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魔力を隠す令嬢、辺境で解き放つ

第2話 第2話

第2話

第2話

大広間の扉が開いた瞬間、光に呑まれた。

 天井から吊るされた無数の魔法灯が、シャンデリアの水晶を通して七色に砕け散り、磨き上げられた大理石の床を星空のように染めている。楽団の弦が空気を震わせ、香油と花の甘い匂いが渦を巻く。学園創立祭の舞踏会——年に一度、王族と貴族が一堂に会する夜。

 私は会場の隅に立ち、柱の影に身を寄せた。

 象牙色のドレスは仕立て師が公爵家の名に恥じぬよう整えてくれたものだが、私の顔色を補えるほどの魔法は布地にはない。鏡の前で見た自分の顔を思い出す。白すぎる肌、隈の残る目元。侍女のマルタが心配そうに紅を重ねてくれたが、それでも血の気の薄さは隠しきれなかっただろう。

 昨夜の発作の余韻が、まだ経路の奥にくすぶっている。胸の裏側が鈍く疼き、呼吸のたびに微かな熱が背骨を這い上がる。押し込めた魔力が、檻の中で寝返りを打つような不穏な気配。

 ——今夜だけ保てばいい。

 そう自分に言い聞かせた。この舞踏会を乗り切れば、次の大きな社交行事まで二ヶ月の猶予がある。二ヶ月あれば、新しい抑制の術式を組み直す時間も取れるかもしれない。

 だが、胸の奥の熱は、私の計算など知らぬとばかりに脈打っていた。

 ◇

 舞踏会の空気が変わったのは、第三曲が終わった直後だった。

 楽団が演奏を止め、大広間の正面——王族席に近い高壇に、銀髪の少女が進み出る。菫色の瞳が魔法灯の光を受けて宝石のように煌めき、白い法衣の裾が風もないのにふわりと揺れた。

 リーゼロッテ・フォン・ハイリゲン。

 「皆様、本日は聖なる浄化の奇跡をご覧にいれます」

 彼女の声は鈴を転がすように澄んでいた。大広間の隅々まで届くその声量は、訓練ではなく天性のものだろう。場内が静まり返り、数百の視線が一点に集まる。

 リーゼロッテが両手を胸の前で組むと、掌の間から淡い金色の光が溢れ出した。浄化魔法——邪気を祓い、空間を清める聖属性の術式。光は螺旋を描きながら天井へと昇り、大広間全体を柔らかな金色に包んでいく。

 歓声が上がった。令嬢たちが瞳を潤ませ、騎士たちが畏敬の眼差しを向ける。王族席では国王陛下が満足げに頷き、その隣でアルベルトが誇らしげにリーゼロッテを見つめていた。

 美しい光だった。温かく、優しく、どこまでも清浄な——。

 そのとき、私の胸の奥で、何かが跳ねた。

 浄化の光が大広間を満たした瞬間、抑え込んでいた魔力が経路の壁を内側から殴りつけた。反応。リーゼロッテの浄化魔法が空間に放つ魔力の波動に、私の中の力が共鳴している。

 ——まずい。

 柱に手をつき、歯を食いしばった。腹の底に力を込め、経路を締め上げる。母の教えた手順を、一つずつ、正確に。呼吸を整え、意識を集中し、魔力の奔流を中心に押し戻——

 押し戻せない。

 昨夜とは比較にならなかった。浄化の波動が触媒となり、十二年間圧縮され続けた魔力が臨界を超えようとしている。経路の内壁が軋む感覚。骨が、血管が、内臓が——身体そのものが魔力の圧力に悲鳴を上げている。

 手袋の下で、指先が光り始めた。

 青白い燐光。昨夜、寮の自室で見たものと同じ。だが光量が桁違いだった。手袋の布地を透かし、まるで指の骨そのものが発光しているかのように。

 「——っ」

 声にならない悲鳴を呑み込み、光る手を背中に隠した。だが遅かった。隣に立っていた伯爵令嬢が、私の手を見て小さく息を呑んだのが聞こえた。

 「セラフィーナ様の手が……光って……?」

 その囁きが、波紋のように広がる。一人が振り向き、二人が目を見開き、三人目が声を上げた。

 「嘘、あの方……魔力がないはずでは」

 「何あの光——浄化の術式とは色が違う」

 もう、隠せなかった。

 魔力が経路を突き破り、体表に溢れ出す。青白い光が私の全身を包み、足元の大理石に魔法陣にも似た紋様を刻んでいく。髪が浮き上がり、ドレスの裾が見えない風に煽られて翻った。

