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観察眼の最弱冒険者、前世知識で最強司令塔になる

第3話 第3話

第3話

第3話

森は思っていたより暗かった。

樹冠が幾重にも折り重なり、朝日が地面まで届くのは斑に切り取られたわずかな筋だけだ。靴底の下で苔がぐじゅりと沈み、踏み込むたびに足首まで湿った冷気が這い上がってくる。視界の端で霧が渦を巻き、五歩先のガルドの背中が時折白くにじんで消えた。遠く、梢の高いところで名前も知らない鳥が一声だけ鳴き、そのあとは自分の呼吸と、誰かの衣擦れの音しか聞こえなくなった。

「散開する。月雫草は群生しないから、各自広めに探せ」

ミラの低い声が、霧の中に鋭く落ちた。

「散開……俺もか」

「あんたが一番探さなきゃならない目だろ。それとも、私の腰にぶら下がってたいの」

「遠慮しておく」

ガルドが鼻で笑い、ミラが片眉を上げた。リーネだけが心配そうに俺を振り返る。

「レイドさん、月雫草の見分け方、覚えてますか」

「葉の裏が青白く光る。茎は三節、節ごとに細い棘が一本ずつ。咲くのは夜、朝のうちは蕾」

「……一回しか言ってないですよね、私」

「耳がいい」

嘘だった。耳ではない。リーネが昨日、提灯の下で手帳に書いていた図を、視界の端で勝手に【観察眼】が拾って言語化していただけだ。鉛筆の筆圧まで思い出せる。棘の位置を書き直したときの、彼女の小さな舌打ちも。説明する気はなかった。

それぞれの方角に分かれた。

俺は北寄りの斜面を選んだ。理由は単純で、湿気が一番濃かったからだ。月雫草は夜露を吸う。露が長く残る場所——朝日が遅く差す北側の斜面、苔が厚く覆った岩陰、倒木の根元——そこに偏って残るはずだ。

足を止め、屈み込む。

苔の上に、青白い小さな光が一点。葉の裏の発光だ。摘み取る指先に、棘がちくりと触れた。血は出ない。だが、皮膚の下で何かが小さく脈打った気がして、一瞬だけ指を見つめた。茎の三節を確認し、鞄に収める。一株。

顔を上げる。

——見える。

光の点が、視界の中で勝手に浮かび上がる。北東に二株、根元に三株固まっている倒木が一つ、奥の岩陰にもう四株。意識して探したのではない。視界に入った瞬間、明度の差が頭の中で自動的に分類された。まるで誰かが先に地図に印をつけておいてくれたかのようだった。

【観察眼】。鑑定の下位互換、戦闘では役に立たない情報系スキル。

——これは、群生パターンを読むのに最適化されている。

歩く速度を上げた。倒木の根元、岩陰、北斜面のくぼみ。月雫草は単独で生えているように見えて、実は地下の水脈に沿って点在している。三株見つけた地点から斜面の傾斜を逆算すれば、次の群生地はおおむね予測できた。苔の湿り具合、石の下の黒土の色、倒木に絡みつく蔓の向き——どれもが水の流れを指差す矢印だった。

一刻もしないうちに、鞄の中で十二株が触れ合って小さく鳴った。

「レイド」

頭上から声が降ってきた。見上げると、ミラが太い枝に片膝を立てて座っていた。いつのまに登ったのか、足音は一切しなかった。

「あんた、何株採った」

「十二」

ミラの手がぴたりと止まった。矢筒の縁を撫でていた指が、半端な位置で固まっている。睫毛が一度、ゆっくりと落ちて、上がった。

「私が四。ガルドが二。リーネが五」

「合計二十三」

「あんた一人で半分以上だ」

口調は淡々としていたが、わずかに語尾が早くなった。枝から飛び降り、苔の上に音もなく着地する。膝の屈伸が深い。着地の瞬間、彼女の髪から森の湿った匂いに混じって、ほのかに鉄と油の匂いがした。武器の手入れを欠かさない者の匂いだ。

「群生地、どうやって見つけた」

「水脈と日照時間と斜面の角度。三つの条件が重なる場所に偏る」

「それ、誰に教わった」

「教わってない。見えた」

「……見えた」

ミラは俺をしばらく見つめ、それから無言で口の端を歪めた。笑ったのか、苦いものを飲み込んだのか、判別がつかない表情だった。彼女の瞳の奥で、何かを値踏みする光が一瞬だけ揺れて、すぐに消えた。

