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影の騎士を従える最弱勇者

第2話 第2話

第2話

第2話

目が覚めたのは、足を蹴られたからだった。

「おい、邪魔だ。ここは俺たちの場所だぞ」

見上げると、薄汚れた革鎧の男が二人、こちらを睨んでいた。冒険者くずれか、あるいはただのチンピラか。どちらにしても、路地裏で寝ている人間を蹴り起こすタイプの連中だ。片方の男が腰の短剣に手をかけて、早くしろと顎をしゃくった。その指先は垢で黒ずんでいて、爪の間に乾いた血のようなものがこびり付いていた。

「悪い。すぐ退く」

立ち上がると、体中が軋んだ。石畳の上で眠った代償は想像以上だ。首が回らない。腰が死んでいる。おまけに空腹で視界がちらつく。背中に貼りついた湿った外套を剥がすと、下の服まで冷たく濡れていた。夜の間に霧が降りたらしい。肌を刺す朝の空気が、濡れた布越しに骨まで染みた。

二人組は俺を値踏みするように見て、金目のものがないと悟ったのか舌打ちして去っていった。

朝日が路地の隙間から差し込んでいる。青白い月が二つ浮かんでいた夜空は、淡い紫がかった朝焼けに変わっていた。異世界の朝は、色すら違う。路地の壁に触れると、石の表面がうっすらと温かい。この世界の太陽は、少なくとも石を温める力は持っているらしい。どこか遠くで鐘の音が響き、鳥とも虫ともつかない甲高い鳴き声がそれに重なった。

足元に目を落とす。

——影が、濃い。

昨夜のことは夢じゃなかった。女神ルティエラ、守護の王座、影の騎士ヴェイル。自分のステータスはオールGのまま、だが影の中に確かに何かが潜んでいる。

「……ヴェイル」

小声で呼んでみた。

反応なし。影は影のまま、地面に張り付いている。

「出てこい、ヴェイル」

少し声を大きくする。通りの向こうで荷車を引く商人が怪訝な顔でこちらを見た。路地裏で影に話しかける不審者。通報されても文句は言えない。

「……命令形がまずいのか? えっと、出てきてください?」

沈黙。

丁寧語も無意味らしい。昨夜、ルティエラは言った。使い方は自分で見つけろ、と。つまりマニュアルなしだ。取扱説明書のない武器を渡されて「頑張れ」と言われている。

とりあえず動こう。考えるのは歩きながらでいい。

路地を出ると、城下町の朝が広がっていた。石造りの建物が密集し、通りには露店が並び始めている。果物、干し肉、焼きたてのパン——匂いだけで胃が鳴った。特にパンの匂いがひどい。焼きたての小麦の香ばしさに、溶けたバターの甘い湯気が混じって、空腹の胃を容赦なく締め上げてくる。露店の親父が生地を窯に放り込むたび、炎が赤く膨らんで、その熱が数歩離れた俺の頬にまで届いた。銅貨は数枚あるが、この世界の物価がわからない。下手に使えば一食で全財産が消える。

歩きながら、影を観察し続ける。

日向に出ると薄くなり、日陰に入ると濃くなる。当たり前だ。だが注意深く見ると、普通の影とは挙動が違う。建物の影と重なったとき、俺の影だけがわずかに遅れて動く。まるで別の意志を持っているかのように。

「反応はしてるんだな。ただ、出てくる条件がわからない」

昨夜、ルティエラが見せてくれたときは勝手に出てきた。あのときと今で何が違う?