 周囲の魔法灯が、一斉に明滅した。

 リーゼロッテの浄化の光が、私から放たれる魔力の奔流に押し退けられるようにして揺らぐ。金色の光と青白い光がぶつかり合い、天井に激しい陰影を刻んだ。

 大広間が、凍りついた。

 数百人の視線が私に突き刺さる。歓声は悲鳴に変わり、何人かの令嬢が後ずさった。楽団員が楽器を取り落とし、護衛の騎士たちが剣の柄に手をかける。

 浄化の奇跡は終わっていた。大広間の主役は、もう銀髪の聖女ではなかった。

 ◇

 「——何だ、これは」

 沈黙を破ったのは、アルベルトの声だった。

 高壇から降り、人垣を割って近づいてくる。琥珀の目が魔力の光に照らされて鋭く光り、その表情には驚愕と——嫌悪があった。

 「セラフィーナ。この魔力は何だ。お前は魔力がないはずだろう」

 答える余裕がなかった。溢れ出す魔力を制御しようと全神経を注いでいたが、十二年間の抑圧が決壊した奔流は、私の意志などお構いなしに渦を巻いている。大理石の床に刻まれた紋様が脈動し、周囲の空気が低く唸る。

 「答えろ、セラフィーナ!」

 「……抑制、が……」

 絞り出した声は掠れていた。膝が震え、立っているのがやっとだった。光が弱まる気配はなく、むしろ解放された魔力は際限なく湧き上がってくる。十二年分の鬱積が、堰を切った濁流のように。

 アルベルトの背後で、宮廷魔術師の一人が小さく呻いた。

 「……この魔力量は、尋常ではない。測定器なしでも、聖女殿の浄化術を上回って——」

 その言葉が、大広間にさざ波を起こした。聖女を上回る。その一言が持つ意味の重さに、空気がさらに張り詰める。

 アルベルトの顔が歪んだ。驚愕が、恐怖が、そして政治的な計算が、瞬時にその目の奥を駆け巡るのが見えた。彼が何を選ぶか——私にはわかっていた。この男がいつも選ぶもの。自分にとって最も都合のいい立場を。

 「——皆、聞いてくれ」

 アルベルトは振り返り、大広間全体に向けて声を張った。王族の訓練を受けた、よく通る声。

 「セラフィーナ・フォン・ヴァイスフェルトは十二年にわたり魔力を偽装し、王家と学園を欺いてきた。この場で制御不能の魔力を暴走させ、聖女の神聖な儀式を妨害した。これは公爵令嬢以前に、王国の秩序に対する重大な背信である」

 一呼吸。間を取るその仕草さえ、計算されている。

 「よって私は、セラフィーナとの婚約を本日をもって破棄する。彼女は——危険な魔女だ」

 危険な魔女。

 その言葉が大広間に反響し、沈黙の後、ざわめきが奔流となった。令嬢たちの囁き、騎士たちの怒号、宮廷魔術師たちの議論——すべてが遠い水底の音のように聞こえた。

 私は王族席を見た。

 父がいるはずだった。ヴァイスフェルト公爵、王国有数の名門を率いる男。政治の荒波を巧みに渡り、公爵家の地位を守り続けてきた父。

 父は、いた。王族席の端に。

 目が合った——いや、合わなかった。

 父の視線は私を捉えた瞬間、静かに逸らされた。まるで見てはならないものを見たかのように。その横顔には苦渋があった。けれど口は開かず、立ち上がりもしなかった。

 ああ、と思った。

 あの人も、同じなのだ。母の遺言を知っていたのか、知らなかったのか——それはもう問題ではない。この場で娘を庇えば、公爵家が王家に楯突くことになる。父はそれを天秤にかけ、そして秤は既に傾いている。

 胸の奥で、何かが冷たく凪いだ。

 怒りでも悲しみでもない。もっと静かな、底の深い感情。長い間水面下に沈めていたものが、魔力の決壊と共にようやく形を取った感覚。

 ——知っていた。こうなることを、本当はずっと知っていた。

 膝から力が抜け、大理石の床に崩れ落ちる。溢れ続ける魔力が、冷たい石の上に青白い水溜まりのように広がった。

 ◇

 視界の端で、リーゼロッテが何か言おうとしたのが見えた。唇が動き、一歩を踏み出しかけて——けれどアルベルトの鋭い視線に射すくめられ、その足が止まる。

 大広間の喧騒が、遠い。

 騎士たちが私を取り囲み、宮廷魔術師が抑制の術式を展開しようとしている。その術式が私の魔力に触れた瞬間、薄い硝子のように砕け散ったのを、魔術師本人が一番驚いた顔で見つめていた。

 私は床に手をつき、乱れた呼吸の中で、不思議な静けさの中にいた。

 十二年間守り続けた殻が、今夜、砕けた。母の遺言も、偽りの成績も、「魔力なき令嬢」という仮面も——全部。

 そして砕けた殻の下から現れたものを、この場にいる誰もが恐れている。

 けれど私の掌は、まだ青白く光っている。その光は震えてはいたが、消えてはいなかった。十二年間、私が必死に押し殺してきたもの。それが今、誰の目にも見える形で、ここにある。

 ——大丈夫。まだ、考えられる。

 騎士たちの剣の切っ先と、魔術師たちの警戒の術式に囲まれながら、セラフィーナ・フォン・ヴァイスフェルトは静かに顔を上げた。

 次に何が起こるか——追放か、幽閉か、あるいはもっと苛烈な処分か。それを決めるのは、もう私ではない。けれどこの先を生き延びる方法を考えるのは、私にしかできない。

 遠くで、時計塔が十時を打った。舞踏会の夜はまだ終わっていないのに、私の学園生活は今、確かに終わりを告げていた。

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