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もういいよ

第1話 第1話

第1話

第1話

トレイが廊下に置かれる音で、今日が始まる。

正確には、始まるというより、時間がまだ流れていることを確認する、という方が近い。陶器がフローリングに触れる小さな音。そのあとに続く、スリッパが半歩だけ後ずさる気配。僕はベッドの上で目を開けたまま、天井の染みを見ている。この染みの形が何に似ているか、五年かけてまだ答えは出ない。地図に見えた日もあった。誰かの横顔に見えた夜もあった。けれど翌朝にはどちらにも見えなくなっていて、また白紙に戻る。

久住朝陽、二十四歳。最後に玄関を出た日のことは覚えていない。覚えているのは、ドアの鍵をかけたときの指先の感触だけだ。あのとき僕は十九で、夏だった。蝉が鳴いていた気がするけれど、それは後から記憶が付け足したものかもしれない。

母の気配がドアの前にある。いつものことだ。トレイを置いて、立ち上がって、そのまま数秒。何か言いかけて、やめる。息を吸う音が聞こえるときもある。僕は布団を頭まで引き上げて、その数秒が終わるのを待つ。布団の内側は自分の体温と匂いで満ちていて、それがある種の安心になっている。待っている間、自分が何を感じているのか分からない。罪悪感だと思っていた時期もあったけれど、罪悪感にはもう少し輪郭がある気がする。これはもっと手前の、底の方に沈んだまま名前のつかない何かだ。

スリッパの音が遠ざかる。階段を下りる足音。台所の蛇口が開く音。母の一日が、僕のドアの前から始まって、階下へ流れていく。

しばらくしてからベッドを出る。どのくらい経ったかは分からない。この部屋には時計がない。スマホの電源は、もう何年も入れていない。時間を知る手段を自分から手放したのは、知ったところで意味がなかったからだ。朝も昼も夜も、やることは同じだった。

ドアの前にしゃがむ。トレイには白い飯と味噌汁、焼き鮭の切り身、小鉢にほうれん草のおひたし。味噌汁はまだ少しだけ温かい。椀を持ち上げたとき、指先に伝わるぬるさで、母がトレイを置いてからそれほど時間が経っていないことが分かる。これが僕にとっての時計だった。味噌汁の温度が、この部屋で唯一の時間の目盛りだった。

トレイを持ち上げて、部屋の隅の小さなちゃぶ台に運ぶ。正座して、箸を取る。鮭の皮は丁寧に取り除かれていた。子どものころから、僕が鮭の皮を残すことを母は知っている。五年間ドアを隔てていても、そういう記憶は消えないのだろう。あるいは消さないでいてくれているのだろう。味噌汁を一口すする。今日はわかめと豆腐だ。出汁の香りが鼻の奥に広がって、五年前も同じ味だったことを思い出す。変わらない味を作り続けるということの重さを、僕はたぶん正しく理解できていない。

トレイの端に、小さな紙が挟んである。メモ用紙を四つに折ったもの。開くと、母の丸い字で「今日は風が気持ちいいよ」と書いてある。

毎日ではない。二日に一度くらいの頻度で、母はこういうメモを添える。「庭のあじさいが咲いたよ」「今朝は富士山が見えた」「スーパーの惣菜コーナーが広くなってた」。外の世界の報告。僕がいない世界の、ごく些細な変化。読むたびに、自分がガラス瓶の中にいるような気持ちになる。外の音は聞こえるのに、手は届かない。

メモを裏返す。何か書きかけた跡があった。ボールペンの先を紙に当てて、一文字か二文字書いて、消した痕跡。力を入れて消したのか、紙の表面が少しだけ毛羽立っている。指先でその凹凸をなぞる。爪の先に微かな引っかかりがあって、母のボールペンの筆圧を想像した。何を書こうとしたのかは分からない。分からないけれど、その消し跡に、母がどれだけ言葉を選んでいるかが見えた気がした。書いては消し、消しては書き直し、最後に「今日は風が気持ちいいよ」という一文だけを残した。その一文に至るまでに何通りの言葉が捨てられたのか。考えると、胸の底にある名前のない何かが少しだけ揺れた。

