第3話
第3話
ドアノブを回した。
音がした。金属が軸の中で擦れる、小さな軋み。五年分の埃がラッチの隙間に入り込んでいたのかもしれない。回しきるまでに、いつもより少しだけ力が要った。それだけのことだった。世界が変わるような感触はなかった。ただ手首の筋肉が動いて、金属が回って、ドアが枠から離れた。
引く。五センチが十センチになり、二十センチになった。廊下の空気が部屋に流れ込んでくる。さっきドアの隙間から覗いたときとは量が違った。空気の壁がなくなって、五年間閉じ込めてきた部屋の匂いと、廊下の匂いが混じり合う。自分の体臭と古い紙の匂いがする部屋の空気が、味噌汁と陽光の匂いに侵食されていく。
埃が見えた。ドアの軌道に沿って、フローリングの上に半円形の跡が描かれている。その弧の外側に、灰色の埃が溜まっていた。ドアが五年間動かなかった証拠。母はこの部屋の前の廊下を毎日歩いていたはずだけれど、ドアの真下、ドアが開いたときに通過するはずの床面だけは掃除ができなかった。掃除機のヘッドが届かなかったのか、あるいは、この弧の内側に手を出すことを自分に禁じていたのか。
廊下に出た。
一歩がやけに遠かった。部屋の中のフローリングと廊下のフローリングは同じ素材のはずなのに、足裏が受ける温度が違った。廊下のほうが冷たい。靴下を履いていない足の指が、その冷たさに反射的に縮んだ。足の甲の皮膚がぎゅっと引き攣れて、五本の指が内側に丸まった。床の冷たさがそのまま脛を伝って膝の裏まで昇ってくるような気がした。体の芯が一瞬こわばって、部屋に引き返せと本能が警告しているみたいだった。壁に手をついた。壁紙のざらつきが掌に触れた。この壁紙の手触りを、僕は知っている。小学生のころ、夜中にトイレに起きるとき、暗い廊下でいつも壁を触りながら歩いた。あのときの壁紙と同じだ。同じ家なのだから当然だけれど、その当然がうまく飲み込めなかった。自分の家が懐かしい。六畳の向こう側にあった廊下が、知らない場所に見える。五年間、壁一枚を隔てて暮らしていたのに。
味噌汁の匂いが、部屋の中で嗅ぐのとはまるで違った。ドア越しだと出汁の輪郭だけが届いていたのが、今は湯気ごと鼻に入ってくる。わかめの磯の香り。豆腐のかすかな甘さ。その奥にある、煮干しを丁寧に取った出汁の匂い。自分の家の味噌汁を、僕は五年ぶりに正しい距離で嗅いでいた。
トレイの前にしゃがんだ。廊下の壁に背中を預けて、膝を立てて、膝の間にトレイを引き寄せた。食卓ではなく廊下の床で食べることが、今の自分にはちょうどよかった。リビングや台所まで行く勇気はなかった。部屋と廊下の境界線を一歩越えただけで、それで精一杯だった。
箸を取った。自分のほうの茶碗を持ち上げる。少し欠けた縁。この欠けは中学二年のとき、洗い物を手伝っていてシンクの角にぶつけた。母が「まだ使えるから」と捨てなかった。それを五年経った今も使っている。飯を一口、口に入れた。
米の一粒一粒が舌の上で潰れていく感触があった。やわらかすぎず、硬すぎない。母がずっとこの炊き加減で炊いてきたことを、歯が覚えていた。喉の奥が不意に詰まった。泣きそうになったのとは違う。ただ、体がこの味を覚えていたことに自分で驚いて、飲み込むタイミングを見失っただけだった。咀嚼している間、階下に耳を澄ませた。台所の方向から、かすかに水の音がしていた。蛇口を細く開けて何かを洗っている音。母はそこにいる。二階の廊下で僕が食べ始めたことを、音で知っているはずだった。箸が器に触れる音。咀嚼の音。それが階段を伝って下に届いているかは分からないけれど、ドアが開いた音は確実に聞こえたはずだった。
母は上がってこなかった。
味噌汁を啜った。冷めかけていたけれど、まだ温かった。舌の上に出汁の味が広がって、喉を通っていく。部屋の中でトレイから飲むのと同じ味噌汁のはずなのに、空気が違うだけでこんなに味が変わるのかと思った。鼻から抜ける香りの量が違う。天井の高さが違う。背中に触れているのがベッドの縁ではなく壁だということが違う。全部が少しずつ違っていて、その差の集積が「外に出た」という実感になっていた。
