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霊感ゼロの俺だけが視える

第1話 第1話

第1話

第1話

霊感ゼロ。それが俺のあだ名だった。

 オカルトサークル「境界線」のメンバー六人の中で、唯一なにも見えない、なにも感じない、なにも聞こえない人間。それが桐生蓮という存在の、このグループにおける正確な位置づけだった。

 じゃあなぜサークルに入ったのかと聞かれれば、答えは単純だ。幼馴染の美月に誘われたから。それ以上の理由はない。心霊スポットに興味があったわけでも、怪談が好きだったわけでもない。ただ美月が「人数足りないから来て」と言ったその一言に、俺は頷いてしまった。それが高校一年の春で、もう二年が経つ。

 二年間、俺はずっと笑われる側だった。

「蓮、今なんか感じた?」 「いや、別に」 「だよなー。霊感ゼロだもんな」

 そんなやり取りを何十回繰り返しただろう。廃病院でも、旧トンネルでも、山中の神社跡でも、俺だけがなにも感じず、なにも見えず、ただ懐中電灯を持って突っ立っている。肝試しの荷物持ち。それが俺の役割だった。

 悔しくないと言えば嘘になる。でも、それ以上に居心地がよかった。六人でいること自体が。だから笑われても、呆れられても、俺はここにいた。なにも感じない自分を、どこかで安全だとすら思っていた。

 だから今日も、同じだと思っていた。

「着いたー! うわ、マジでやばくない?」

 凛の声が車内に響く。助手席から身を乗り出した彼女の視線の先に、それはあった。

 山道を四十分ほど登った先。舗装路が途切れ、砂利道を進んだどん詰まりに、古い洋館が建っていた。二階建て。壁は灰色に変色し、蔦が絡みついている。屋根の一部が崩れかけ、玄関のアーチには蜘蛛の巣が幾重にも張っていた。窓ガラスは曇り、中の様子は見えない。周囲の杉の木が異様に高く、洋館を囲むように密集していた。まるで外界から隠すように。四月の午後だというのに、日差しがほとんど届かず、建物は薄暗い影の中に沈んでいる。

「ネットで見つけたんだけどさ、ここ、マジで情報が少ないの。地図にも載ってない」

 凛がスマホを振りながら言う。リーダー気質の彼女がルートを決め、拓海が運転し、俺たちは従う。いつものパターンだ。

「電波、もうないんだけど」

 後部座席で健吾がスマホを掲げた。画面にはアンテナマークがない。

「山の中だし当然でしょ。一泊だから問題ないって」

 凛があっさり言い切る。美月が俺の隣で小さく笑った。

「蓮、顔色悪くない? 車酔い?」 「……いや、大丈夫」

 大丈夫ではなかった。ただ、車酔いでもなかった。

 山道に入ったあたりから、耳の奥に妙な圧迫感があった。飛行機に乗ったときのような、鼓膜が内側から押されるような感覚。唾を飲み込んでも抜けない。あくびをしても変わらない。標高のせいだろうと自分に言い聞かせていたが、洋館が見えた瞬間、それは明確な音に変わった。

 低い。湿っている。人間の声のようで、そうではない。地面の底から這い上がってくるような、重く濁った振動。腹の底に手を突っ込まれたような不快感が、じわじわと広がっていく。

 耳鳴り、だと思った。そう思いたかった。

 美月の横顔を盗み見た。穏やかな表情のまま、窓の外の洋館を眺めている。その瞳に不安の色はない。健吾も、凛も、拓海も。誰の顔にも、俺が感じているこの圧迫感の痕跡はなかった。

 車を降りる。六人が砂利を踏む音。鳥の声はない。風もない。四月の山中にしては異様に静かだった。足元の砂利は湿気を含んで重く、靴底にまとわりつくような感触がある。空気が冷たい。街よりも五度は低いだろう。吐く息が白くなりかけるほどの、季節外れの冷気だった。俺の耳の奥だけで、あの音が鳴り続けている。

 ふと見上げると、二階の窓の奥に、何かが動いた気がした。暗がりの中を横切る、白っぽい影のようなもの。目を凝らしたが、曇りガラスの向こうは黒く沈んでいるだけだった。見間違いだ。そう思おうとしたが、首筋の産毛が逆立ったまま戻らなかった。

「よし、入ろう」

 拓海が懐中電灯を点けた。彼はこういうとき、いつも先頭に立つ。体格がいいし、度胸もある。凛が横に並び、残りの四人が続く形で、俺たちは玄関のアーチをくぐった。

 アーチの下を通った瞬間、温度がさらに落ちた。肌が粟立つ。蜘蛛の巣が顔に触れ、慌てて手で払った。糸の感触が指にねばりつく。見上げると、アーチの石材に何かが刻まれていた。文字のようにも、模様のようにも見える。苔に覆われて判別できない。

