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辺境の老賢者、畑を耕す

第1話 第1話

第1話

第1話

石造りの回廊に、杖の音だけが響いていた。

等間隔に並ぶ燭台の炎が、通り過ぎる老人の影を壁に長く引いている。炎が揺れるたびに影もかすかに揺れ、まるで六十年分の記憶がひとつひとつ壁に映し出されているようだった。ガルディアス・ヴェルデは一歩ごとに踏み慣れた床石の感触を足裏で確かめながら、けれどもその歩みに迷いはなかった。六十年。この回廊を何千回歩いたか、もう数える気にもならない。床石のすり減り方まで足が覚えている。三十七歩目のわずかな傾き、五十二歩目の欠けた角。それらすべてが、もう自分のものではなくなる。

背後で扉が閉まる音がした。重い樫の扉——謁見の間につながるあの扉だ。今朝、七代目の王に辞意を伝えた。正確には、引き継ぎ書を執務机に置き、後任の若い魔術師に鍵を渡した。それだけだった。

王は引き留めなかった。正しくは、引き留める暇を与えなかった。ガルディアスは王が口を開くより早く一礼し、踵を返していた。長い別れの言葉も、功績を讃える儀式も要らない。そういったものは、六十年の間にもう十分すぎるほど見てきた。

窓の外では、王都の屋根が朝日を弾いて光っている。三度の魔王戦争を経てなお美しいこの街並みを、ガルディアスは守り続けてきた。守り続けて、疲れたのだ。骨の髄にまで染みついた疲労は、もはや一晩の眠りで抜けるようなものではない。魔力が衰えたわけではなかった。心が、先に老いたのだ。

回廊の突き当たりに、小さな中庭がある。植え込みの合間にある石のベンチ。かつて二代目の王妃が好んだ薔薇が、今も世話をされて咲いている。ガルディアスは足を止め、その薄紅色の花弁をしばらく眺めた。朝露がまだ残っていて、花弁の縁にごく小さな光の粒が並んでいる。

「……きれいだな」

声に出して言ったのは、独り言が増えたからではない。六十年、この中庭の前を何度も通った。だが花をきれいだと思う余裕が、宮廷魔術師にはなかったのだ。常に次の脅威、次の政争、次の戦が頭を占めていた。美しいものを美しいと感じる感覚を、いつの間にか自分から手放していたことに、今さら気づく。薔薇の根元に溜まった朝の空気は冷たく湿っていて、その一帯だけがわずかに温度が違った。花の甘い匂いに混じって、土の中の水の気配がかすかに鼻腔をくすぐる。

薔薇の香りをゆっくりと吸い込み、ガルディアスは再び歩き始めた。

城門を抜けると、石畳の大通りに出る。行き交う人々の喧騒が、回廊の静けさとは対照的に肌に押し寄せてきた。馬車の車輪が石を噛む音、物売りの呼び声、鍛冶屋の槌音。焼きたてのパンの匂いが風に乗って漂い、どこかの子どもが笑いながら走り抜けていく。この街の音も、今日で聞き納めになる。

ガルディアスの荷は驚くほど少なかった。杖と、使い込んだ革の鞄ひとつ。六十年の宮仕えで得たものの大半は、形のないものばかりだった。知識、経験、そしていくつかの後悔。鞄の中身は替えの外套と、干した薬草の束と、ずいぶん前に市場で見つけた種の小袋。それだけで十分だった。

大通りの端に停まっていた乗合馬車の御者が、老人の身なりを見て声をかけた。

「じいさん、どこまで行くんだい」

「北東の辺境へ。ルーフェンという村の近くまで」

「ルーフェン?」御者は眉を寄せた。「聞いたことないな。地図にあるのか、そんな村」

「あるにはある。載っていない地図のほうが多いがね」

御者は肩をすくめた。「まあ、街道沿いの分岐までなら乗せられるよ。そこから先は自力で歩いてもらうことになるが」

「構わないとも」

ガルディアスは銅貨を数枚渡し、荷台の隅に腰を下ろした。馬車がゆっくりと動き出す。王都の城壁が少しずつ遠ざかり、やがて街道の両脇に麦畑が広がり始めた。

風が変わった。石と煤の匂いが薄れ、土と草の匂いが混じり始める。ガルディアスは目を閉じ、その匂いを肺の奥まで吸い込んだ。揺れる荷台の上で、老いた身体が不思議とほぐれていくのを感じる。肩に入っていた力が、一枚ずつ剥がれるように抜けていった。いつからこんなに身体を強張らせていたのか。おそらく——もう何十年も前からだ。