「ガルド、リーネを呼ぶ。次の群生地、案内できるか」

「あと三十分あれば、全部終わる」

ミラが指笛を短く二度鳴らした。霧の向こうで、ガルドの返事の口笛が低く返ってきた。

合流したリーネは、俺の鞄を覗き込んで息を呑んだ。

「十二……朝の半分も使ってないのに……」

「水脈に沿って生えてる。次は南西だ。倒木が三本重なってる場所がある」

「なんで分かるんですか」

「斜面の傾斜と、そこに来るまでに踏んだ苔の湿り具合」

リーネが、ぽかんと口を開けた。ガルドは斧の柄に顎を乗せて、いつもの眠そうな目を細くする。

「兄ちゃん、それ、戦闘で使えりゃ化けるぞ」

「薬草の話だ」

「薬草も魔獣も、見るっていう一点じゃ変わらねえだろ」

ガルドの言葉に、ミラがちらりと俺を見た。あの、重心の傾きだけ見ている目だ。

南西の倒木群に着いた頃には、太陽が森の天井を薄く焦がしはじめていた。月雫草の発光は、日が高くなるにつれて急速に薄れる。残り時間は少ない。だが俺の指は、群生の中心を一発で射抜くように伸びた。リーネが小走りでついてくる。ガルドとミラが背後を警戒しながら距離を取る。湿った空気の中で、青白い光が次々に俺の掌へ吸い込まれていった。葉擦れの音、苔を踏む靴音、鞄の口紐が摩擦で軋む音——それらすべてが、ひとつのリズムに溶けていく。

最後の一株を鞄に収めたとき、ちょうど葉の裏の光が消えた。

三十一株。依頼数を一株超えた。

「……信じられない」

リーネが鞄の口を結びながら呟いた。声に湿った熱がにじんでいた。

「三人で二十が限界だったのに、四人で三十一。それも昼前に」

「運が良かった」

「運じゃないです」

リーネがまっすぐ俺を見上げた。そばかすの上で、目だけが朝の光を吸っていた。瞳の奥に、今まで俺に向けられたことのない種類の光があった。信頼とも、憧憬とも違う——たぶん、仲間を見る目だ。

「レイドさんの【観察眼】、最弱なんかじゃないです」

返す言葉を探した。だが、口の中で組み立てる前に、ガルドが斧を担ぎ直した。

「帰るぞ。日が高くなる前に森を抜けたい」

来た道を逆に辿った。

足取りは軽かった。鞄が重いというのは、こんなにも気持ちのいいことだったのか——記憶のない頭が、勝手にそんな感慨を組み上げる。リーネは小さく鼻歌を漏らし、ミラの肩の力もわずかに抜けている。ガルドは相変わらず眠そうな顔で、それでも歩幅は軽快だった。

森の中ほどに差しかかった、その時だった。

足が、勝手に止まった。

正確には、視界の端で何かを拾った瞬間に、膝が反射的にロックした。鼓膜の奥、ごく低い周波数の振動。地面というより、空気そのものが微かに震えている。首筋の産毛が、揃って一方向に逆立つのが分かった。

「……止まれ」

声が、想定より低く出た。三人が同時に振り返る。

「どうした」ガルドが斧の柄に手をかけた。

「東。距離は分からない。だが、何かいる」

唸り声が、聞こえた。

低く、長く、腹の底に響くような音だった。一回、二回、三回。獣のものだ。だが、俺の知らない種類の——いや、知らないはずなのに、頭の中で警告が鳴っている。あれは、群れで動く獣の声じゃない。単独で、しかも体格の大きいものの声だ。喉の奥に、何か鋭い音の欠片が引っかかっているような響き。

「ガルド」ミラが弓を構えた。「この区画、こんな声出す魔獣いた?」

「……いねえな」ガルドの声から眠気が消えていた。「第二区画は、せいぜい角ウサギかゴブリンの幼体だ。あんな低い唸り、四区画奥のクラスだろうが」

リーネが小瓶を握りしめ、後ろに半歩下がった。指の節が白く浮き上がっている。

俺は東の方角を見つめた。霧が、そこだけ不自然に渦を巻いている。風がないのに、白い帯が一方向にゆっくりと流れていた。何かが、通り過ぎたあとの空気の動きだ。

——なぜ、こいつがここにいる。

舌の上に、朝、森に入った時に感じたあの薄い金属質の匂いが、もう一度蘇った。今度はもっと濃く、鼻の奥にじりじりと貼りついた。血でも錆でもない、もっと乾いた、火打石を擦り合わせたあとに似た匂いだった。

「移動する。音を立てるな」

囁き声で指示を出すと、ガルドが先頭、ミラが殿を引き受けた。リーネの手首を軽く掴み、北西へ進路を切る。細い手首の皮膚の下で、彼女の脈が速く強く打っていた。背後で、唸り声がもう一度、さっきより半音だけ低く響いた。

距離を詰められている。

苔の上を、四つの足音が同じリズムを刻んで滑った。

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