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倫敦の悪魔、薬草畑で謎を解く

第3話 第3話

第3話

第3話

翌朝、アルトは市場へ向かった。

収穫祭の翌日、市場は普段より人が多い。祭りで余った食材を安く売りさばく者、逆に買い込みに来る者。石畳の上に並ぶ木箱や麻袋の間を、主婦たちが品定めしながら行き交う。焼き芋の煙と、干し肉の塩辛い匂い。いつもの市場の空気だ。

だが、いつもと同じではなかった。

昨夜の詠唱が耳の奥にこびりついている。何十人もの声が重なった、あの畏れを含んだ響き。寝台に横たわったまま朝を迎え、結局一時間ほどしか眠れなかった。顔を洗ったとき、井戸水に映った自分の目の下に薄い隈ができていた。

市場の入口で、雑貨商のディートリヒが革紐を並べていた。五年前、この町に越してきたばかりの頃、最初に言葉を交わした相手だ。アルトの薬草を仕入れ値で買い取ってくれた恩がある。以来、顔を合わせれば天気の話や羊の値段について言葉を交わす仲だった。

「おはようございます、ディートリヒさん。昨日の祭りは盛況でしたね」

「ああ、おはよう。今年は蜂蜜酒が早く空いたな」

「ところで、石碑のこと——」

ディートリヒの手が止まった。一瞬だけ。革紐を束ねる指先がわずかに強張り、すぐに動きを再開する。だが再開後の動作は先ほどより速い。不自然に速い。終わらせようとしている。この会話を。

「ああ、老朽化だってな。危ないから近づかんほうがいい。——そうだ、今度セージを多めに仕入れたいんだが」

話題の転換。滑らかで、しかし唐突だった。石碑からセージへ。二つの話題の間に、接続詞の「そうだ」を挟むことで思い出したふりを装っている。前世なら、これを嘘と断じただろう。だが今のアルトにとって、ディートリヒは暗号でも被疑者でもない。五年来の知人だ。

「ええ、来週には収穫できます。——石碑の中に羊皮紙が見えましたが、あれは」

「薬草茶、祭りで評判だったぞ。子供らが旨い旨いと言ってた」

今度は遮りすらしなかった。アルトの問いが存在しなかったかのように、別の話を被せた。ディートリヒの目は革紐に落ちたまま、一度もアルトの顔を見ない。唇の端がわずかに引き締まっている。これは隠し事をする人間の顔ではない。禁忌に触れた人間を見る顔だ。

アルトは「ありがとうございます」とだけ言い、その場を離れた。

パン屋のエルマ。結果は同じだった。

「石碑のことですが」という言葉を発した瞬間、エルマの表情が変わった。笑顔が消えたのではない。笑顔の質が変わった。口角は上がったまま、目だけが硬くなる。昨日の祭りで天幕を一緒に張ったときの、あの気安さが消えている。

「あら、パンはどうする? 今日はライ麦が焼けてるよ」

同じだ。話題を逸らし、目を合わせない。五年間、この町の誰もがアルトに向けてきた穏やかな視線が、石碑の三文字を発した途端に遮断される。壁が降りる。見えない壁が。

肉屋のフリッツ。仕立て屋のヘルガ。水車小屋のクラウス。桶屋の老人。すべて同じだった。話題の逸らし方まで似通っていた。あらかじめ訓練されたかのように、石碑に関する問いに対して反射的に別の話題を返す。個人の判断ではない。集団の規範だ。

市場の隅にある古井戸の縁石に腰かけ、アルトは膝の上で手を組んだ。指先が冷たい。四月の朝とはいえ、日差しは十分に暖かいはずだった。冷えているのは指先ではなく、胸の奥だ。

五年間で築いたと思っていた信頼。マルタに菓子を届け、エルマからパンをもらい、ヨハンと羊の話をした。ディートリヒに薬草を卸し、子供たちに茶を配った。それは本物の交流だったはずだ。だが今朝、その全員が同じ反応を見せた。アルトの問いを、存在しなかったものとして扱った。

排除されている。

正確には、最初から内側にいなかった。五年間、自分はこの町の住人だと思っていた。だが住民たちにとって、アルトは依然として「外から来た者」だった。日常の層では受け入れられていても、その下にもう一つ、アルトの知らない層がある。石碑と暗号と深夜の集会に連なる層。そこには、五年の歳月をもってしても入れない。

