜の本能が起動する。

一つ目。使節団の真の目的と戦力の把握。情報収集。ハインツに頼れる。 二つ目。ギルドとの連携体制の確認。ヴェルナーとの協力関係を具体化する。 三つ目。大迷宮の封印された扉。ヴォルフの残留意思。スキルの完全制御に必要な情報がある。 四つ目。北を断ったときの最悪のシナリオ——軍事行動——への備え。

四つのタスク。十日。一日あたりの工数を考えると——ギリギリだ。

デスマーチの匂いがする。残業百時間の月末の、あの焦燥感。納期が見えているのにリソースが足りない。やることだけが膨らんでいく。

だが今回は、誰にも命じられていない。自分で組んだ段取りだ。自分で設定した納期だ。

前の世界では、デスマーチは上から降ってきた。営業が無理な納期を約束し、PMが工程を圧縮し、しわ寄せが現場に来る。俺は現場だった。常に。受け身の消耗戦。

今回は違う。俺がPMで、俺が現場で、俺がクライアントだ。全部自分。だから全部自分で調整できる。リスクも報酬も、全て自分持ち。

その違いだけで——不思議と、体は軽い。

窓の外で、雪がちらつき始めた。白い粒が暗い空から静かに落ちてくる。冬本番。北の軍が来る季節。

掌を見た。紋章が薄く光っている。待っている。俺の意志を。

十日後、この街がどうなっているかはわからない。だが一つだけ確かなことがある。

俺は、もう待つだけの側にはいない。

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