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断魔のカイ

第1話 第1話

第1話

第1話

石が、割れた。

カイの振り下ろしたつるはしが岩盤を噛み、鈍い衝撃が両腕を駆け上がる。手首から肘、肘から肩へ。痺れが骨を伝い、歯の根まで響く。粉塵が舞い、ランタンの灯りがわずかに揺れた。周囲は暗い。地下四十メートル。空気は湿り、硫黄と鉄錆の混じった臭いが鼻腔にこびりつく。吸い込むたびに喉の奥がざらつく。この深さでは、風すら届かない。

「——ったく、今日も硬ぇな」

隣の坑道から太い声が響く。先輩坑夫のドルクだ。カイは返事をせず、もう一度つるはしを振り上げた。腕の筋が軋む。十七歳の身体は痩せているが、十年の労働が刻んだ筋肉は嘘をつかない。

十年。

もう十年になる。レーヴェンハルト家の末子として生まれ、七歳で追い出されてから。

あの日のことは、身体が覚えている。白い大広間。見下ろす大人たちの目。掌に押し当てられた水晶球は、何の光も返さなかった。

「魔力零。——適性、なし」

審判官の声。母の押し殺した泣き声。父は振り返りもしなかった。

魔術の名門レーヴェンハルト家に生まれて、魔力を持たない。それは存在しないのと同じだった。追放の手続きは翌日には終わり、使用人に手を引かれて辺境の炭鉱町ドゥルムに下ろされた。以来、カイは地下で石を砕いている。

だが——目だけは死んでいない。

カイはつるはしの手を止め、坑道の奥を見た。暗闇。ランタンの光が届かない、最深部への分岐路。立入禁止の鎖が錆びついたまま垂れ下がっている。三年前の崩落で封鎖された区画だ。

あの奥に、それはある。

誰にも言っていない。言えるはずがない。封鎖区画の壁面に浮かぶ紋様。淡く脈打つ、青白い光の文字列。カイの目にだけ映る、説明のつかないもの。

「おい、カイ。休憩だぞ」

ドルクの声で我に返る。カイはつるはしを壁に立てかけ、坑道の広場に向かった。

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昼の休憩は短い。坑夫たちは支柱に背を預け、硬いパンを齧りながら雑談に興じる。カイはいつものように隅に座った。