——状況だ。

昨夜は死にかけていた。寒さと絶望と、何もかも失った底の底。あの極限状態で女神が力を授け、ヴェイルが実体化した。

つまり、平常時には出てこないのか。あるいは出す必要がないと判断されているのか。

どちらにしても、今の俺にはヴェイルを自在に呼び出す術がない。オールGで、手持ちの武器がゼロ。その状態で冒険者をやろうとしている。

正気じゃないな、と自分でも思う。

大通りに出ると、人の流れが急に増えた。鎧姿の冒険者、杖を持った魔法使い、荷物を担いだ商人。みんなどこかへ向かっている。活気がある。生きている街の空気だ。

その中に、一つだけ目を引く建物があった。

三階建ての石造り。入口の上に剣と盾を交差させた紋章が掲げられ、看板には『冒険者ギルド エルディナ支部』と刻まれている。昨夜、坂の上から見えていた建物だ。

扉は開け放たれていて、中から声が漏れている。朝から賑わっているらしい。

入る前に、一つ確かめておきたいことがあった。

通りの脇に寄り、もう一度影を見る。

「ヴェイル。お前がいるのはわかってる。出てこなくていい。ただ——」

何を言えばいい。命令か、お願いか、それとも——。

「俺はこれからギルドに登録する。オールGで。笑われるだろうし、門前払いかもしれない。でも他に手がない」

影が、揺れた。

風のせいかもしれない。気のせいかもしれない。だが俺にはそう見えた。足元の黒い輪郭が、ほんの一瞬だけ人の形に近づいたように。

「……そういうことか」

確信はない。だが仮説は立った。

ヴェイルは命令では動かない。感情——それも、誰かに向けた感情で動く。

昨夜の女神の言葉が蘇る。『あなたの祝福は、あなたが誰かを想う限り、強くなります』。

守りたい誰かがいれば、強くなる。逆に言えば、俺一人のためには動かない。

最高に不便だ。自分の身すら自分で守れない。

だが——筋は通っている。オールGの人間に与えられた祝福が、自分一人で完結する力であるはずがない。弱い俺に与えられたのは、弱いからこそ機能する力だ。

「わかった。じゃあまず、守りたいと思える誰かを見つけるところからだ」

影は沈黙したまま。返事は期待していない。

ギルドの入口に向かって歩き出す。重い木の扉の前で一度立ち止まり、深呼吸した。中からは冒険者たちの声、グラスがぶつかる音、依頼書を剥がす音が混ざり合って聞こえてくる。

ここで登録すれば、俺は冒険者になる。オールGの、おそらく史上最弱の冒険者に。

笑われる。見下される。さっきの路地裏の連中よりもっと露骨に。王宮での鑑定と同じだ。数字だけで人間の価値を決める世界で、俺の数字は最底辺。

——でも、もう慣れた。

扉を押し開けた。

ギルドの中は広かった。一階は酒場兼掲示板で、壁一面に依頼書が貼り出されている。カウンターの向こうに受付が数名。冒険者たちがテーブルを囲んで朝食を取りながら、今日の依頼を品定めしている。天井の梁から吊るされたランプがまだ灯っていて、窓から差し込む朝日と混ざり合って、琥珀色の光が室内を満たしていた。焼けた肉と安い酒の匂い。その奥に、紙とインクの乾いた香りが混じっている。

俺が入った瞬間、数人の視線が向いた。武器も鎧もない、みすぼらしい格好の少年。見る価値なしと判断したのか、すぐに視線は外れた。

カウンターに向かう。三つある受付窓口のうち、二つは列ができていた。空いているのは一番端の窓口だけ。

座っていたのは、栗色の髪を後ろで束ねた若い女性だった。書類を整理する手を止めて、こちらを見上げる。緑色の瞳が、値踏みするように俺を見た。

「冒険者登録の受付はこちらで合ってるか?」

「合ってますけど——装備は?」

「ない」

「所持金は?」

「銅貨が数枚」

「……推薦状や紹介状は?」

「あるわけない」

受付嬢——胸元の名札に『ミラ』と書いてある——が、ゆっくりとペンを置いた。その動作には苛立ちも嘲りもなく、ただ事実を確認し終えた、という静かな諦めのようなものがあった。

「登録自体は誰でもできます。ただし、鑑定を受けていただきます。ステータスによって受けられる依頼のランクが決まりますので」

「鑑定なら昨日受けた。結果は——オールGだ」

ミラの手が、完全に止まった。

緑の瞳がこちらを見据える。驚き、困惑、そしてかすかな——何だろう。同情とは少し違う、もっと複雑な色が浮かんでいた。唇が微かに動いて何か言いかけたが、その言葉は形になる前に飲み込まれた。代わりに彼女は一度視線を落とし、カウンターの木目を指先でなぞるようにしてから、もう一度こちらを見た。

「……少々お待ちください」

ミラが席を立ち、奥の扉へ消えた。

カウンターに一人残された俺の背中に、酒場のざわめきが張り付く。隣の窓口で登録を済ませたばかりの冒険者が、ちらりとこちらを見て眉を上げた。そいつの腰には使い込まれた長剣がぶら下がっていて、腕には剣ダコが幾重にも重なっていた。見るからに実力者だ。俺とは何もかもが違う。

足元の影が、微かに揺れた気がした。

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