第2話
第2話
便箋の端を摘んだ指が、震える前にひとりでに離した。
封筒は土間のたたきに、白い小さな船のように落ちた。私はそれを拾わなかった。拾うつもりだった指は、玄関の引き戸の桟に触れて止まった。木肌にうっすらと埃が積もっていて、その粉が爪の隙間に入った。爪の隙間で、余命を告げたときの主治医の指先のことを、ふと思い出した。あの人の爪も、こんなふうに薄く何かをかぶっていた。白衣の袖口から伸びた指が、検査結果の紙の端を、こつ、こつと叩いていた。そのリズムだけが、診察室のあのときの音として、いまも私の耳の奥に残っている。
息を吐いた。一行目だけは、目に入った。「美咲へ」。それだけで、もう続きを読む力が、肺の中から一緒に出ていってしまったらしい。便箋を折り直して、封筒に戻した。封蝋もテープもない封筒の口は、私の指に頼りなく従った。靴箱の上に、それを伏せて置く。表に何も書かれていない封筒の、裏を上にして。表を上にしておくと、私の名前がこちらを見上げてしまう気がした。名前というものが、こんなにも重たい二文字だったことを、私は三十四になるまで知らずに来た。
仏間に戻る途中、廊下のどこかで、自分が泣くのか笑うのかわからないまま、喉が一度だけ鳴った。声というほどのものではない。ガスの元栓を確かめるつもりで、流し台に手をついた。ステンレスの縁が、思っていたより冷たかった。指の熱を、ステンレスがじりじり吸っていく。それで足が、止まった。手紙のことは、明日にする。明日まで生きていれば。そう決めたら、決めたことが少しおかしくて、ステンレスの上にうつむいたまま、肩を二、三度、揺らした。揺れた拍子に、前髪の先から、水滴とも汗ともつかないものが、一粒、流しの底に落ちた。音はしなかった。
翌朝、私は雑巾を絞っていた。
水道の蛇口は、二度ひねってようやく赤茶けた水が出はじめた。十秒ほど流して、ようやく透明になる。バケツに張った水に布を浸すと、雑巾の縁が一瞬で薄い茶に染まった。十二年、誰もここで雑巾を絞らなかったのだ。叔母が三回忌までは時々空気を入れ替えに来ていたと聞いたが、その後はもう、空き家として鍵だけが行き来していた。
台所の棚から始めた。湯呑、急須、欠けた小皿、底の銀がはがれた魔法瓶。茶筒の蓋を開けると、紙のような匂いがした。中に、すっかり乾いた緑色の粉が、薄く張りついていた。祖母が毎朝、これで番茶を淹れていた。湯呑の縁に、口紅の薄い跡が二つ、重なって残っているのに気づいて、私は布を持つ手を止めた。指先を、その跡の上に、そっと近づけてみた。触れるとまずい気がして、触れなかった。唇の油だけが、陶器の釉薬にしがみつくようにして、十二年を越えてきていた。昼前の光が、擦りガラスから斜めに入って、流しの縁で折れていた。その光の中で、小さな埃が、見えないくらい遅い速度で落ちていくのが見えた。誰かの日常の残り時間が、そのまま粉になってしまったようだった。
「美咲、湯呑はね、ぬるま湯で二度すすぐと、気持ちええんよ」
祖母の声が、台所の天井のあたりから、ふっと戻ってきた。熱すぎるお湯で洗うと、湯呑が怒るんよ、と続いたあの日の語尾まで、耳の内側で一緒にほどけた。祖母は、湯呑の底を左手のひらに載せて持ち上げる癖があった。指の節が太くて、関節の皺の一本一本に、番茶の色が染みついていた。その手で頭を撫でられたとき、指先から、淹れたばかりのお茶の匂いがしたことを、いま、唐突に思い出した。思い出したあとで、口の奥に、番茶の苦みに似た味が、ほんの一瞬だけ、広がった。
一つは祖母のもの。もう一つは、たぶん。母も、ここで茶を飲んでいた。十数年前、夏休みのどこかで。母の茶碗を、私は台所のどこにも見つけられなかった。
仏間の襖をもう一度開けた。観音開きの扉を、昨日は閉めたまま線香だけ立てた。今日は、開ける。蝶番が乾いて、ぎ、と短く鳴る。中に、祖父と祖母の小さな位牌。その隣に、写真立てが一つ立っていた。母だった。三十代半ば、私を産んで少し痩せた頃の、エプロン姿の写真。胸のあたりで両手を軽く前に組んでいて、レンズを見ているのに、視線だけが少し逸れている。私は、その写真の母の顎のあたりを、指で撫でるようにして、ガラスの表面に影を落とした。ガラスに触れる寸前で、指は止まった。母の頬に、私の指の影が、薄く重なった。それだけで、なぜか、息が一度、詰まった。誰がここに置いたのだろう。たぶん、父ではない。父はここに来ない。来られない、のかもしれない。仏壇の中に、父の物は何ひとつなかった。父が祖母に渡したはずの香典袋の控えも、年賀状の束も、ない。台所の壁に貼られた家族の集合写真も、父だけが写らない位置から撮られていた。母と兄と私、三人で写っているそれは、ずいぶん遠い夏のものだ。
