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穢れの聖女は異世界で最強に還る

第3話 第3話

第3話

第3話

受付カウンターには昨夜とは別の男が立っていた。四十代半ば、顎鬚を短く刈り込んだ大柄な男だ。冒険者というよりは退役軍人の風格がある。腕を組み、並んだ冒険者たちを値踏みするような目で眺めていた。

「仮登録のリーネさん。正式鑑定ね」

昨夜の女性受付が奥から出てきて、リーネをカウンターへ導いた。手際よく仮登録証を確認し、鑑定用の書式を取り出す。

「手順は簡単よ。水晶柱に手を触れて、魔力を流す。ランクは水晶が判定する。Fが最低、Sが最高。ほとんどの新規登録者はF〜Dの間に収まるから、気負わなくて大丈夫」

リーネは頷いた。王国にも似た鑑定はあった。ただし王国の鑑定は術師が介在する方式で、グレイスのように恣意的な操作が可能だった。水晶が直接判定するなら、少なくとも人の意思は介在しない。

広間の冒険者たちの視線が集まっていた。見知らぬ服装の女が鑑定を受ける。好奇の目だが、悪意はない。王国の群衆とは違う。

水晶柱の前に立った。

柱は近くで見ると、内部の光の粒がゆっくりと脈動しているのがわかった。生きているような律動。王国の魔道具にはなかった特性だ。表面に手を伸ばす。指先が水晶に触れた瞬間、冷たさの奥に微かな温もりを感じた。

「では、魔力を流して」

受付の声に従い、リーネは体内の魔力に意識を向けた。

慣れた作業のはずだった。十年間、毎日繰り返してきた。だが王国ではいつも感じていた「噛み合わなさ」——歯車が半回転ずれるような抵抗が、ない。

魔力が水晶に流れ込んだ。

水のように自然に。呼吸するように当たり前に。堰を切った川のように、留めようもなく。

水晶柱が光った。

F、E、D——内部の光の粒が色を変えながら上昇していく。C、B、A——上昇が止まらない。光が柱の内部で渦を巻き始めた。受付が目を見開いている。広間のざわめきが止まった。

S——。

光が柱の上端に達した。まだ止まらない。水晶の内部に亀裂が走る。細い線が一本、二本。硬質な軋みが広間に響いた。

リーネは手を離そうとした。だが魔力が止められない。十年間、王国の規格に合わせて無意識に絞り続けていた魔力の蓋が、この世界に来て外れてしまったかのようだった。

水晶柱が砕けた。

爆発的な光ではなかった。むしろ静かに、砂糖菓子が崩れるように、柱の上半分が結晶の粒となって宙に散った。光の粒が広間に降り注ぐ。雪のように。あるいは、聖結界の光のように。

広間が凍りついた。

冒険者たちが言葉を失っている。受付の女性は口を半開きにしたまま動かない。カウンターの奥にいた大柄な男が椅子を蹴倒して立ち上がっていた。

散った結晶の粒がゆっくりと床に落ちていく。一粒一粒が淡い光を帯びたまま、広間の石畳に転がった。静寂の中で、結晶が石畳に当たる微かな音だけが響いた。

リーネは自分の手を見下ろした。手のひらが薄く光を帯びている。王国では一度も見たことのない、澄んだ白銀の光だった。

「——S、S、S」

受付の女性が掠れた声で言った。砕けた水晶の台座に、三つの文字が刻まれている。SSS。受付の顔から血の気が引いていた。

「ランク……SSS。そんな、鑑定水晶の最高記録でもAが二例だけなのに——」

「下がれ」

カウンター奥の大柄な男が、低い声で言った。受付が弾かれたように後退する。男はカウンターを乗り越え、水晶の残骸を踏みながらリーネの前に歩み出た。

間近で見ると、男の目は鋭いが冷徹ではなかった。深い皺が目尻に刻まれている。長い年月を戦い抜いてきた者の目だ。

その男が、片膝をついた。

石畳に膝が当たる硬い音が広間に響いた。冒険者たちがざわめく。

「ギルドマスター・ロガンが何で——」 「おい、膝をついたぞ。あのロガンが——」

ギルドマスター。この街のギルドの最高責任者が、名も知れぬ新規登録者の前に跪いている。

「百年待った」

ロガンの声は低く、僅かに震えていた。

「この地に伝わる預言がある。『銀の光を宿す者が来たとき、世界の均衡は正される』——あなたが預言の聖女だ」

リーネの足が一歩、後ろに下がった。

聖女。その言葉がまた来た。王国でも聖女と呼ばれた。聖女候補として祭り上げられ、利用され、最後には処刑台に送られた。

「……違います」

声が硬い。自分でもわかるほど、拒絶がにじんでいた。

「私は聖女なんかじゃない。ただの——」

「ただの、何だ」

ロガンが見上げてくる。金色でも銀色でもない、深い茶色の瞳。そこにあるのは崇拝ではなかった。王国の民がリーネに向けたような盲目的な信仰ではない。もっと切実な——藁にもすがるような、必死さだった。

