Novelis
← 目次

追放魔術師と銀の聖竜、辺境もふもふ暮らし

第3話 第3話

第3話

第3話

朝の光が洞穴の入口を白く縁取っていた。

ルシアスは夜明けとともに目を覚ましていた。眠りは浅かった。洞穴から漏れる銀白の光が、瞼の裏にちらついて離れなかったのだ。結界師の感覚が、一晩中あの微かな波動を拾い続けていた。脈打つように明滅を繰り返す光——何かが呼吸をしている、という昨夜の直感は、朝になっても変わらなかった。

支度は手早く済ませた。井戸水で顔を洗い、乾パンを齧る。昨日の焦げた干し肉の反省を活かす余裕はなかった。食べ終えると外套の内側に薬草の調合道具を確かめ、小屋を出た。

朝露が草の葉に粒となって光っている。昨日の霧雨が上がり、空は薄い青に晴れていた。木々の間を抜ける風が冷たく、頬を撫でていく。鳥の声が高い。森が朝に目覚める気配が、肌の上を細かく流れた。

洞穴の入口に立った。奥は暗い。だが、昨夜見た光の残滓だろうか——闇の向こうに、ごく淡い銀色の気配が漂っている。

ルシアスは右手に小さな結界の灯を作り、一歩を踏み出した。

洞穴は想像していたより奥が深かった。入口は大人が身を屈めてようやく通れるほどだったが、十歩も進むと天井が高くなり、二人が並んで歩けるほどの幅に広がった。壁面は湿った岩肌で、苔が薄く張りついている。足元の砂利を踏むたびに、小さな音が反響した。

空気が変わった。外の森の匂いが薄れ、代わりに石と水の冷たい匂いが鼻腔を満たす。その奥に、かすかに甘い香りが混じっていた。井戸水を口に含んだときに感じた、あの不思議な甘さに似ている。地下を流れる力が、ここにも通じているのだ。

結界の灯に照らされた壁面に、細い水の筋が光った。天井から染み出した水が岩肌を伝い、足元の小さな水溜まりに落ちている。その水溜まりの表面が、銀色に揺れていた。

ルシアスは足を止めた。

水溜まりが光っているのではなかった。光源は、その先にあった。

洞穴の最奥部は、小さな広間のようになっていた。天井の亀裂から一筋の朝日が差し込み、岩の床を細く照らしている。その光の帯のすぐ傍に——何かが、丸くなっていた。

銀色だった。

手のひらに収まるほどの小さな身体が、岩の窪みに蹲っている。鱗が全身を覆い、その一枚一枚が淡い光を放っていた。朝日を反射しているのではない。鱗そのものが、内側から発光している。細い尾が身体に巻きつき、小さな翼が背中に畳まれていた。翼の膜は透き通って、向こう側の岩肌がうっすら見えた。

竜だった。幼い、竜だった。

ルシアスは息を止めた。結界の灯を消し、朝日の細い光だけが洞穴を照らす中で、その姿を凝視した。銀の鱗、透明な翼膜、身体の輪郭を縁取る淡い燐光。魔術学院の図鑑で見た挿絵が、記憶の底から浮かび上がってくる。

聖竜。

神話の時代に大地を浄化したと伝えられ、数百年前に最後の目撃記録を残して姿を消した種。王立学術院の分類では「実質的絶滅種」に区分されている。その幼体が、辺境の廃村の洞穴で蹲っている。

近づいて初めて、状態の悪さに気づいた。銀の鱗は光を放ってはいるが、その輝きは弱々しく、ところどころ鱗の表面が曇っている。呼吸は浅く、不規則だった。腹が上下するたびに、小さな喉の奥から掠れた音が漏れる。身体を丸めているのは眠っているからではなく、動く力が残っていないのだと、見ればわかった。

そして、鱗の曇った箇所から、かすかに瘴気の匂いがした。

ルシアスは膝をつき、幼竜の傍にそっと手を伸ばした。指先が鱗に触れる寸前、結界師の感覚が瘴気の濃度を読み取った。深くはない。だが幼い身体には十分な毒だ。おそらくこの洞穴に迷い込んだとき——いや、逃げ込んだとき、すでに瘴気を浴びていたのだろう。森に残る魔獣災害の残滓が、この小さな身体を蝕んでいる。

指先が鱗に触れた。冷たかった。生きているものの温度ではなかった。だが微かに——本当に微かに、脈動があった。光の明滅は、この幼竜の生命の鼓動だったのだ。

ルシアスは外套の内側から調合道具を取り出した。手が自然に動いていた。考えるより先に、身体が判断を下していた。荷物の中に薬草は数種類ある。解毒と滋養に使えるものを選び、井戸水で煎じれば応急の滋養液は作れる。だがまず、体内の瘴気を抜かなければ何を与えても意味がない。