僕はメモを元の通りに四つに折って、トレイの端に戻した。読んでいないことにする。これはもう儀式みたいなものだ。母はメモを書く。僕は読んで、読んでいないふりをする。母はそれを知っているのかもしれないし、知らないのかもしれない。どちらでもいいのだと思う。このやりとりが続いていること自体が、たぶん、僕と母の間に残った唯一の会話だから。

食事を終えて、空になった器をトレイに戻す。箸を揃えて置く。この所作だけは丁寧にやる。理由は分からないけれど、ここが雑になったら何かが終わる気がしていた。

トレイをドアの前、廊下側に押し出す。ドアを薄く開けて、トレイを滑らせて、すぐに閉める。廊下の空気が一瞬だけ部屋に入ってくる。今日のそれには洗剤の匂いが混じっていた。柔軟剤の甘さではなく、粉石鹸の素朴な匂い。母はずっとこの銘柄を使っている。洗濯をしたらしい。僕の分の洗濯物は週に二度、ドアの前にビニール袋に入れて出す。母はそれを黙って持っていき、畳んで同じ場所に返す。顔を合わせない共同生活。もう五年もこれを続けている。

トレイを出したあと、ベッドに戻る。窓のカーテンは閉めたままだ。遮光カーテンの隙間から入る光の角度で、たぶん午前中だということだけは分かる。外の音が聞こえる。車が通る音、鳥の声、どこかの家の犬が吠える声。「今日は風が気持ちいいよ」と母は書いていた。カーテンの裾がかすかに揺れているのは、窓の建て付けが悪くて隙間風が入るからだ。風が気持ちいいかどうかは、僕には分からない。この部屋の空気は五年かけて僕の体温に馴染んでしまって、外との境目が分からなくなっている。

天井の染みを見る。今日も答えは出ない。

そういえば、と思う。この染みは五年前からあっただろうか。もっと前からあった気もするし、僕がこの部屋に閉じこもってから滲み出したような気もする。この家がいつの間にか古くなっていること——壁紙の端が少し浮いていること、フローリングの一部が軋むこと——には気づいている。けれどそれが五年の時間の重みなのか、それ以前からの経年劣化なのか、判断がつかない。僕にとってこの部屋が世界の全部になってから、時間の感覚はどんどん曖昧になった。

季節は分かる。エアコンを使う頻度で夏と冬が分かり、カーテンの隙間から入る光の量で春と秋が分かる。今は春のはずだ。光が柔らかくて、エアコンを使わない日が増えた。でもそれが何年目の春なのか、体感としてはよく分からない。一年目も三年目も五年目も、同じ春だ。

母の足音がまた階段を上がってくる。トレイを下げに来たのだろう。足音がドアの前で止まる。トレイを持ち上げる小さな音。器同士がかちりと触れ合う。鮭の皮が残っていないことを、母は確認しただろうか。そして、いつもの数秒。

今日はいつもより長い、と思った。

五秒、十秒。母の呼吸が聞こえる。何か言おうとしている。いつもなら途中でやめるのに、今日は息が途切れない。吸って、止めて、また吸う。その呼吸のリズムに、普段とは違う覚悟のようなものが混じっていた。僕は布団の中で目を閉じた。指先が無意識にシーツを掴んでいた。

母は何も言わなかった。いつもより長い沈黙のあと、スリッパの音が遠ざかっていった。一段、二段、三段。階段を下りる足取りは、朝よりもわずかに遅かった。

僕はしばらく動けなかった。母が何を言おうとしたのか、考えないようにした。考えたら、この部屋の温度が変わってしまう気がした。五年かけて作り上げた、何も起きない、何も変わらない、この均衡が。

目を開けると、天井の染みがある。いつもと同じだ。

でもどこかで、今日の沈黙がいつもと違ったことを、僕は知っていた。母の呼吸の深さが、これまでの五年のどの日とも違っていた。何かが変わろうとしている。あるいは、もう変わってしまったのかもしれない。それが何なのかは、まだ分からない。分からないまま、僕はカーテンの隙間から差し込む光を見ていた。

春の光が、少しだけ眩しかった。

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