「称号など何でもいい。聖女でも旅人でも、名無しでも構わない。だがあなたの力は本物だ。この水晶が証明した。人の手では操作できない」

ロガンの目が、砕けた水晶の台座を示した。三つのSの刻印。人為では刻めない、水晶自体が魔力に反応して記した文字。グレイスの偽鑑定とは、根本が違う。

リーネの胸の内で、何かが軋んだ。

偽物ではない。銀狼も同じことを言った。規格外だと。だが規格外の力があるからといって、それが何だというのか。力があっても守れなかった。力があっても捨てられた。力の有無と、人の心は関係ない。

「私の力が本物だとして……それで何が変わるんですか」

「命が救える」

ロガンが立ち上がった。背がリーネより頭ひとつ分高い。カウンターの奥に歩み寄り、壁に掛けられた大きな地図を外した。

広間の机の上に広げる。革に描かれた精密な地図だった。街や道、山脈、河川が細かく記されている。ロガンの指が地図の東端を叩いた。

「辺境領ヴァルデン。ここから馬で五日の距離にある。今、疫病で滅びかけている」

指が示す場所には、赤い印がついていた。新しいインクだ。最近つけられたものだとわかる。

「三ヶ月前に原因不明の疫病が発生した。領民二万のうち、すでに三千が死んだ。薬も魔術も効かない。ギルドからも治療師を派遣したが、全員が匙を投げて帰ってきた。疫病の根に何か——通常の病ではない魔力的な汚染がある。それを浄化できる力を持つ者が、この百年現れなかった」

ロガンの声に焦りがにじんでいた。ギルドマスターとしての冷静さを保とうとしているが、隠しきれていない。

「冬を越せるかどうかの瀬戸際だ。子どもから倒れていく。あの街には——」

言いかけて、ロガンは口を閉じた。私情を挟むまいと、自分を制したのだろう。だがリーネは見逃さなかった。地図のヴァルデンの位置を示すロガンの指先が、わずかに震えていたことを。

子どもから倒れていく。

その言葉が、リーネの胸に刺さった。

王国で疫病を鎮めたのは十二のときだった。北区の貧民街から始まった熱病。大人は耐えたが、子どもたちが次々と倒れた。神殿は動かなかった。「聖女候補の出番ではない」と。リーネは命令を無視して貧民街に入り、三日間眠らずに聖術をかけ続けた。助けられた子どもは二百人。助けられなかった子どもは、十四人。

十四の名前を、今でも全部覚えている。

「……地図を、もう少し見せてください」

リーネの声は静かだった。ロガンが黙って地図を押しやる。辺境領ヴァルデン。東の山脈に抱かれた盆地の街。周辺に魔獣の生息域が広がっているが、領地自体は肥沃な農地に囲まれている。いや、囲まれていた。赤い印の周辺には、黒い斑点が散っている。汚染域の記録だろう。

「行くとは言っていません」

「わかっている」

「ただ——」

リーネは首筋に触れた。赤い線が熱い。処刑台の記憶。石を投げた群衆。目を背けた人々。

あの国では、力を振るっても報われなかった。感謝は裏切りに変わり、献身は罪に変えられた。同じことを繰り返すのか。見知らぬ土地で、見知らぬ民のために。また命を削って、また捨てられるのか。

頭ではそう思う。だが胸の奥で別の声がする。十四の名前を数える声。あのとき間に合わなかった悔いを知っている声。

「疫病の詳しい症状を教えてください」

ロガンの目が変わった。拒絶でも承諾でもない、その中間の言葉。だがロガンには、それで十分だったのだろう。

「報告書がある。全部見せる」

ロガンが奥の部屋へ向かう。リーネは地図の前に残された。広間の冒険者たちが遠巻きに見ている。畏怖と好奇が入り混じった視線。

水晶の破片が足元に散らばっている。朝日を受けて、小さな虹を作っていた。

リーネは地図のヴァルデンの位置に目を落とした。赤い印。三千の死者。子どもから倒れていく街。

前の世界では「穢れ」と呼ばれた力。この世界では「預言の成就」。

どちらが本当かは、まだわからない。だがひとつだけ確かなことがある。

この力は、子どもを救える。

それだけが、今の自分に残された唯一の真実だった。

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