雑巾を絞り直して、引き出しを、上から順に開けていく。
箸、計量スプーン、輪ゴムの瓶、油の染みた布巾、賞味期限が二〇一八年で止まった鰹節のパック。祖母の死より後の年号があるのは、誰かが一度はここに足を入れたという証拠だった。父か、兄か、それとも、私の知らない誰かか。一段ずつ拭いては、戻していく。手が動いている間は、靴箱の上の封筒のことを、考えずにいられた。
最下段の引き出しは、固かった。
取手に指をかけても、木と木の噛み合わせが湿気で膨らんでいるらしく、初めは半指ほどの隙間しか開かない。両手で前に引くと、奥で何かが引っかかる音がして、半分しか出てこない。引き出しの奥から、古い桐と、わずかに樟脳の気配が立った。手を入れた指先に、紙の角が当たった。紙というより、時間そのもののような、乾いた硬さだった。古い茶封筒だ。引き抜くと、封筒の縁から、一枚の葉書が滑り落ちた。
私宛ての葉書だった。
宛名「東京都杉並区——佐倉美咲様」。十二年前、家を出てすぐに借りた、四畳半のアパートの住所。文字は、誰のものか、すぐにはわからなかった。母ではない。祖母でもない。たぶん、兄の、書きなれない右上がりの字だった。小学校の作文用紙で、漢字の「右」が必ず斜めに跳ねていた、あの兄の字だ。
葉書の表に、消印があった。にじんでいたが、読めた。十二年前の、四月。私が東京に着いた、最初の春。
裏返した。
何も、書かれていなかった。
裏面の紙は、年月に吸い込まれたように、うっすらとクリーム色に退色していた。爪で軽く弾くと、紙は、厚みのない乾いた音を返した。文面の欄は、白いままだった。書きかけた跡もない。インクのにじみもない。ただ、切手が貼られ、消印が押されていた。誰かが投函した、けれど、私のもとには届かなかった葉書。アパートの郵便受けに入っていれば、私はあのとき、受け取って、たぶん、読まなかった。読めなかったかもしれない。家を出た春の私は、家の側から届くものすべてを、ひとまとめに拒んでいた。
葉書の角を、親指で何度かこすった。十二年分の埃が、指紋の溝に溜まる。送り返されてきたのか。それとも、投函のあと誰かが郵便局で引き取って、ここまで持ってきたのか。差出人欄も、白い。けれど、消印は本物だ。十二年前の四月、誰かがこの葉書を、何かを書こうとして、書けないまま、ポストに落とした。書けなかった文面のぶんだけ、宛先のほうへ、ためらいが届かなかったのだ。
胸骨の裏で、また何かが小さく脈打った。心臓か、別のものか、判別はもう、つかなかった。脈はしばらく続いて、肋骨の内側をゆっくり押し上げ、そしてまた、私の息に合わせて沈んでいった。
葉書を、両手で胸の前に持った。十二年前の四月、私は東京の四畳半で、初めての給料で買った炊飯器の説明書を、小さい字で読み下していた。窓の下を走る電車の音が、三分おきに部屋を揺らしていた。葉書が来なかったことに、気づきもしなかった。
靴箱の上の封筒のことを、思い出した。
立ち上がって、廊下を戻る。両膝が、思ったよりゆっくりとついてきた。靴箱の上で、伏せた封筒は、昨日と同じ角度で待っていた。私はそれを取り、葉書と並べて、台所のテーブルに置いた。
宛名のない封筒と、白い文面の葉書。
二つを見下ろしているうちに、柿の木の枝が、窓の外で、一度、大きく揺れた。風はない。日の高い時間だった。私は椅子の背に、片手をついた。木の背もたれが、汗ばんでいない掌に、ひやりと吸いついた。枝の先で、葉のない細い影が、テーブルの木目の上を、ゆるく一度だけ横切った。それが、誰かの指先のように見えた。
玄関の引き戸を、開けに行った。たたきの土の上に、来たときの私のものではない足跡が、二つ、郵便受けの下から門のほうへ、薄く残っていた。