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影の騎士を従える最弱勇者

第1話 第1話

第1話

第1話

光が、眩しかった。

足元に刻まれた魔法陣が蒼白く脈動し、五つの人影を異世界へと引きずり込む。浮遊感。耳鳴り。そして石畳に叩きつけられる衝撃——俺の異世界生活は、盛大に顔面から始まった。

「召喚、成功です! 五名の勇者候補、全員の転移を確認!」

甲高い声が響く。顔を上げると、白い法衣をまとった神官たちが円陣を組み、こちらを見下ろしていた。天井は吹き抜けで、見たこともない星座が瞬いている。ここが日本でないことだけは、嫌でもわかった。

「立てるか?」

隣で膝をついていた男——確か電車で隣にいた大学生風のやつだ——が手を差し出してくる。見回せば、他にも三人。スーツの女性、制服の男子高校生、ジャージ姿の女。全員、目が泳いでいる。そりゃそうだ。ついさっきまで通勤通学の電車に乗っていたはずなのに、気づけば中世ファンタジーの大聖堂だ。

「皆様、ようこそ我がエルディナ王国へ。私は神殿長のバルトスと申します」

白髭の老人が恭しく一礼する。その後ろには豪奢な鎧を着た騎士団、そして玉座に腰かけた中年の男——王だろう。

「早速ですが、皆様の"器"を鑑定させていただきます。勇者としての適性を見るための、いわば通過儀礼です」

バルトスが取り出した水晶球が、淡い光を放つ。一人目の大学生風の男が手を置くと、空中に文字が浮かんだ。

『筋力:B 魔力:A 敏捷:B 耐久:B 幸運:A』

「おお……!」と神官たちがどよめく。

「素晴らしい。魔力と幸運がA判定です」

二人目、三人目と続く。全員がB以上の判定を並べ、そのたびに歓声が上がった。四人目のスーツの女性に至っては筋力以外オールAで、騎士たちが跪く場面まであった。

そして——五人目。俺の番だ。

名前は桐島ユウト。十七歳。特技は特になし。水晶球に手を置く。ひんやりとした表面が、妙に冷たかった。

浮かび上がった文字を見て、大聖堂が静まり返る。

『筋力:G 魔力:G 敏捷:G 耐久:G 幸運:G』

オールG。全項目最低値。

一拍の沈黙のあと、誰かが吹き出した。それが合図だったかのように、くすくすと笑い声が広がっていく。神官たちが顔を見合わせ、騎士の一人が露骨に目を逸らした。

「……バルトス殿、これは鑑定ミスでは?」

王の傍に立つ宰相らしき男が眉をひそめる。

「いえ……水晶球に誤差はありません。残念ながら、この者は——」

「不適格、ということだな」

王が静かに、だが明確に宣告した。

不適格。たった三文字で、俺の異世界人生に蓋がされた。

他の四人が騎士に囲まれ、奥の豪華な廊下へと案内されていく。大学生風の男が振り返り、何か言いかけた。だが騎士に促され、そのまま角を曲がって消えた。

残されたのは俺と、ばつが悪そうな神官数名。

「あー……桐島殿。大変申し訳ないのですが」

若い神官が切り出す。視線を合わせようとしない。

「勇者候補としての待遇は、鑑定結果に基づいて決定されまして。不適格判定の場合、王宮での滞在は——」

「要するに出ていけってことだろ」

「……そこまで直接的には」

「いや、そこまで直接的だよ」

言い返す気力も、もうなかった。わかってる。オールGの人間を養う義理なんて、この国にはない。

兵士二人に挟まれて、長い廊下を歩く。表の正門じゃない。曲がりくねった裏道を通り、最後に開いたのは城壁に埋もれた小さな木戸だった。

「こちらから出られます。城下町はまっすぐ坂を下れば——」

「路銀は?」

「……規定では、不適格者への支給は」

「ないわけだ」

兵士が黙る。もう一人が革袋を差し出した。

「これは俺の私物ですが。銅貨が数枚、入ってます」

——情けだ。完全な情けだった。

だが受け取らないほど、俺はプライドの高い人間じゃない。

「ありがとう」

木戸をくぐると、冷たい夜風が頬を打った。四月の夜だと思っていたのに、ここの空気は冬の終わりのように刺すほど冷たい。見上げれば、知らない月が二つ浮かんでいる。大きい方が青白く、小さい方が薄い橙色。