「聞いたか? アルドーラの魔術学院、今年も入学倍率が跳ね上がったらしい」

坑夫の一人が言う。もう一人が鼻を鳴らした。

「俺らには関係ねぇ話だ。魔力持ちの坊ちゃん嬢ちゃんの世界だろ」

笑い声。カイは黙ってパンを噛んだ。味はしない。いつものことだ。

「——あ、悪ぃ。カイの前でする話じゃなかったな」

気まずい沈黙が落ちる。カイの出自は町の公然の秘密だった。名門の落ちこぼれ。魔力零の捨て子。哀れみか、侮蔑か。どちらにしても、カイにとっては同じ重さの石だった。

「気にしてない」

短く答えて、カイは立ち上がった。休憩はまだ十分残っている。だが、足は自然と奥へ向かう。

封鎖区画の手前。鎖の隙間から暗闇を覗く。

——光っている。

今日は特に強い。青白い脈動が、呼吸するように明滅を繰り返す。まるで呼んでいるように。

カイは鎖に手をかけた。錆が掌に食い込む。

「入るなよ」

背後からの声に、指が止まる。振り返ると、リュートが立っていた。カイと同い年の坑夫。この町で唯一、対等に口をきく人間。

「崩落区画だ。天井がいつ落ちてもおかしくない」

「わかってる」

「わかってる顔じゃねぇんだよ、お前」

リュートが腕を組む。痩せた顔に刻まれた皺は、十七歳にしては深い。この町の子供は皆そうだ。地下の粉塵と重労働が、若さを削り取る。

「最近ずっとここ見てるだろ。何がある」

「——何もない」

嘘だ。だが言えない。魔力零の人間に、壁の紋様が見えるはずがない。カイ自身、それが何なのか理解できていない。

リュートは数秒カイの目を見つめ、それから肩をすくめた。

「まあいい。ただ、死ぬなよ。お前が死んだら俺の作業量が増える」

軽口。だがその目は笑っていなかった。カイは小さく頷き、鎖から手を離した。

午後の作業が始まる。つるはしを振るう。石が砕ける。粉塵が舞う。その繰り返し。十年間、毎日。

だがカイの意識は常に奥へ引かれていた。

紋様は日に日に輝きを増している。三年前に初めて見えたときは、壁のシミと区別がつかないほど淡かった。今は坑道の闇を裂くほど鮮明だ。

変化している。確実に。

何かが近づいている——カイにはそれがわかった。根拠はない。ただ、骨の奥が疼く。魔力零と断じられた身体の、どこか深いところが共鳴している。

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その夜。

作業終了の鐘が鳴り、坑夫たちが地上への昇降機に向かう中、カイは道具小屋で手を止めた。つるはしを戻す振りをして、人の流れが途切れるのを待つ。

五分。坑道から人の気配が消えた。

ランタンを一つだけ持ち、封鎖区画へ向かう。鎖をくぐり、崩れかけた支柱の間を縫う。天井から砂がぱらぱらと落ちる。空気が変わった。温度が下がり、硫黄の臭いが消えて、代わりに金属的な、冷たい匂いが鼻を突く。

三十メートル。暗い。ランタンの灯りが壁に揺れる影を作る。

五十メートル。足元に水が溜まり始めた。ブーツが泥を噛む音だけが響く。

七十メートル——見えた。

壁一面の紋様。青白い光が脈動している。近い。これまでで最も近くに来た。文字のように見える線が、生き物のように蠢いている。心臓が跳ねた。呼吸が浅くなる。紋様の光に照らされた自分の手が、青白く染まっていた。

カイはランタンを地面に置き、壁に近づいた。あと一歩。光が顔を照らす。

紋様の一つ一つが、意味を持っているように見える。現代魔術の文字体系とは全く異なる。カイは幼少期に叩き込まれた魔術の基礎教育を記憶の底から引きずり出す。

該当しない。どの系統にも属さない文字列。

——いや。

カイの目が見開かれた。これは現代魔術の「前」のものだ。古い。途方もなく古い。歴史書の片隅に一行だけ載っていた記述を思い出す。

『古代魔術体系は現代魔術の成立とともに廃棄され、全ての記録が抹消された』

抹消された、はずのもの。

カイの手が持ち上がった。指先が壁に向かう。触れてはいけないと、本能が警告する。だが身体が言うことを聞かない。骨の奥の疼きが、紋様の脈動と完全に同期している。

指先が壁に触れた。

——灼熱。

全身を雷が貫いたような衝撃。声にならない叫びが喉から漏れ、カイは壁に叩きつけられた。紋様が爆発的に輝き、光が坑道全体を飲み込む。視界が白く焼ける。

腕が燃えている。いや、違う。皮膚の下を何かが這い回っている。紋様だ。壁にあったはずの文字列が、カイの右腕に転写されていく。前腕から肩へ。肩から胸へ。灼熱が身体を駆け巡るたびに、青白い線が皮膚の下に刻まれる。焼けた鉄を押し当てられるような痛みが、波のように繰り返し襲ってくる。

「が——ッ」

膝が折れた。地面に手をつく。指の隙間から青い光が漏れる。身体の内側から、何か巨大なものが流れ込んでくる。制御できない。器が壊れそうだ。

どれだけ時間が経ったのか。

気づいたとき、カイは坑道の床に倒れていた。ランタンは消えている。だが暗くない。自分の身体が光っているからだ。右腕から胸にかけて、青白い紋様が脈動していた。

息を整える。手を見る。震えている。だが動く。生きている。

身体を起こそうとした瞬間、頭上で嫌な音が鳴った。

岩盤の軋み。

連鎖的な亀裂の音。天井から岩の塊が落ち始める。紋様の爆発的な光が、三年前に崩落しかけた地盤にとどめを刺したのだ。

カイは走った。だが遅い。岩が背後から崩れ落ち、退路を塞いでいく。粉塵が視界を奪う。

轟音。衝撃。暗転。

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瓦礫の下で目を覚ましたとき、右腕の紋様だけが暗闇に光っていた。

身体は動く。奇跡的に大きな岩の隙間に収まったらしい。だが出口はない。四方を瓦礫が塞いでいる。

空気は薄く、土と�ite粉の味がする。どこかで水が滴る音だけが、静寂を刻んでいた。

カイは紋様に目を落とした。皮膚の下で脈打つ、見知らぬ文字列。これが何なのか、まだわからない。だが一つだけ確信がある。

自分の身体は、もう以前とは違う。

紋様が明滅する。呼吸するように。カイの心拍と、完全に同期して。

遠く、坑道の上の方から、かすかに声が聞こえた。救助隊だろう。だがそれよりも近くに——紋様の光に照らされた瓦礫の壁に、新たな古代文字が浮かび上がっていた。

まだ、続きがある。

カイの指先が、無意識に瓦礫の壁へ伸びた。

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