 扉は開いていた。蝶番が錆びつき、半開きのまま固まっている。拓海が肩で押し開けると、黴と埃の混じった空気が顔に纏わりついた。甘いような、腐ったような。喉の奥がひりつく匂い。思わず口を手で覆ったが、指の隙間からもその匂いは侵入してきた。肺の奥に染みつくような、粘り気のある空気だった。

「うわ、すご……」

 誰かが呟いた。広い玄関ホール。正面に階段があり、左右に廊下が伸びている。天井からシャンデリアが垂れ下がっているが、ガラスの飾りは半分以上が欠け落ちていた。床は木製で、歩くたびに軋む。壁紙は剥がれて垂れ下がり、その下から黒ずんだ漆喰が覗いている。階段の手すりには埃が厚く積もり、誰も触れていない年月の長さを物語っていた。

「雰囲気あるねー」

 凛が楽しそうに言う。拓海が笑い、健吾がスマホのライトを壁に向ける。光の輪が壁を舐めるように動くたび、影が大きく揺れた。美月は俺の少し後ろを歩いていた。残りの二人——大輝と沙耶も、物珍しそうに周囲を見回している。

 全員が、笑っていた。

 俺だけが、笑えなかった。

 耳鳴りが変わった。それまでは圧迫感のある低音だったものが、館に足を踏み入れた瞬間、明確な唸り声に変質した。遠くで獣が呻いているような。いや、違う。もっと近い。この建物の、壁の内側から響いているような音だ。

 足の裏にも伝わっている。微かな振動。古い床板の軋みとは違う、規則的な律動。まるでこの建物自体が呼吸しているかのような、ゆっくりとした脈動だった。

 心臓が跳ねた。俺は立ち止まり、耳を澄ませた。

 ——聞こえているのは、俺だけだ。

 二年間、なにも感じなかった。なにも見えなかった。なにも聞こえなかった。それなのに今、俺の鼓膜だけがこの音を拾っている。他の五人は誰も気にしていない。笑い声と足音と、古い床の軋み。それだけの世界に、彼らはいる。

 なぜ俺だけが。霊感ゼロの俺だけが、なぜ今になって。その矛盾が、恐怖よりも先に混乱を呼んだ。二年間積み上げてきた「俺にはなにもない」という確信が、足元から崩れていくような感覚だった。

 背中に冷たい汗が伝った。シャツが肌に貼りつく。手のひらを見ると、うっすらと汗ばんでいた。握ると、自分の指が震えていることに気づいた。

 言うべきだろうか。「変な音がする」と。

 言えなかった。「霊感ゼロ」が急になにかを聞こえると言い出したら、どうなる。笑われるだけだ。あるいは、場を盛り上げるための冗談だと思われる。二年間の「なにも感じない」が、俺から言葉を奪っていた。

 ——気のせいだ。

 自分にそう言い聞かせた。だが心臓の鼓動は、その嘘を信じてくれなかった。

「蓮、荷物そこ置いといて。一階の奥に広い部屋あるから、ベースにしよう」

 凛の指示に頷きながら、俺はリュックを下ろした。肩から重さが消えた瞬間、かえって体が軽くなりすぎて不安定になった。地に足がついていないような、浮遊感。その視線が、ふと玄関脇の窓に向いた。

 曇ったガラス越しに見える外の景色。砂利の駐車スペース。さっき車を停めた場所。

 ——車がない。

 俺は目を擦った。もう一度見た。間違いない。拓海の白いワンボックスが消えている。六人を乗せてきたあの車が、跡形もなく。砂利の上には轍の跡すら残っていなかった。まるで最初から、何も停まっていなかったかのように。

 血の気が引いた。指先が冷たくなり、視界の端がちりちりと暗くなる。これは車酔いの残りでも、耳鳴りの延長でもない。現実に、目の前の景色から車が消えている。

 振り返る。玄関の扉を見る。

 閉じていた。

 さっき拓海が肩で押し開けた、錆びた蝶番で半開きに固まっていたはずの扉が、音もなく、完全に閉じている。隙間から差し込んでいたわずかな外光も消え、玄関ホールの暗さが一段深くなっていた。

 喉が渇いた。唾を飲み込もうとして、飲み込めなかった。舌が上顎に貼りつき、呼吸が浅くなる。

 耳の奥で、唸り声が一段、低くなった。

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