浄化魔術。結界術の根幹をなす技術の一つで、ルシアスが最も得意とする領域だった。王城の地下水路に溜まった瘴気を浄化し、外壁に侵食する魔獣の残穢を祓い、十年間この術を磨き続けてきた。

だが——生きた身体に対して使ったことはなかった。

石壁の瘴気を祓うのと、血の通った身体の瘴気を祓うのでは、力の加減がまるで違う。強すぎれば幼竜の身体そのものを傷つける。弱すぎれば瘴気に届かない。この小さな命を相手に、失敗は許されなかった。

ルシアスは両手を幼竜の身体の上にかざした。指先から淡い光が滲む。結界魔術の応用——対象の表面ではなく内側に、薄い膜を一枚ずつ重ねるように浸透させていく。王城の壁を守る技術を、限りなく繊細に、限りなく柔らかく。

手のひらの下で、幼竜が微かに身じろぎした。

瘴気が見えた。比喩ではない。浄化の光が幼竜の体内に沁み込んでいくにつれ、鱗の曇った箇所から黒い靄のようなものが滲み出してくる。それは光に触れると薄れ、溶けるように消えていった。一つ、また一つ。丁寧に、急がず、ルシアスは瘴気の粒を一つずつ拾い上げるようにして祓っていった。

どれほどの時間が経っただろう。額に汗が滲んでいた。洞穴に差し込む朝日の角度が変わり、光の帯が幼竜の背中から尾の先へ移動していた。

最後の黒い靄が消えたとき、ルシアスは大きく息を吐いた。手のひらの下の鱗が、わずかに温かくなっている。光の明滅が、先ほどより安定していた。呼吸も深くなっている。

だがまだ目を覚まさない。衰弱が深い。瘴気は祓ったが、失われた体力は魔術では補えない。

ルシアスは洞穴を出て、小屋に戻った。荷物から薬草を三種選び、井戸の水を汲んで竈に火を入れる。薬草を刻み、井戸水で煎じる。調合の手順は学院で叩き込まれたものだ。解毒ではなく滋養を主眼に、幼竜の小さな身体に合わせて濃度を薄くする。冷ましている間に、ふと手が止まった。

王都に届ければ——という考えが、一瞬だけ脳裏をよぎった。聖竜の幼体。絶滅種の生きた個体。王立学術院にとっては、百年に一度の発見だろう。届ければ報奨は莫大なものになる。追放された身を取り戻すことすらできるかもしれない。

だが、その先を想像した途端、胃の底が冷えた。

学術院の研究室を、ルシアスは知っている。魔獣の捕獲体が拘束具で固定され、魔力を測定するために繰り返し刺激を与えられる。研究のためという大義名分の下で、生きた個体は素材と同義だった。あの銀色の幼竜が拘束台の上に載せられ、鱗を一枚一枚剥がされて分析される光景が、鮮明に浮かんだ。

滋養液を器に移す手が、静かに定まった。迷いは一瞬で終わっていた。

洞穴に戻り、幼竜の口元に器を近づけた。唇の端から少しずつ、滋養液を流し込む。最初の数滴は喉が動かず、顎の下を伝って岩に染みた。だが四滴目で、小さな喉が微かに動いた。五滴目が、音もなく嚥下された。

ルシアスは器を置き、幼竜の傍に座った。洞穴の奥は静かだった。天井の亀裂から差し込む光が、午後の色に変わり始めている。幼竜の銀鱗が、さっきより確かな光を灯していた。呼吸は安定している。小さな腹が規則正しく上下し、透き通った翼膜が、呼吸に合わせて僅かに震えた。

だが目は開かない。

ルシアスはその場を離れなかった。背中を岩壁に預け、膝を抱えるようにして座ったまま、銀色の幼竜が呼吸するのを見守った。洞穴の外では風が木々を揺らし、鳥たちが午後の歌を歌っている。滋養液の残りを、時折思い出したように幼竜の口元へ運んだ。

やがて、洞穴に差し込む光が橙に染まり始めた。

幼竜は眠っていた。蹲るのではなく、身体の力が抜けた、穏やかな眠りだった。鱗の光は弱いままだが、消えてはいない。静かに、確かに、灯り続けている。

ルシアスはその光を見つめながら、自分が何かを守っているという感覚を、久しぶりに思い出していた。王城の壁ではなく、報告書の数字でもなく、この手の届く距離にある、小さな命を。

明日、また滋養液を作ろう。薬草の配合を変えて、少し甘みを加えてみてもいい。幼竜の身体が受け付けやすいように。

洞穴を出ると、夕空が深い紫に暮れかけていた。森の向こうで梟が鳴いた。振り返ると、洞穴の奥で銀の光が静かに脈打っている。

まだ目は開かない。けれど、光は昨夜より少しだけ強い。

この話はいかがでしたか?

最新話です

次の更新をお楽しみに!