街道沿いの風景は、進むにつれて変わっていった。整然とした麦畑が、やがてまばらな牧草地に変わる。村の数が減り、家々の屋根が古びていく。道の両脇に生えている草も、人の手が入らなくなって自由に伸びている。王都からたった半日の距離で、世界はこうも違う顔を見せる。

三日目の朝、ガルディアスは街道の分岐で馬車を降りた。

「ここから先に何があるのか知らないが」御者が怪訝そうに言った。「気をつけてな、じいさん」

「ありがとう。いい旅だった」

御者の馬車が土埃を上げて去っていく。ガルディアスは未舗装の細い道に足を踏み出した。道と呼ぶには頼りない、轍が二本かろうじて残っているだけの地面。雑草が道の中央まで侵食している。人の往来がいかに少ないかを物語っていた。

半日ほど歩いた。途中、名前も知らない小さな花が道端に群れて咲いているのを見つけ、しばらく眺めた。薄い紫の花弁が風に揺れ、蜂が一匹、花から花へとせわしなく飛び回っている。宮廷にいた頃なら、立ち止まることすらしなかっただろう。急ぐ理由はもう、どこにもない。足が痛むのも、息が上がるのも、構わなかった。この痛みは戦傷の痛みとは違う。歩いた分だけ、確かにどこかへ向かっている痛みだった。

日が傾き始めた頃、視界が開けた。

なだらかな丘陵の間に、小さな集落が見える。十数軒の家屋が寄り添うように建ち、その外れ——集落からさらに離れた場所に、一軒の石小屋がぽつんと立っていた。

近づくにつれて、その荒れ具合が見えてくる。屋根の一部が崩れ、壁の漆喰は剥がれ、庭と呼べる空間は背の高い雑草に覆い尽くされていた。裏手の井戸は石組みにひびが入り、水が出るかも怪しい。かつて誰かが暮らしていた痕跡——軒先に錆びた鉄の鉤が一つ残り、戸口の石段は真ん中だけ丸くすり減っている。何年も前に去った住人の暮らしの輪郭が、うっすらと残っていた。

ガルディアスは小屋の前に立ち、ゆっくりと周囲を見回した。

崩れた屋根の隙間から、夕焼けの光が差し込んでいる。雑草の間を風が抜け、乾いた土の匂いを運んできた。遠くで鳥が鳴いている。それ以外には、何の音もしない。

宮廷の喧騒も、王の命令も、戦場の怒号も、ここには届かない。

ガルディアスは深く息を吸った。乾いた土と、枯れかけた草と、どこか遠くの野花の、かすかな甘さ。六十年間嗅ぎ続けた香と蝋燭と血の匂いとは、何もかもが違う。

肺の奥まで満たしたその空気を、ゆっくりと吐き出す。

唇の端が、自然と上がった。宮廷では見せたことのない、力の抜けた笑みだった。頬の筋肉がわずかに痛む。この表情を作ること自体が、もう長いこと忘れていた動作なのだと気づいて、おかしくなった。

「ここでいい」

誰に言うでもなく、声に出した。

崩れた屋根も、ひび割れた井戸も、雑草だらけの庭も。何もかもが不完全で、何もかもが手つかずで、だからこそ——。

「ここがいい」

杖を地面に突き立て、鞄を肩から下ろした。革紐が肩の溝から離れた瞬間、そこだけ急に軽くなって、風が直に肌に触れた。鞄の重さはたいしたものではない。それでも下ろしたとき、六十年分の何かが一緒に地面に置かれた気がした。夕日が丘陵の向こうに沈みかけている。明日からやることは、いくらでもある。まず屋根を直して、井戸を見て、それから庭の雑草を——。

だが急ぐ必要はない。急ぐ必要は、もうどこにもないのだ。

ガルディアスは崩れかけた石壁にもたれ、沈んでいく夕日を眺めた。裏手に広がる荒れ地が、赤い光の中でどこまでも続いている。痩せた、枯れた、誰にも顧みられない土地。けれど老賢者の目は、その地面の下にあるものを、かすかに感じ取っていた。深い場所で、細く、途切れがちに——それでもまだ流れている何かを。

空が紫から藍に変わり、最初の星がひとつ、丘の稜線の上に灯った。虫の音が足元からゆっくりと立ち上がってくる。冷えてきた夜気が頬に触れ、ガルディアスは外套の襟を軽く引き寄せた。けれど寒さは不快ではなかった。宮廷の暖炉に守られた温もりよりも、この冷たさのほうがよほど確かに、自分が生きている場所を教えてくれる。

六十年ぶりに、自分のために魔法を使う朝が来る。

その予感だけを胸に、ガルディアスは静かに目を閉じた。

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