振り返る。木戸はすでに閉じられ、石壁の一部と見分けがつかなくなっていた。

……戻る場所はない。

坂を下る。石畳の道は暗く、街灯の代わりに壁に嵌め込まれた光石がぼんやりと足元を照らしていた。人通りはない。酒場から漏れる笑い声だけが、やけに遠くから聞こえる。

路地裏の壁に背をつけて座り込んだ。石の冷たさが背中から体温を奪っていく。

何をどうすればいい。

言葉も通じる保証はない——いや、さっきの会話は通じていた。召喚の副産物で言語が補正されているのかもしれない。だが、それだけだ。戦う力もない。金もない。頼れる人間もいない。

オールGの人間に、異世界で生きる術なんてあるのか。

……寒い。

目を閉じる。このまま朝まで眠れるとは思えないが、体を動かす気力がない。ただ、頭の中でぐるぐると同じ言葉が回っていた。

不適格。不適格。不適格。

——くそ。

何に祈ればいいのかもわからないまま、唇が動いた。

「誰でもいい。何でもいい。俺に——」

生きる力をくれ。

言葉にならなかった願いが、夜の路地裏に溶ける。

その瞬間、視界が白く染まった。

光ではない。月でもない。目を開けているのに、何も見えない——いや、違う。空間そのものが塗り替わっていた。路地裏の壁も石畳も消え、足元には雲のような白い床が広がっている。

「——聞こえましたよ、あなたの声」

声は、上からでも下からでもなく、どこからでもなく響いた。

目の前に女がいた。白銀の長髪、瞳は金。年齢は読めない。二十代にも、千年を生きた存在にも見える。まとっているのは薄い絹のようなものだったが、それ自体が発光していて直視しづらい。

「女神……?」

「ルティエラ。この世界を見守る者の一柱です」

名乗りはあっさりしていた。

「あなたの鑑定結果は確かに最低値です。嘘は言いません。魔力もない。身体能力もない。通常の意味で『勇者候補』と呼べる素養は、あなたにはない」

容赦がない。

「ですが」

ルティエラが一歩近づく。金色の瞳が、まっすぐ俺を捉えた。

「あなたには"それ"がある。他の四人にはない、たった一つの資質が」

「……何だよ、それ」

「他者の痛みを、自分のことのように感じる心です」

は、と声が漏れた。それは長所というより——弱さだ。

「あなたに、私からの祝福を授けます。名を——『守護の王座』」

女神が右手を掲げた瞬間、俺の影が動いた。

足元から黒い靄が立ち上る。それは人の形を取り、凝縮し、輪郭を得ていく。漆黒の鎧。兜の下に覗く蒼い光。二メートルを超える長身が、俺の隣に立った。

「これは——」

「ヴェイル。あなたの庇護者です。あなた自身は強くなりません。代わりに、この騎士があなたの盾となり、剣となる」

影の騎士——ヴェイルは微動だにしない。声も発しない。ただそこにいるだけで、空気の温度が変わるほどの存在感があった。

「自分は弱いままで、誰かの力を借りて生きる。屈辱ですか?」

ルティエラが問う。その声に嘲りはなかった。

「……屈辱だよ。間違いなく」

だが——死ぬよりはましだ。

いや、それだけじゃない。オールGの俺に、それでも力を貸してくれる存在がある。その事実が、胸の奥で小さく燃えた。

「条件がある。使い方は、自分で見つけなさい。私から教えられるのは、ここまでです」

白い空間が薄れていく。ルティエラの姿が透けて、背後に路地裏の壁が見え始める。

「それと——」

消えかけた女神が、最後に付け加えた。

「あなたの祝福は、あなたが誰かを想う限り、強くなります。忘れないで」

視界が戻った。

路地裏だ。壁と石畳と、冷たい空気。何も変わっていない。

ただ一つ——俺の影だけが、不自然に濃かった。ゆらりと揺れる黒い輪郭の中に、鎧の形が見え隠れしている。

ステータスを確認する方法があるなら、と思い「鑑定」と呟いてみた。空中に文字が浮かぶ。

『筋力:G 魔力:G 敏捷:G 耐久:G 幸運:G』

——変わってない。

本当に、何一つ変わっていない。俺自身は、オールGの落ちこぼれのまま。

だが影の中に、確かに何かがいる。

立ち上がった。膝が笑っていたが、もう座り込んでいる場合じゃない。

金がない。力もない。でも、生きる理由ならたった今できた。

坂の下に、街の灯りが見える。酒場の喧騒。鍛冶の煙。冒険者ギルドの看板が、夜風に軋んでいた。

まずはあそこからだ。

オールGの冒険者なんて前代未聞だろう。笑われるのは慣れた。さっき嫌というほど笑われたばかりだ。

足元の影が、ほんの僅かに蠢いた気がした。

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