焼き魚の皮を箸で避けた。避けてから、もう一つの茶碗に目が行った。母の茶碗。まだ誰も手をつけていない。飯も味噌汁もそのままだ。箸も揃えたまま動いていない。
母は台所から出てこない。
もし母が今ここに来たら、僕は何をすればいいのか分からなかった。顔を合わせて、何を言えばいいのか。おはよう、と言うのか。五年ぶりの「おはよう」。それは滑稽なのか、残酷なのか、当たり前のことなのか。判断がつかなかった。母が来ないのは、僕にその判断をさせないためなのかもしれない。まだ言葉を交わす段階ではないと、母のほうが分かっている。
食べ進めた。鮭の身をほぐしながら、廊下の壁を見た。視線の高さにある壁紙の柄が、部屋の中から見ていたものと微妙に違う。同じ壁紙だけれど、廊下側は日焼けしている。階段の窓から入る光に、五年分晒されていた。部屋の中の壁紙は、カーテンに守られてほとんど変色していない。同じ家の、同じ壁紙が、光を浴びた側と浴びなかった側で別の色になっている。そのことが妙に喉の奥に引っかかった。
自分の茶碗が空になった。味噌汁も飲み干した。焼き魚も、ほうれん草のおひたしも食べた。箸を置いて、手を膝の上に戻した。隣には母の茶碗がそのまま残っている。二つ並んだ茶碗の片方だけが空になっている。その光景が、何かの比喩みたいに見えた。何のかは分からないけれど。
立ち上がった。足が少し痺れていた。廊下に座り込んでいた時間は、たぶんそう長くない。けれど同じ姿勢で固まっていたから、ふくらはぎの裏がじんじんした。
トレイを置いた。自分の空の器と、母の手つかずの器を並べたまま。持っていくことはできなかった。台所に降りていくこと、母の姿を見ること、その二つはまだ自分の中で許可が出ていなかった。
部屋に戻った。ドアを閉めた。鍵はかけなかった。
ベッドに腰を下ろして、両手を膝の上に置いた。さっきまで茶碗を持っていた右手の指が、まだ陶器の丸みを覚えていた。味噌汁の温度が、指先に薄く残っていた。
しばらくして、階段を上がる足音がした。スリッパが踏板を踏む、柔らかく乾いた音。一段ごとに軋む板の位置まで変わっていなかった。母がトレイを下げに来た。器が触れ合うかちりという音。いつもの音だ。でも今日は、その音に含まれる器の数が違う。母の手が、僕の空の茶碗と、自分の——。
足音が一瞬止まった。
廊下の空気がわずかに動いた気がした。ドアの隙間から、母の気配だけが滲んでくる。息を止めた。自分がなぜ息を止めたのか分からなかった。聞こうとしていたのかもしれない。母の呼吸を、衣擦れを、何でもいいからドアの向こう側の人間の音を。
それから母はトレイを持って階段を下りていった。台所で水が流れる音がした。食器を洗っている。二つの茶碗を。片方は空で、もう片方も空になっているはずだった。母がいつ食べたのかは分からない。台所で、一人で、僕が廊下で食べている間に食べたのかもしれない。僕のドアが開いた音を聞いてから、自分の分を台所で食べたのかもしれない。
母の茶碗だけが空になっていた、ということは、母もまた食べたのだ。僕と同じものを、同じ朝に、同じ家の中で。ドアと階段を挟んで、別々の場所で、別々に。でも同じ味噌汁を飲んだ。同じ出汁の、同じ温度の味噌汁を。
それが今日の全部だった。ドアを開けて、廊下で食べて、戻った。ただそれだけの朝だった。
でも部屋の空気が変わっていた。廊下から持ち帰った外の空気が、部屋の隅々に広がっていた。エアコンの空気とは違う、日差しで温められた廊下の空気。埃の匂い。味噌汁の名残。壁紙のかすかな湿り気。自分の体温で満たされていた部屋に、家の匂いが混じっている。
天井の染みを見上げた。今日も形は定まらない。ただ、さっき見た廊下の日焼けした壁紙の色が、まぶたの裏にまだ残っていた。光を浴びた側と、浴びなかった側。五年分の差が、色の違いになって壁に刻まれている。
明日も母はトレイに茶碗を二つ載せるだろうか。載せなかったら、今日のことは一度きりの例外として閉じてしまう。載せたら、また僕はドアを開けなければならない。
どちらが怖いのか、自分でも分からなかった。