前世の記憶が、不意に鮮明になった。

ロンドンの、ある屋敷。依頼人は資産家の未亡人だった。使用人たちの中に窃盗犯がいると疑い、アルトのもとへ来た。三日間の観察で犯人を特定した。メイド長だった。だがそれで終わりではなかった。観察の過程で、屋敷全体の嘘が見えてしまった。使用人たちの間に張り巡らされた秘密の網。誰が誰と通じ、誰が誰を欺いているか。アルトはそのすべてを未亡人に報告した。正確に。精密に。一片の曖昧さもなく。

結果、屋敷は崩壊した。使用人は全員解雇され、未亡人は孤立した。秘密の網は確かに嘘で編まれていたが、同時にそれは屋敷という共同体を繋ぎ止める構造でもあった。嘘を暴くことが正義だと信じていた。真実はつねに善であると。

だが人間の共同体は、共有された沈黙の上に建っている。

この町も同じだ。石碑の秘密は嘘ではない。掟だ。全員が守り、全員が沈黙することで、何かを維持している。アルトがそこに踏み込めば、五年前のロンドンと同じことが起きる。

——踏み込むな。

井戸の縁石から立ち上がった。市場はまだ賑わっている。干し肉と焼き芋の匂い。子供たちの笑い声。石碑が割れようが暗号が覗こうが、ヴェルデンの日常は回り続けている。それでいい。秘密を暴かなくても、人は生きていける。前世の自分が最後に学んだ、唯一の教訓だ。

自宅へ戻り、薬草の手入れを始めた。畑に膝をつき、土に指を沈める。冷たく湿った土の感触。雑草の根を探り、引き抜く。この繰り返しが、思考を鎮めてくれる。午後の陽光がローズマリーの葉を透かし、銀緑色の影を土の上に落としている。

指を動かしながら、それでも考えていた。考えまいとすることが、すでに考えていることの証拠だった。

市場での反応は統一されていた。個人差がほとんどない。自発的な沈黙ではなく、規範としての沈黙。子供の頃から教え込まれた禁忌。石碑について口にしてはならない。外部の者には特に。これは秘密ではなく、掟だ。

そして昨夜の深夜の集会。声を潜めた詠唱。収穫祭の翌夜に行われる、住民全員が参加する儀式のようなもの。石碑の倒壊という異常事態に対する、共同体としての対応。しかし誰もが平然を装い、町長は「老朽化」の一言で片づけた。

つまり、この事態は想定されていた。石碑がいつか壊れることを、あるいは壊れる可能性があることを、住民たちは知っていた。そのための手順が——。

アルトは手を止めた。セージの根元に絡みついた蔓草を握りしめたまま、動きを止めた。

推理している。

意識的に分析し、仮説を立て、検証しようとしている。止めると決めたはずの回路が、市場での観察を入力として勝手に稼働している。五年間かけて鈍らせた刃が、たった一日で研ぎ直されつつある。

蔓草を引き抜いた。土が崩れる音がやけに大きく響いた。

「もう、やめたんだ」

声に出す。いつもの儀式。だが今日は、その言葉が空気に吸い込まれた後の沈黙が、昨日までとは違う重さを持っていた。やめたのではなく、やめようとしているだけだ。封じた刃は折れてはいない。鞘に収めただけで、いつでも抜ける状態にある。

日が傾き始めた。西の稜線に太陽が掛かり、畑が長い影に覆われる。ラベンダーの紫が夕暮れの中で黒に近づいていく。晩の支度をしようと立ち上がったとき、乾いた風が畑を渡った。薬草の匂いとともに、かすかに——煙の匂いが混じった。広場の方角からだ。松脂を含んだ、儀式用の篝火の匂い。

アルトは目を閉じ、台所に入った。パンを切り、干し肉を炙り、薬草茶を淹れる。食事を終え、食器を洗い、寝支度を済ませた。窓の外は見ない。見ても構わないが、見ない。それが今の自分にできる、精一杯の抵抗だった。

戸を叩く音がしたのは、寝台に横になって間もなくのことだった。

三回。短く、強く。間隔は不均等で、焦りを含んでいた。訪問を予告する叩き方ではない。助けを求める叩き方だ。

戸を開けると、月明かりの中に少女が立っていた。十三か四の、栗色の髪の少女。息が上がっている。額に汗が滲み、瞳は大きく見開かれていた。町長バルトの孫娘だ。名前は——。

「リーゼ」

「アルトさん」少女の声は震えていた。両手で自分の腕を抱きしめるようにして、唇を白くしている。「お父さんが——鍛冶屋のお父さんが、倒れて、動かないの。町医者のグスタフ先生は過労だって言うけど、でも」

リーゼの目から涙がこぼれた。

「誰も、本当のことを教えてくれない」

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